朝のやり取り
「それじゃ、また昼休みにな」
「葉月ならなにも心配してないけど、しっかりね。こんな不真面目な兄を見習ってはダメよ」
学校に着いた俺たちは、葉月の教室の前で別れを告げていた。
とはいえそこまで大げさなものではない。葉月はふたつ隣のクラスだし、会おうと思えばいつでも会いにいけるからだ。まぁわざわざ行くことは滅多にないが、別学年の教室まで行くより心理的なハードルはかなり低い。
葉月は妹ではあったが、俺とは誕生日の離れた所謂年子というやつであり、俺や紫苑と同じ二年生だ。
同級生の兄妹というのはやはり珍しく、人に話すと驚かれる鉄板ネタのひとつではあったが、どちらかというと俺と葉月が兄妹であることに驚かれることのほうが多かったのが少し悔しい。
悪かったな、兄妹なのに顔面偏差値が違いすぎて…
それにしても紫苑はとことん一言多い女だ。
なにかしら俺を小馬鹿にしないと気がすまないらしい。
「……大丈夫です。それに私は兄さんのこと、尊敬していますから。見習うべきところはたくさんありますよ」
「そうなの?そんなところがあるなら私にも是非教えて欲しいものだけど…残念ながら、今は時間がなさそうね」
葉月は俺をフォローしてくれようとしたみたいだが、紫苑には通じなかったようだった。
キョトンとした顔を浮かべている。ほんとに思いつかないとでもいいたげだ。どこまでも失礼な女である。
俺の呆れた視線など気にもせず、紫苑は背後から歩いてくる同級生達へと視線を向けた。
明らかに人が増えてきている。そのうちの何人かは、通り過ぎながら紫苑と葉月へチラチラと視線を向けていた。
(ほんと、紫苑と葉月狙いのやつ多いんだなぁ…)
このふたりは学年屈指の美少女として有名人でもあるし、注目を集めるのは当然といえば当然だが、そんなふたりの間にいる俺はスルーされているのが正直悲しい。
(まぁ喧嘩腰で睨まれるよりはよっぽどいいけどさ…)
友人に聞いた話だと、俺は紫苑には釣り合わないと思われているらしく、恋のライバルとして見られているということはないらしい。朝の登校も、妹の葉月のおまけでついてきているとしか思われていないようだ。
実際は俺たちの登校時間に合わせて紫苑が家の前で勝手に待っているだけなのだが、そこは言わぬが花というものだろう。別に自慢したくもないことだし、余計な火種を生む気はない。
俺以外には人当たりのいいやつだから、紫苑に想いを寄せるカースト上位のやつらも多いようだし、そいつらの中の誰かとくっついてくれるというのなら、俺としては大歓迎だ。
そもそも俺に笑顔ではなく、嘲笑しか向けない幼馴染。
そんな相手と離れられるというのなら、それに越したことはない。
(…そうだ。そうに決まってる)
そのはずだ。いくら顔がよかろうと、付き合いが長ければ悪い面も数多く見えてくる。
本来なら同様に良い面も見えてくるはずだが、この毒舌幼馴染に関しては前者が大きく上回っていた。
だから、俺には関係ない。
俺を所有物扱いする紫苑こそ、さっさと誰かのモノになっちまえばいいんだ。
「…や。冬夜。聞いてるの?」
そんなことを考えていると、紫苑がいつの間にか俺の顔を覗き込んでいた。
宝石のように綺麗な瞳が、すぐそこにある。綺麗だと、そう思った。
「冬夜…貴方、その年でもう惚けたの?私、まだ介護なんてしたくないのだけど。ただでさえ普段の貴方だけでも手一杯だっていうのに…」
だが、その瞳はすぐ見えなくなってしまう。やれやれといった顔で首を振る紫苑は目を瞑り、その青い瞳が閉ざされたからだ。
「あ…」
それが惜しいと思った。思わず声が漏れ出てしまう。
「あら、やっと正気に戻ったの?それなら早く教室まで行くわよ。そろそろチャイムも鳴ってしまうもの」
俺の呟きを聞いた紫苑が素早く俺の手を取り、前に向かって歩き出す。
俺は少しつっかえながらも、紫苑の歩みに歩調を合わせた。
「おい待てって。あ、葉月。また後でな!」
まだその場に立ったままで俺たちのやり取りを見ていただろう葉月に、俺は声を飛ばす。
紫苑の言うとおり、優等生の葉月のことだから問題ないだろうけど、一応兄としてそんな妹のことを心配してはいるのだ。
本当なら顔を見ていいたかったが、今の状態ではどうにもならない。
俺は紫苑とともに、自分の教室へと向かっていった。
「……兄さん」
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