第一章2話 『 あの日の涙 』
「おはよう!白!」
「 … … 」
――ポロッ 。
「え … … ッ、え?!!」
儚い雫が一線 頬を伝う。右目から机に落ちていく雫は まるでこの教室内の全て音を無くす為の合図のよう 。驚きに満ちた生徒達は思わず静まり返る。
「天条さん泣いてるの?」
「え、何でなんで?」
「あんな風に泣いてる人 初めて見た 」
数秒経ってからどよめき出す教室。不良とまで言われ 避けて恐れられていた人物が、あまりにも自然と零した一雫。
「どーしたの白!どこか痛いの?!」
迷わず俺の元へと駆け寄ってくる美羽。更に加速する心臓は まるで脳にまで響いてくる警報音。『理性を保て』『過去を容易く変えるべきではない。』全てを理解し 把握している筈なのに――
――ギュッ 。
「ぇ … … ?」
抑えられる筈もなかった。
白が美羽を抱きしめてから数秒間、美羽の両手は白の腰に手を回そうか回さないかでピクピクしている。頬は言うまでもなく真っ赤。お互いの鼓動が聞こえ合う程にまで密着していた。
「白? 本当にどーしたの?」
あまりの恥ずかしさに爆発しそうでも、心配する心は変わらなかった。余裕があった訳ではない。 驚きや恥ずかしさよりも、ただそれが本心だったのだ。
「 … … ごめん 。体調悪いかもしれない 」
「ッ!」
一瞬驚きはしたが、すぐさま冷静に戻る美羽は「保健室行こっか」と腕を掴んで連れて行ってくれた。
保健室に先生はいなく、白はベットに寝転んで美羽はその傍にある椅子に腰掛けていた。前髪の毛先をイジイジしてるあたり、かなり動揺している様子。
「熱 測る?」
「いや 大丈夫だ。 多分そんなんじゃねぇ 」
「そーなの?」
「悪いな 心配かけて。ちょっと疲れてるだけだと思う 」
布団を被らず 仰向けになっている俺は 美羽の顔を直視する事が出来ず、腕で視界を遮った。
「何かあったの?」
「 … … 」
言える訳もない。俺は過去に来て 第二の高校生活を送っているんだと。そして お前が死んでしまった未来を変えてやるんだと。言う事も 信じてもらう事もままならないこんな内容を、何の準備もせず話すなんて到底無理だ。
「なんて言うか 、その 」
「いいよ 。無理に言わなくても 」
口ごもる俺の態度に気付いたのか、優しく微笑むその表情は アイツと重なった。もう一人の 幽霊になった美羽と。
「いいのか? 言わなくても 」
「気にならない。と言えば嘘になるけど 無理には聞かないよ 」
「別に無理なんて 」
「してるよ。一目見たら分かるんだから 、あんたの事なんて 」
「ッ!!」
『一目見たら分かるんだから、あんたの事なんて!』
完全にアイツと重なったその瞬間 俺の心は溶かされる。溢れ出そうになる涙を抑えて 今美羽がここに居る その大切さを痛い程に噛み締める。
離したくない、だけど今 俺がする事はもう決まっていた 。
「しばらく 一人にしてくれねぇか?」
「え、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。そのうち すぐ戻る 」
「 … … わかった 。何かあったら いつでも連絡してよね 」
「あぁ 」
そう言って席を立つ美羽は ベットを囲うカーテンを閉めてから 保健室を出ていこうとする。
「美羽 」
「ん?どしたの? 」
「 … … ありがとな 」
――《生きていてくれて》 。
「何柄にもない事言ってんのよ。あんた今日本当に変なんだから ちゃんと休みなさいよね 」
冗談めかして言った後で「また後でね」の言葉を最後に 美羽は保健室を出ていった。
「 … … 危ねぇ 。普通に告白しそうになった 」
ったく 、何回俺を惚れさせる気だよ 。
「さてと 、問題は この後だな 」
過去に戻って 美羽とまた会えたバンザイバンザイ〜、だけで済むならどれ程良かったか。高校生の頃の俺は 問題というお荷物を数え切れないほど抱えていたんだ。
「ちょうどゆっくり出来るし 一通り整理するか 」
近々に起こる問題は確か 俺が所属している『不良グループ』脱退の件と、『死神の女』を捕まえる事 。せっかく過去に戻ってきたんだ。これから起こる事を分かっているなら 全てが上手くいくようにしたい 。
「俺の親父の件も 前もって何とかしないとな 」
だがしかし これから起こり得る事を全て分かっていては、情報量が余りにも多すぎる。万全を期して完全に解決しようとすればする程 沼に沈んでいっている気がしてならない。
『不良グループ脱退の件』は俺だけの問題だ、早めに何とかしよう。多少の荒事は目に見えているが。『死神の女』これを解決するには空の協力が絶対条件だな。
「 … … 先にグループ抜けとくか 」
今日の放課後にでも 抜けに行くか。早めに抜けれるならそれに越した事はないだろう。ちなみに過去の俺は どうしてグループを抜けたかと言うと 美羽に惚れてしまったからだ。
