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少し、存在意義について語りたいと思う。  作者: ふきの とうや
第一章 shepherd's purse 後編
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密航 1

「でも、風景も楽しめないとなると退屈だね」


 灯りが照らす船倉の中で、私はつい愚痴をこぼしました。カナガワからの船旅では窓から景色を楽しめました。後半になると飽きてしまっていたとはいえ、景色を眺めることで時間が潰せていたことも事実です。


「二つくらい、プサンに行くまでに港に寄るらしいけど、食糧補充だけにしてなるべく急いでくれるらしいよ。多分、五日くらいでプサンに着くんじゃないかな。この船には研究所と繋がっているような人はいないし、おじさんたちの様子見てたら、甲板に上がっても怒られたりはしないと思う。今回は俺もずっとコノハといるしさ。大丈夫、五日なんてすぐだよ」

「すぐ着いちゃうのも嫌だけどね。まだ、心の準備が······」


 プサンに着く。それは、決死の作戦が現実になるということです。もはや、私だけでなく彼の顔も研究所には割れてしまいました。顔を見られないことを祈りますが、人の注目を集めてしまうバイクでの移動になります。どこかの時点で私たちの正体はばれてしまうでしょう。私は、まだ覚悟を決められないでいました。


「う~ん。仕方ないことではあるけどね。コノハが怖いって思う気持ちも分かる」

「デト君は怖くないの?」


 私は思わずそう尋ねました。私は何より、彼が死ぬことが怖かったのです。いつも、彼に死んでほしくないと思って、私が死ぬと彼は呪いで消滅してしまうことを思い出して、私も死にたくない、と思うのです。だからこそ、死ぬのが怖い。

 しかし、彼にはあまり怖がっている様子はありません。その理由が、私には理解できなかったのです。


 彼は、答えるのを逡巡する素振りを見せました。俯き、片手で遊ぶ彼。迷っている時の彼の癖。


 私がじっと待っていると、ゆっくりと彼の口が開かれました。


「本当は、俺だって怖いんだ。とても怖い。俺が死ぬのは別にいい。でも、コノハが死ぬかもしれないと思うと、脚がすくんで動けなくなりそうだ。


 それは、俺がコノハを守り切れるほど強くないからだ。守れるという確信を持てるほど、自分を信じられていないからだ。俺はどうしようもなく弱いんだよ。


 これまでだって、何度逃げ出そうと思ったことか。いっそ死にたいとまで思ったこともある。コノハと出会ったことを後悔したことはないよ。でも、このままコノハに辛い思いをさせてしまうなら、心中した方が幸せなのかな、なんて馬鹿な考えを持ったことは何度かある。


 でもね、コノハの笑顔を見てると、こんなことで悩んでる自分が馬鹿らしくなった。コノハの声が、俺の悲しみを溶かしてくれた。コノハの瞳が、俺の怒りを諫めてくれた。コノハの香りが、俺に喜びを思い出させてくれた。俺の傍には君がいた。いつだって君がいた。それだけで勇気が湧いてきたんだ。俺は、君がいるから強くなれた。


 俺は弱いよ。でも、『俺たち』は強い。だから、俺はもう怖がらない」


 いつの間にか、私の頬を涙が零れていました。彼も、私と同じように悩んでいた。彼はいつも私に代わって戦い、少しでもいい暮らしができないか考え、未来を幸せにするために思いを巡らせてきたはずです。きっと、私よりもっと辛かったはずです。それなのに、私はいつも慰めてもらってばかりで、彼のために何かできた記憶がありません。それでも、彼は私を愛してくれている。


 ならば、私がするべきことは明白です。彼を信じること。私たちは生き残れると信じること。怖がる必要はない。

 私たちは二人で一つ。私たちが力を合わせれば、できないことなんて何もない。


「そうだね、デト君。私たちは強い。覚悟できたよ」

「そっか。じゃあ、涙拭こうか。泣き顔も綺麗だけど、コノハはやっぱり笑顔が一番似合うからさ」


 そう言うと、彼は懐から紺のハンカチを取り出して、頬を拭ってくれました。彼の優しさに触れ、思わず笑みが零れます。


「さ、暗い話は終わりにしよう。そうだな、何かゲームでもする?」

「うん、するする。何するの?」

「そうだなあ」


 今度は笑顔で悩み込む彼。その横顔を、じっと眺めます。


 ふ、と彼が悪戯っぽい顔を見せました。


「愛してるゲームって知ってる?」


 その響きに、なんとなく嫌な予感を感じ取りました。彼がこういう顔をする時は、大体私をからかおうとしているのです。


「それ、何?」


 恐る恐る、彼に尋ねました。彼が意気揚々と答えます。


「一人が愛してるって言って、照れた方が負け。もし両方照れなかったら、言われた方がもう一回って言って、同じことを繰り返す。やらない?」


 絶対嫌だ、と言いそうになりました。負ける自信しかありません。


 しかし、折角彼が提案してくれたのです。無下にはできません。渋々、私は頷きました。


「よし、じゃあ俺の顔を見て」


 言われるがまま、彼と目を合わせます。吸い込まれそうになる、彼の紅い瞳。


 ただ見つめ合っているだけなのに、なぜか気恥しくなってしまった私は、つい、


「······ふっ」


と吹き出してしまいました。


「いや早い早い」


 彼のツッコミが入ります。ごめんごめん、と謝り、仕切り直してもう一度。


 すると今度は、彼が吹き出してしまいました。つられて私も笑ってしまいます。お互いに謝りあって、もう一度。


 日の光を反射し、煌びやかな海。佇む黒船に、私たちの声が響きました。

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