①元悪女イベリス・1
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「イベリス妃殿下、お顔のお色がすぐれないようですが、どこかおかげんが悪いのでは……?」
メイド兼護衛のルーシーが、小さくて素朴な瞳で私を心配そうに覗き込んだ。ハッとした私は手にしていたフォークとナイフで肉を切り、平静を装いながら答えた。
「いえ、全然元気よ」
そう言うやいなや、肉を切っていた手がすべった。フォークとナイフが肉と共に宙を舞い、私の隣に座る我が夫で第二皇子のアークの皿の上に、私の食べかけの肉が落ちた。
と同時に、フォークとナイフが床に衝突する乱暴でがさつな音が室内を支配した。
食卓は静まり返った。
今日は年に1度の皇族で仲良くディナーをする日であり、皇帝以外の皇后、その息子で第一皇子の皇太子、その妻の皇太子妃も共に食卓を囲んでいたのである。
「まったく。マナーがなってないわね」
冷たく突き放すような声で小言を言ったのは皇后だった。
皇后はブロンドの髪をタマネギのような形にアップにさせており、輝くタマネギのかぶり物をしているように見える。おしろいを塗りすぎた真っ白な顔は鼻とアゴが尖っており、眉毛もやたら細長くて、白雪姫の魔女のような、トランプのジョーカーのような、そんな顔をしている。
意地悪キャラ仕上がってんな。なんてことが心の奥をフと過ぎり、しかし、とんでもないことを思い出してしまった私は、それどころではないと内心取り乱していた。
私はこの人生においても25歳で生涯を終える。今12歳だから13年後だ。
私の頭の中は真っ白になっていた。「申し訳ございません」と言うのがやっとだった。冷や汗をかいていると、隣の席のアークが自身のフォークとナイフを皿の上に揃えて置き、落ち着いた口調で皇后に言った。
「結婚してまだ1週間です。宮廷に慣れてないうえに、初めて大勢でとる食事に緊張しているようです。今朝から体調も崩しているようなので、部屋で休ませます。途中で席を立つことをお許しください」
アークは席を立つと、私に手を差し出した。私を助けてくれたのだ。そうだ。アークはこういうヤツだった。
私と同じ(正確には私は本当は25歳だけど)12歳の割に大人びているところがあり、頭の回転も早くて根は優しい。しかし一方で、自分より立場が下の者には偏屈で憎まれ口が多いのも事実だ。頭の回転は早いくせに、変な感情が邪魔して時折愚かな行動をとってしまう。それがアークという人物である。
私はアークの手に自分の手を重ねた。私と目が合うと、その切れ長でどこか冷めた目をすぐにそらし、面倒くさそうに小さくため息をついた。ははは。カンジ悪いのも相変わらずですな。
過去の私は、この偏屈な少年を心底嫌っていた。
当時の私はめちゃくちゃ性格悪くて、将来皇帝になれないと言われている第二皇子の妻ということが不満で仕方なかった。
加えてこの偏屈さである。彼の優しさに気付こうともせず、ひたすら不満だけを右から左へ並べては憎しみばかりをつのらせていた。
容姿も黒髪というのが嫌で仕方なかった。この帝国において黒髪は珍しく、不吉であるとされているからだ。けど今改めてアークを見ると、鼻筋が通っていてかなりの美形だし、黒髪もサラサラとしていて綺麗で知的に見えるし、そもそも地球では黒髪なんて普通だし、私も黒髪だったし、不吉などではない。
そんなことより問題なのは過去の私が悪女並に道徳観が狂っていたということだ。
私は15歳のとき、アークと皇太子妃を陥れて処刑にすることで、リックの妻の座――皇太子妃の座――を奪おうと目論んでいた。しかし、頭の回転が早いアークが私などに陥れられる訳がなく、危険人物と見なされた私は、10年間投獄された末に処刑されてこの世を去った。
自業自得だから仕方ないが、自業自得なら自業を変えればいいだけの話。落ち着け。私は昔とは違う。焦る必要はない。
アークに手を引かれてドアから出る寸前、私はリックに振り向いた、私の視線に気付いたリックは私と目を合わせた。どこかホワッとしていて優しい目つきだ。
リックはブロンドの髪と青い瞳を電光でキラリと宝石のように輝やかせながら、穏やかな微笑を浮かべて私に会釈した。彼は高貴な身分でありながらも、どんな人にも公平に温かく接することが出来る人で誰からも愛されている。
私が過去に皇太子妃になりたかったのは権力欲からだけではない。あの美しくも聖人のように温かな雰囲気を持つリックに恋心を抱いていたのだ。そして今もドキドキと心臓が波打っている。
14歳ですでに吐出した美貌と包容力をもつ彼は、すでに帝国一の人気者であり、今の妻がそうであるように、堅実な女性を好んでいる。たとえ過去に策略が成功していたとしても、私が彼に選ばれる要素はどこにも無かったのだ。
しかしながら、リックは6年後の20歳の春、自ら皇太子の座を退く。理由はアークのほうが優秀であり皇帝に向いているというものだった。私がそのことを知ったのは冷たい地下牢の中だった。
リックからは人間の醜い欲を感じない。どこまでも生粋の『王子様』なのだ。そんな彼にトキメキを感じながら私も会釈を返すと、アークに手を引かれながら部屋を後にした。