トーキョー 4
「でも、どうしてここまでしてくれるんですか」
私は彼に尋ねます。私に関わっていると、死の危険すらあります。それなのに、私を受け入れてくれる彼の優しさ、その理由が分かりませんでした。
彼が微笑をたたえたまま答えます。
「まあ、困っている人は助けたいからね。それに、君を襲った人造人間たちのベースは俺だ。間接的に君を殺そうとしたようなものだし、君を守るのは、俺の懺悔みたいなものだよ」
私は、そんな彼の言葉を必死で否定します。
「そんなことありません!あなたは全然悪くないです!研究所がしたことに、あんなやつらのしたことに責任を感じないでください!」
しかし、彼は全く意に介した様子もなく、
「まあ、俺が勝手に思ってるだけだから、気にしないで」
と言ってのけました。そう言われると反論もできず、言葉に詰まってしまった私。彼は話を続けます。
「なんて言えばいいかな。君が俺の赤い目を見て逃げようとした時、君が研究所と何か関係があるのは分かった。もしそうなら、俺だって無関係じゃない。嫌でも責任は感じるし、救いたいと思った。それに、君の話を聞いているうちに、君を守るのは俺の義務なんじゃないかって思ってね。迷惑じゃなければの話だけど」
「そんなっ、迷惑じゃないです。ないですけど······」
三年間も逃げてきましたが、一人が心細いのは変わりません。誰かが一緒にいてくれるのは嬉しい。でも、彼に危険が及ぶのが申し訳ないのも事実でした。
ところが、彼は、もじもじする私に構わず
「俺の存在意義が君を守ることだってだけだよ。結構話したし、疲れたでしょ。一旦休憩しよう」
と、強引に話を終わらせてしまいました。もしかしたら、私が悩んでいるのを分かってあえてそうしたのかもしれません。そうしたくなるほどに、私に迫る危険を理解していたのかもしれません。彼の真意は、結局分かりませんでした。
彼がマグカップを手に立ち上がった、その時でした。突然彼が、頭を抱え呻き始めました。どれだけの痛みが彼を襲ったのかは分かりません。マグカップが彼の手から離れ、床で大きな音を立てて割れました。カップの破片が飛び散り、コーヒーが宙を舞います。突然のことに驚いて、私は声をかけられず固まっていました。
しまいにはうずくまってしまった彼の全身の震えが治まるのに、何分かかったでしょうか。もしかすると、一分も経っていなかったのかもしれません。無意識でしょうか、彼の腕が動きます。私はただ、彼の広い背中を見ていました。
やがて痙攣が治まると、彼はすっと立ち上がりました。そして、心配いらない、と言おうとしたのでしょう、唇が動きました。しかし、言葉は発せられませんでした。彼の目は、じっと床を見つめていました。
「ど、どうしたんですか?」
私がやっと発することのできたのが、これでした。私の呼びかけにハッとするような動作をすると、彼は視線の先を私に移しました。
「君さ、さっき、呪いを信じるか、なんて言ったよね」
私はまったく話の流れがつかめないまま、なんとなく父のことかなと思い、
「はい」
と答えました。
「俺は、信じるよ」
やっぱり訳が分からない私は、ふと床に目線を落としました。そして、私の目が自然に見開かれるのを感じました。
「シェパーズ・パース?」
カップの破片で指を切ったのでしょう。彼の血で、床は文字が描かれたように汚れていました。そしてその文字は、『Shepherd's purse』と読めたのです。
困惑する私に、彼はぽつりと言いました。
「俺も、呪いにかかったみたいだ」
······しばらく、沈黙が二人を襲いました。私は、この事実を理解するのにかなり時間を要しました。彼にしても、同じだったかもしれません。彼本人が、信じられない、という顔をしていました。夏も近いのに、不気味な寒さを感じました。
その沈黙を破ったのは、私でした。
「えっと······こうも唐突に呪いにかかったなんて言われると、ちょっと信じがたいんですけど、あの、呪いって存在意義の呪いで間違いないですよね」
「ああ、そう······だと思う」
「じゃあその、存在意義とか、能力とか、分かりますか?」
私の言葉に、彼は深く頷きました。しかし答えは、
「存在意義は、君を守ることだ。能力は······悪い、言いたくない。いつかは言うことになると思う」
と、なんとも歯切れの悪いものでした。私は、彼の申し訳なさそうな様子を見て、能力について聞きだすのは諦めました。それよりも気になったのは、
「それってつまり、私のせいで呪いにかかったってことですよね。なんで、こんなことに······」
呪いの原因が私であることでした。これでもう、彼と無関係でいることはできない。彼を私の事情に巻き込んでしまった罪悪感が、胸に広がりました。
そんな私の頭に手を置き、彼は優しく微笑みました。
「まあ、そう気に病むことはないよ。君と出会ったことが引き金になったってだけで、もともと俺は呪いにかかる運命だったんだろう。さ、床を綺麗にしないとね」
もう普段通りに戻ってしまった彼は、部屋から出ていきました。私はと言うと、彼に気を使わせてしまったのであろうことへの申し訳なさと、すぐに普段通りに戻れる彼の強さへの感嘆でうなだれてしまっていました。
そしてそれから、大体一か月が経ち、夏の暑さが本気を出し始めました。熱中症の注意喚起もされ始めています。しかし、高い壁のそばの日陰の小屋に籠る私は、あまり暑さを感じずに過ごしていました。
二週間前に松葉杖を使って歩く練習を始め、そして今日、松葉杖を使わずに歩くリハビリも始めました。なんでも、輸血に使った彼の血には、人造人間ならではの回復力を高める遺伝子か何かが含まれているらしく、回復が速いのはそのためではないかと。おそるべし、人造人間。
一か月も一緒に暮らしていると、彼との付き合い方も分かってくるものです。特に意識するでもなく、いつの間にか彼は私をコノハ、私は彼をデト君と呼ぶようになりました。
当然と言えば当然ですが、彼は私よりも年上です。しかし、その差は三歳、思っていたよりも少ない。つまり、私が生まれてからデト君は人造人間になったということでしょう。彼の気配りの結果かどうかは分かりませんが、私はあまり歳の差を感じずに過ごしていました。
「デト君、なんか手伝おうか?リハビリついでに朝ご飯一緒につくるよ」
松葉杖を使うようになってから自由に歩き回っていた私は、この小屋にベッドの部屋以外には調理室(と言っても普通のキッチンがあるだけ)と物置部屋、そして玄関しかないことを知っていました。この日私は、キッチンに立つ彼の隣でそう提案してみたのでした。すると案の定、
「やめときなよ。松葉杖使わずにリハビリしようとは言ったけど、まだずっと立っとくってのは危険だよ」
と諭されました。まあそうだよね、ととぼとぼベッドの部屋に帰る私。すると彼は、思い出したように言いました。
「そう言えば、一週間後の夜にちょっとした祭りがあったっけか。ずっと家の中だと気詰まりでしょ。気分転換に、一緒に行く?一緒なら安全でしょ」
私の顔がぱあっと明るくなりました。そんな私を見て、彼の顔も綻びました。