「ホント 単純だな。 俺は 」
アイツの事を想うと 俺が不良だというステータスはもはやお荷物でしかなくなった。別にこの恋が実らなくてもいい、クラス委員長であるアイツに迷惑を掛けたくなかったんだ。
なんてグルグルと思考を巡らせている間に 徐々に睡魔に襲われてしまい、いつの間にか白の意識は夢の中へ落ちていく。
それから数時間が経ち、いつしか今日の学園は終わっていた。元々HRと始業式の二時間しか無かったのだが その全てを睡眠で費やしたようだ。何とも俺らしい。
「っし。 行くか 」
校舎に生徒はほとんど残っていなく、大会に出ているような部活や真剣に取り組んでいる部員だけが残って練習をしているようだ。浪費の多いその生き方 尊敬するぜ。
『ブーーーー』となる バイブ音を太ももに感じ、俺はポケットから携帯を取り出す。不良グループの仲間からだ。
『今いい女見つけたから誘ってんだけど、お前もどうだ?』そのメッセージには写真も付いていた。その人物が気になった白は 写真をタップする。
「ッ?!!」
俺は一瞬にして風を切って走り出した。その写真には 美羽が写っていたからだ。
「何なんだ この過去は!? こんなの俺の知る限り知らねぇぞ!!」
美羽が俺の仲間に絡まれる?そんな未来は無かったはずだ。一体どういう … … 。
そこで 脳に響いてくるノイズ音。軋み出す頭を手で抑え 違和感を感じながらも 俺の足が止まることはない。すると突然聞こえてくる 透けるような美羽の声。
『聞こえる?白』
「美羽!? どうしてお前が … … まさか近くにいるのか?!」
『近くにはいないよ。でも事情は後、まずは貴方の仲間から私を突き放しなさい!』
「言われなくてもそのつもりだが 、クソ!」
もうこれ以上の不思議には襲われないとばかり余裕が出てきたら すぐこれだ。またもや起こる超常現象に俺の情報処理能力は 混乱してしまう。
『貴方 未来を変える何かをしたんでしょ? とりあえず落ち着いて教えなさい 』
「未来を変える?そんな事 俺は――」
――脳裏に過ぎる あの行為。未来改変には十分過ぎる程のイレギュラーな介入行動。皆の前で一雫流した後に 美羽に抱きついた。そして共に保健室へ向かった。その出来事を 白はしっかりと美羽に説明する。
『なるほど 。だとしたら 私がとる行動は一つね 』
「それは?」
『 … … あんた逆なら考えてみなさいよ。惚れている女の子が突然泣いて抱きついてきたのよ、しかも皆のいる前で。そして何か事情を抱えている事も話している内に理解した 』
「俺なら――」
状況は単純で トリガーは明解。もはやこれ以上の思考は無意味な事だろう。
「その根本的な悩みを解決してやろうと、手を貸すだろうな 」
『ご名答 。私が貴方に惚れているのだとしたらまずそうするでしょうね 』
学園を出てから数分 美羽がいるであろう路地裏は後三分程で着くはずだ。学園からそう遠くない距離なのが唯一の救いか 。
『私と貴方が出会ってからまだ一年。そんな短い期間の中で 貴方が抱えている唯一の問題を知っているのだとしたら それは 』
「 … … 不良の事か 」
『それしかないわね 』
切ない表情になってしまう白の心は、どうして不良なんかになってしまったんだろうと後悔する程。元々は、ある人を乗り越えたくて始めた喧嘩も これじゃあ意味が無い。
『恐らく私は 貴方の仲間に接触して、もう白に絡まないで。とでも交渉したんでしょ 』
「その光景は痛い程目に浮かぶな 」
『だからこそ、貴方の携帯に連絡がきた 』
「ッ!!! まさか 」
『気を付けなさい白。恐らく荒事は避けられないわよ』
走っている途中で広い交差点へと出るが 信号は赤色。すると そこには、信号待ちをしている人混みの中に見慣れた人物がいた。
「白先輩じゃん。あんなに走って 珍しいな 」
俺も空の姿に気が付き コッチを向いているのも把握した。信号は赤色で車が行き交う大道路の交差点。ここはどれだけ急いでいても止まるのが普通だ。
「先輩!そんなに急いで 珍しいで 」
――ッ 。
俺は空の挨拶を無視して 赤信号を高速で走り抜けていく。
すれ違う瞬間 驚きのあまり固まってしまう空の姿も、すぐさま振り返ると 白の姿はもう見えなくなっていた。クラクションや急ブレーキ音が鳴り響くことも無く、あの先輩はこの交差点を無傷で走り抜けたのだ。
「 … … 」
それから数秒間。信号待ちの間で唇に手を置いて頭を悩ませる空であった。
「ちょっと!離しなさいよ!!」
薄暗い路地裏にて、白の不良仲間数人に絡まれている美羽。鞄を取り上げられ 制服の裾や肩を鷲掴みにされている。
「いいから 大人しくしろよ!!」
「白の野郎 こんないい女隠し持ってるなら先に言えよ!!」
「ッ!! 私はアイツの女じゃないわよ!!」
――ッドン!!!
