カーストの外
教室の扉をくぐった俺たちを待ち受けていたのは、いつも通りの風景だった。
「おはよう、鷺宮さん」「おう、紫苑おはよう」「今日も髪綺麗だねー」「お姉様…」
ふわりと揺れる銀の髪が視界に入った瞬間、多くのクラスメイトが紫苑へと声をかけてくる。
やはり日本人離れした紫苑の容姿はよく目立つ。間違えようがないのは確かだが、気後れせずに話しかけることができるのは彼らが紫苑を中心として集まったカーストトップグループであるからだろうか。
もしくは陽キャゆえの積極性によるものかもしれない。学校は社会の縮図というが、こういうコミュ力がある人間が成功するというのは正直納得するほかなかった。
誰だって笑顔で接してもらえたら嬉しいものだ。それを理解しているのかは分からないが、そう言った打算抜きでやれる人間は好かれるのだということくらい理解できる。
「ええ、みんなおはよう」
そしてそんな笑顔を一心に受けながら、涼しい顔で優雅に挨拶を返す人間が上に立つのだということも。
カリスマ性といえばいいのか、紫苑が人には持たざるものを持っていることは、残念ながら事実であった。
人並み外れた美貌がそれだ。人は否応がなく第一印象がものを言う。
紫苑の容姿に圧倒され、男子はまずその目を惹きつけられざるをえないだろう。
誘蛾灯に引かれる蛾のように男子が紫苑に集うなら、女子も動かざるを得ない。
女子というのはリーダーを作りたがるものだ。それは男子よりも露骨であり、彼女達の内心がどうであろうと、自然とそれに相応しい人物を祭り上げていく。
カーストといえば聞こえはいいかもしれないが、内情はひどくドロドロしたものであることを、紫苑の近くにいた俺は知っていた。
そんなこともあり、紫苑は常にクラスの中心だった。
いや、学校といってもいいかもしれない。この高校にいて、紫苑の名前を知らないものはいないはずだ。中学の時も、紫苑はずっとカーストの頂点に位置していた。
紫苑の一挙一動が、常に注目されている。紫苑の発言で変わる立場もある。
大げさかもしれないが、学校という狭いコミュニティの中では、紫苑の行動で運命が変わるものが確かにいるのだ。
そして俺はそんな中のひとりであった。紫苑という圧倒的な光を放つ幼馴染の側にいる影のような存在。友人はいるし露骨に嫌われているわけでもないが、いつも紫苑に気にかけられている、紫苑を好いている連中からすれば気にいらないやつではあるだろう。
本来なら仲良くなれたかもしれない相手から距離を置かれているかもしれないし、紫苑が側にいたから仲良くなれたやつもいる。
(塞翁が馬ってやつかね)
運命というのは分からないが、人との縁というのは複雑に絡まりあっているものであるらしい。
紫苑との縁がいつ切れるかは分からないが、できるならさっさと切れてくれると個人的にはありがたいのだが。
そう思いながら俺は自分の席につく。紫苑はまだ囲まれている最中だった。
この二年五組で毎日見かける、朝の風景だ。
「相変わらず人気者だな、鷺宮さんは」
ぼんやりとそれを見ていた俺に、ひとりの男子が話しかけてくる。
俺はチラリとそちらを見た。机に座っていたせいもあるだろうが、軽く目線を上げないとその顔を伺うことができないくらいには長身の男がそこにいる。
「そうだな、実に楽しそうだ。お前も話しかけてきたらどうだ」
「そうもいかないんだな。お前の世話を『銀の妖精』様に仰せつかっているんでね」
よく言うぜ。とっくに玉砕したひとりのくせに。
その小っ恥ずかしいあだ名を口にするのは意趣返しかなんかだろうか。
「大きなお世話だ。俺はもうガキじゃない」
「鷺宮さんからしたらそうは見えないんだろうよ。まぁ彼女の目があることだし、よろしくやろうぜ兄弟」
そう言って中学からの同級生、永都誠司は肩をすくめた。
背は俺よりも高く、端正な顔立ちをした男だが、妙に人懐っこくて憎めないやつでもある。
とはいえ言っていいことと悪いことがあった。
「おい、兄弟とかいうのやめろ。俺には葉月だけで充分だ」
「相変わらずシスコンなのな、お前」
大きなお世話だ、イケメンめ
…悪口になってないな、悲しいことだが。
「そりゃ可愛い妹だからな。正直目にいれても痛くない」
「そりゃそうだろうな。葉月ちゃんめっちゃいい子だもん。俺だって鷺宮さんに告白してなかったら狙ってただろうし」
なんだとこの野郎。聞き捨てならないことを言いやがる。
俺は非難の目を永都に向けるが、苦笑を浮かべている姿が見えた。
困っているような顔をしているが、それも様になるのだから顔がいいやつは得である。
「いや、実際狙ってないって。さすがにそこまで節操ないわけじゃねーよ。お前にも鷺宮さんにも嫌われちまうし、変にこじれるのは勘弁だな」
「…本当だろうな」
「友達を信じろよ」
そう言われると引き下がらざるを得ない。なんだかんだ付き合いは長いからな、決して多くない友人を失うのは俺としても嫌だった。
(付き合いが長い、か…)
自分の内心の言葉に、ふと疑問を抱く。
付き合いが長ければ、やはり情が湧くというものだろう。
永都に関してもそう思ったのだ。それよりもっと付き合いが長い紫苑に対しても、離れたいと思いつつ実際そうなった時。
俺は、どう思うのだろうか。
「お、そろそろチャイムもなりそうだな。また後で話そうぜ、親友」
そんな思考は永都の言葉ですぐにかき消されることになった。
時計を見上げると、確かにHRの時間が近づいている。
「…おう、またな」
生返事で返したというのに、嬉しそうな顔をしながら去っていく友人に先ほどまで抱いていた気持ちが霧散していくのを感じる。
(ほんと、顔がいいっていうのは得だな)
紫苑のほうを見ると、まだグループの友人と話しているようだ。あっちはチャイムが鳴るまで開放されることはないらしい。紫苑はまだカバンを持ったままだった。
それでも嫌な顔ひとつ見せずに会話を交わしている紫苑に、少しだけ尊敬の念を抱いてしまう。
得ではあっても気苦労とやらは絶えなそうだ。
「俺には無縁の世界だなぁ…」
そうして紫苑から目を離すと、チャイムが鳴るまでの僅かな時間でのんびり窓の外を眺め始める。
さっきまでなにを考えていたのかは、この時には既に覚えてすらいなかった。
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