密航 3
「国王陛下は愛妻家でね。今はあんな顔だけど、昔はイケメン美女夫婦なんて冷やかされてたものさ。天才技術者として活躍する夫と、献身的に支える妻。理想的な夫婦として有名だった。
だから、あの人が国王になるということを聞いた時、俺は反対した。国民が大勢オーサカから出ていったけど、少しでも政治に関わった人間なら、皆オーサカの貧困は歴代国王が原因ではないと知っていた。あの人は正義感の強い人だ。国王に就任すれば間違いなく研究所に反発する。そうなれば、不幸が訪れるのは必至だった。あの人を引き留めるために、私はオーサカに帰ったんだ。
でも、遅かった。事は起こった後だった。国王陛下の妻は殺され、国王陛下は深い悲しみに彷徨った。それから国王陛下は人と関わろうとしなくなり、よく自室に引きこもった。
確か、今国王陛下の傍にいるのは、ナズナって名前のロボットだったんじゃないか?」
私は、こくりと頷きました。
「そうだよね。国王陛下の奥さんはナズナの花が大好きだったからね。国王陛下が奥さんを忘れないために、ある種の戒めとして名付けたんだと思う。妻を亡くした記憶は国王陛下を苦しめ続けるだろう。呪いみたいなものかもしれないね。
ナズナの花言葉は知ってる?」
私は今度は首を横に振りました。あまり、花については詳しくないのです。
「そっか。ナズナはね、『あなたは私の全て』とか、『私の全てをあなたに捧げます』とか、そんな意味があるんだよ。国王陛下はいつまでも、奥さんのことを想い続けるんだろう。国王陛下がリベレーターの議長の座に居続けているのも、奥さんのような研究所による犠牲者を増やさないためだからね」
「そう······なんですか」
おじさんが話すのを聞いて、私が真っ先に思い浮かべたのは彼でした。彼は、私が自分の全てだと思っているかもしれません。実際何度かそう感じたことがあります。もしかすると、彼が呪いにかかったトーキョーでのあの日の時点ですでに、そう思っていたのかもしれないのです。
「なら一層、私とデト君がしっかりしないとですね」
そう言うとおじさんは、
「そんなに気負わなくてもいいよ」
と、私を安心させようとしてくれたのか、にこりと笑いかけてくれました。対して、全く不安のない私はむしろおじさんの方が不安がっているように思えて、申し訳ないと思いつつ顔が綻びます。
「大丈夫ですよ。私たちは無敵です。何が来たって、絶対に生き延びて見せます」
「そう?すごい自信だね」
「私には彼がついていますし、彼には私がついていますから」
「なるほど」
今度は苦笑いを浮かべたおじさん。そこへ、別の誰かの声がかかりました。
「おはよう。ここにいたんだ」
舵取り場へ上がってきたのは、寝癖そのままの彼でした。どうやら起きてすぐ私を探していた様子。
「目を覚ましたらいなくなってたからびっくりしたよ」
私の隣に来て、重そうな瞼をこする彼。ふと海の方を見ました。たちまちのうちに顔が穏やかになります。
「いいところだね」
どうやら、彼もここを気に入ったようでした。
「おはよう、デトラ君。今日の夜、一つ目の停泊地に着くけど、何かいるものはあるかい?」
おじさんがそう尋ねると、彼は少しの間考え込む様子を見せて、はっきりした声で答えました。
「特にないかな。そうだな、栄養剤があれば買ってきてほしい。コノハに栄養失調の気があるんだ」
「そうなのかい?」
私は大丈夫、と言おうとしましたが、その前に彼が私の腕をそっと掴み、袖をまくりました。肌が荒れて少々色素の薄くなった腕と、少々変色しつつある爪が露わになります。
「大丈夫だよ。もう慣れっこだし」
「それが問題なんだよ」
「これは······結構症状重いね」
「結構無茶してきたから」
私としては、長い逃亡生活の中でこうなったことは何度もありますし、そんな生活を経た結果体は強くなったと思っています。オーサカで少し上等なものに慣れてしまったので、食料が十分でなくなり症状が顕著になったのだとしても、またすぐに元に戻るでしょう。彼の心配は仕方がないとしても、私はおじさんに心配をかけて大事な金を私のために使われてしまうのが嫌だったのです。
しかし、彼もおじさんもこの件に関しては私の意志など関係ない、というように、頷き合っていました。優しい二人に対し申し訳なく思ってしまいます。
「じゃあ、邪魔者はどこかに行っておくよ」
おどけた様子で言って、おじさんは舵取り場を降りていきました。取り残される彼と私。
「私、本当に大丈夫だよ?」
「いや、この肌の色見たら大丈夫じゃないことくらい医者じゃなくても分かるよ」
私の言葉を頑なに受け入れようとしない彼。実は前々から心配してくれていたのかもしれません。
「でも、デト君は元気なままじゃん。私が能力使えば、デト君に近づける訳だから、元気になれるんじゃないかな」
「それは危ないよ。無理やり体の状態を変化させてるわけだから。素直にもらっておきなって」
「むう」
私はふてくされながら海を見ました。その隣で、彼も手すりに腕をかけます。
私たちは、そうしてしばらく壮大な自然に意識を任せていました。




