オーサカ 9
ナズナに連れられ通されたのは、国王の居室の三つ隣の部屋でした。灯りが点いていないので薄暗いですが、国王の居室と変わらない大きさで、奥には二つの大きなベッドがありました。床に敷かれた緑の絨毯はところどころ綻んでいますが、やはり立派です。
「不必要ニ部屋カラ出ナイヨウニシテクダサイ。ナズナハ国王ノ部屋ニイマス。ゴ用ガアレバオ尋ネクダサイ。トイレハ隣ノ部屋デス」
相変わらずのキイキイ声で喋るナズナにお礼を言って、私は扉を閉めました。ようやくまた、私と彼の二人だけになれました。色々と予想しなかったことが起きて、知らず知らずのうちに疲れていたらしい私は、そのまま床に座り込みたくなりました。
彼の方はと言うと、疲れているかどうかは分かりませんでしたが、笑顔ではありませんでした。暗い表情のまま鋭い視線の先を床に落とすと、彼は壁際にリュックを置いてふう、と息を吐きました。
「大丈夫?」
そう声をかけると、彼は振り返りちょっと笑って、大丈夫だよ、と答えてくれました。
「コノハの方こそ大丈夫?コノハの家族の話もあったし、コノハがまた泣いたりしてないか不安だったんだ。俺には家族がいないから、そういう気持ちは分からないからさ」
「私は全然だいじょう······」
大丈夫、と言おうとしたところで、私は自分の頬が濡れていることに気づきました。勝手に涙が流れていたのです。
「あれ、おかしいな······」
頬を拭ってどうにか笑おうとする私ですが、涙は止まるどころかどんどん溢れ出てきます。焦って彼に背を向けましたが、更に嗚咽が込み上げてきて、私は途方に暮れてしまいました。彼が近づいてくる気配がして、取り繕おうとしますがうまくいきません。
結局、彼の腕が私の背中に触れ、慰められる状況になりました。不甲斐なさや申し訳なさでいっぱいになりますが、しかし彼の腕を嬉しく思ったのも事実で、私は彼に体を委ねるようにもたれかかりました。
近くに椅子がなかったのでベッドの縁に座って、彼に背中をさすってもらっていた私ですが、なかなか涙が止まらずかなり長い間彼にそうしてもらう羽目になりました。自分でも何故泣いているのか分からないのが、不思議と言えば不思議でした。やはり母の記憶は、今の私にとって悲しいものなのでしょうか。
それでもどうにか泣き止んで、余計に疲れてしまった私はぽふっとベッドに身を任せました。私の顔を心配そうにのぞき込む彼。優しい彼に、私は笑顔を作って言いました。
「デト君、家族がいる気持ちが分からないとか、そんな悲しいこと言わないで。今は私がいるじゃん」
「ん······うん、そうだね。ごめん」
目を伏せる彼。私は続けて、努めて静かに言いました。
「それでさ。私と本当の家族になろう。ヴィリュイスクに着いた後、全部が終わった後でいいからさ。結婚しよう」
しばらく、彼の反応はありませんでした。何を言われたのか理解できない、という様子でぴくりとも動きません。そこまで驚いた彼を見たことがなかったので、私は思わず声を立てて笑ってしまいました。そこでようやく、彼が我に返ったように私の目を見返しました。
「いいの?そんなこと······俺なんかと······」
「もちろん!あ、でもその時はデト君の方からプロポーズしてね」
「うん、うんっ······」
今度は彼が泣きそうになって、私は彼の頭をぽんぽん、と叩きました。彼は囁くように笑いました。そして、私たちは世界で一番静かなキスを交わしました。
一週間はすぐに過ぎました。そして訪れた、出発の日。
どうやら聡明な彼と技術者の国王は意気投合してしまったらしく、彼が昼間は国王の居室に入り浸るようになってしまい退屈になり始めていた頃でした。国王に知らないことを教えてもらった後は、嬉々として私に説明してくれるのですが、あまりに難解なので取り敢えず相槌を打つしかありませんでした。オーサカに来てから五日目には、彼が新しい技術を思いついたとかですごく盛り上がっているのが聞こえてきました。羨ましいのと退屈とで部屋をごろごろ転がりまわっていた私は、終いにはコノハナサクヤ相手にぶつぶつと話していました。
そして無機物と心を通わせる術と、過去の超文明の技術をそれぞれ身に着けた私たちは、塔の一階、埃まみれの部屋に案内されていました。
「ここに、我がオーサカが誇る国宝がある。そのうちの一つをお前たちに託そう」
そう言われ通された部屋の奥には、なんだかよく分からないものが三つ置いてありました。流線形の本体に棒が取り付けられています。かなり太い車輪が二つ。正面にはおそらく灯りと思われる丸いものがあり、本体にはそれぞれ赤、青、黒の塗装がなされています。
「これは······?」
彼が尋ねると、国王は芝居がかった仕草で勿体ぶって話し始めました。
「これは、審判の日以前は自動車に次いでメジャーな移動手段だったものだ。どれも私が一から製造した。電気で動くように造っているから、正確には少し異なるがね。燃料も全てお前たちに渡そう。きっとお前たちを助けてくれるはずだ」
そして、口をつぐみ悪戯っぽく黙る国王。これが何なのか知りたくてうずうずしだしたところで、国王はやっと教えてくれました。
「これは、バイクと呼ばれていたものだ」