不良の発言に頭にきた美羽は、両手を前に突き出して肩を掴んでいる男の胸元を勢いよく押し出す。多少よろめいた不良だったが 女の子の腕力では当然無傷で済んでいる。
「威勢がいいな。嫌いじゃないぜ 」
「来ないで 。気持ち悪いッ 」
「 … … 」
美羽の発言に対し、さすがに反応せずにはいられない不良達。四、五人の男達がジリジリと距離を詰め出す。
「てめぇ 女だからって調子に乗るなよ?」
「そこまで言われて黙ってやれる程、俺達は優しくねーぞ 」
「ッ … … !!」
だ、ダメ。震えが止まらない 。いくら強がったって、口喧嘩しか した事の無い私が不良五人を相手になんて出来るはずがない。
でもね?目を塞ぎたくなるこんな状況でも 私が一歩も引かないのは――
――貴方が いるから 。
『ねぇ 白、どうしてあの時 泣いたの?』保健室で聞きたかったこの言葉は 貴方の顔を見たら聞けなくなった。不良なんだよね? 不良のくせに 誰かを想ってるような顔は してほしくなかった。私以外の誰かの為に あんな切ない顔を見せないでほしかった。
「おい 聞いてんのか!!」
この心臓の痛みに比べたら こんな人達なんて、何も怖くない。私が今背負おうとしているのは、目の前にあるこんなちっぽけな人達の恐怖なんかじゃなくて、貴方の心なんだから!!
「白に近付いたら 許さない!!」
「ッ!! てめぇ まだ言うか!」
「もういいわ コイツ 。殺っちまえ 」
――ガッ!!!
「痛ッ!」
男二人に両腕を絞められ、残りの三人は目の前で距離を詰めてくる。完全にブチ切れている不良達は もう美羽の事しか見えていない。殺気立ったオーラを纏いながら 一人の男が右腕を振りかぶる 。
――ズガァッ!!!
「 … … ぇ 」
目の前でゆっくりと真横へ倒れていくその男の背後から、徐々に見えていく背景 。飛び蹴りの着地をしようと 宙に浮く白髪の青年 。横目で見据える水色の瞳は 美羽の安否を確認するもの。後に、周りの状況を見渡して把握していく青年の姿は まさに――
――戦場に降り立った 英雄のよう 。
「悪いな美羽 。 遅くなった 」
「白!!!」
切なくも優しく微笑みかける白の表情に 美羽は安堵の声を漏らす。瞳に涙を溜めて 。
あぁ、私は何て現金な人間なんだろう。一人で何とかしてあげたいと思っていたのに 白の姿を見た途端、さっきまで抱えていた全ての不安が嘘のように消えていく。
「そいつから離れろ 」
「あ? てめぇが消えろ 白 」
「っ! ちょっとあんた! いい加減離しなさ 」
叫んでいる途中で、美羽の口は一人の不良によって無理やり塞がれる。
「おい お前! やめろッ!!」
「あんたが消えてくれたら 解放してやるよ 」
「ッ!! … … てめぇッ 」
幾ら不意打ちで一人倒したとは言え 人数的不利な状況に変わりはなかった。美羽が人質にとられている今 これ以上下手なマネはできない。
「白 … … 」
貴方がどれだけ喧嘩が強いとは言っても 相手は歳の近い男の子四人。さすがに私も 希望が薄過ぎる、そう思っていたのに 。
「まずは 美羽を離せ 」
――そんな心配は 杞憂だった 。