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少し、存在意義について語りたいと思う。  作者: ふきの とうや
第一章 shepherd's purse 前編
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ワカヤマ 6

 朝食を終えると、彼は間もなく外へ出かけていきました。なにか仕事を見つけて金を稼ぎたいようです。


「研究所があんなにあっさり引き下がるのはおかしいから、何かあるかもしれない。なるべく早く帰るようにするけど、気を付けてね。外国人の俺を雇ってくれるところがあるかは分からないけど、とりあえず日雇いでもなんでも見つけてくる」


 そんな言葉を残して出ていった彼。さらっと恐ろしいことを言われた気がしますが、気にしていたらきりがありません。とにかく私は、再びやってきた一人の時間に楽しみを見出す努力をすることにしました。


 とりあえず、お茶を沸かし。お茶ができるまでの間椅子に座ってぼんやりし。お茶ができれば一口すすって一息つき。そして結局、何もすることがなく椅子に座り続けていました。


「裁縫も飽きたしなあ」


 誰に言うわけでもなく呟きます。もちろん妙案が浮かぶわけもなく。ただただ無駄に時間を食いつぶしました。

 どうしようもなくなった私は、水を浴びて気分転換でもしようと思い立ちました。日の差し込まない、じっとりした空気のこの木造小屋に閉じこもっていると、陰鬱な気持ちになってしまうのでした。


 キッチンの横にはまるで目立たない引き戸があり、その先には小さな部屋がありました。部屋の半分は、四角い石の井戸が占めています。床には若干の勾配があり、水が部屋の外へ流れていくようになっていました。


 私は引き戸の前で服を脱ぎ、リュックから取り出した布と一緒に引き戸の傍に置いて部屋に入りました。少し肌寒くて足をさすると、トーキョーで負った太ももの銃痕に指が触れました。もはや包帯すら巻いていません。この傷も、今となっては思い出の一つです。


 井戸を覗いてみました。井戸の水は澄み切ってはいましたが、葉っぱや蜘蛛の巣が浮いていたりします。しかし、体を拭くことしかできなかった船上やワカヤマまでの行程を思えば、水を浴びれるだけまだましです。

 桶を手に取り、水を汲みました。体の前で構えます。冷たいんだろうな、と水をかぶるのを一瞬ためらう私。覚悟を決めると、私は一思いに頭から水をかぶりました。


「冷たっ!」


 分かってはいても、声を上げてしまいました。肌がきゅうっ、と引き締まり、体が縮こまります。それでも、そこで止めると余計に辛いのでその後も三回ほど、一気に体に水をかけました。

 素早く体を手で拭い、桶を元に戻したところで冷たさに耐え切れなくなって、部屋を飛び出しました。すると外の空気が濡れた体に触れ、余計に寒い。


 急いで体を拭き、髪の毛が濡れたままなのにも構わず服を着ました。そして布を手にしたまま椅子に座り、私はようやくほっと息を吐きました。髪を顔の横に流し、布で絞ります。ぽたぽたと床へ落ちる水。染みになるかな、と心配しますが、水滴は床に溶けるように消えていきました。

 髪がある程度乾くと、今度は髪をとかし始めました。若干指が髪に絡みますが、船を降りた時に比べればかなりマシになりました。


 そんな折。冷たい水で頭が冴えたからでしょうか。ふと、絵が描きたくなりました。ちょっとした思い付きでしたが、無性に描きたくなったのです。


 とは言っても、書くものなんて当然持っていません。どうしようか、とテーブルに目をやると、都合よく白い石がありました。そう言えば、昨日家に入るときに蹴飛ばしてしまった石をテーブルの上に置いた記憶があります。

 手に取ってみると、丁度指の間に挟めるくらいで、私の手にとても馴染みました。その石でテーブルを引っ掻いてみると、生木のままのテーブルには簡単に白い傷が刻めました。


 これはいい、と思い、私はその石を使って絵を描いてみることにしました。元々薄汚れた家です。今更テーブルに少し傷を増やしても怒られはしないだろう、と思ったのでした。

 そうと決めたら、後はやってみるだけ。私はテーブルをガリガリと削っていきました。私と彼が並んで立っているところを描こうとしたのです。


 しかしこれが意外と難しく、思うようにできません。予期せぬところで線が繋がったり、変な具合に曲がったりと、ひどくいびつな形になりました。


 一時間ほど苦闘し、出来上がったのは小さい子供が描いたような棒人間の私と彼。髪型の違いで辛うじて私か彼か区別できるような、そんな代物でした。

 それでも私は、私と彼がここにいるという証拠が残せたような気がして、妙に満足していました。


 気付けば、どうやらお昼時になっていたようでした。私のお腹がきゅるきゅると小さな音を立てます。はしたないなあと思いつつ、私は一旦テーブルを離れ、台所で調理を始めました。


 きのこのスープが出来上がり、私の一人ぽっちの静かな昼食が始まりました。スープの香ばしい匂いが部屋を満たします。スープの熱さに手を焼きながら、少しずつ、ゆっくりと食事をしました。


 そんな時でした。突然外から奇声が聞こえてきたのです。笑っているような泣いているような、その妙な金切り声の主は、どうやら外にいるようでした。私は一抹の不安を拭えません。もし家に入ってこられたらどうしようと、ただそれだけを考えていました。


 その声は長い間続きましたが、しばらくすると声の主は家に帰っていったのか、ぴたりと止まりました。私はほっと胸を撫で下ろします。


 今朝の彼の話の通りなら、ここにいる人たちは皆麻薬中毒者ということになります。彼らをかわいそうだとは思いますが、同時に怖いと思いました。もし私一人でワカヤマに来ていたなら、私は平常でいられたでしょうか。


 それから時間が経ち、日が暮れかけた頃、彼が帰ってきました。


 彼は、椅子に座っている私を見ると優しく笑って、私の隣に座りました。


「今日は運がよかった。どうしても人手が足りない仕事があってね、今日だけだけど手伝わせてもらったよ。割と給料も弾んだし、ちょっと安心だね」


 声に嬉しさを滲ませる彼。対して私は、自分が思っていたより一人が怖かったのでしょうか、暗い顔をしていたと思います。そんな私の様子に気づき、彼は心配そうに私を見ました。優しい彼。私の口からは、自然とこんな言葉が出ていました。


「デト君、今日は一緒に寝てほしいな」


 すると彼は、少し驚いたような顔をしました。そして尋ねてきます。


「コノハがそんなこと言うなんて珍しいね。どうしたの?なにか不安になることでもあった?」


 私はこっくり頷きました。彼は、そう、と呟くと、


「分かった。久しぶりに、一緒に寝ようか。たまにはこういうのもいいでしょ」


と言ってくれました。そこでようやく私は安堵し、笑うことができたのでした。

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