ワカヤマ 4
管理官に従って歩いていく私たち。初めこそワカヤマの景色に圧倒されましたが、次第に周りの目の方が気になりだしました。
通り過ぎる彼らの目は、決して歓迎の意を湛えてはいません。むしろ、敵意すら感じられます。憎々しげに見つめられて、私は居たたまれなくなりました。事前に彼から、ワカヤマ外から来た人間には閉鎖的だと聞いてはいましたが、これほどとは思っていなかったのです。
そのまま十分ほど経ったでしょうか。唐突に家の列が途切れ、空白ができました。それは通りというよりは、ある特定の地域を丸く囲むように現れました。
そして、何もない土地に囲まれた、小さな村のようなその場所こそ、私たちが目指していた場所、外国人居留区なのでした。
都市の中央に向かって七軒ほど木造の平小屋が立ち並び、すこし大きめの通りを挟むようにして同じように平小屋が並びます。奥に目をやれば、同じ形の家が三軒、入口をこちらに向けてありました。
「着きました。ここが、外国人居留区です。お二方は、左側五軒目をご利用ください」
「分かりました。案内ありがとうございます」
「では、研究所には新たに二人滞在、という形の報告でよろしいのですね?研究者ということは伏せて」
心配、というよりは厄介事に対する不安の面持ちでこちらを見てくる管理官に、私たちは頷きました。
「はい、それで構いません。ありがとうございました」
すると管理官は、不承不承といった感じで門の方へと帰っていきました。
「じゃあまあ、行ってみようか」
彼に言われるまま、私は足を踏み入れました。
そして、すぐに気づきました。
······見られている。
姿が見えた訳ではありません。しかし、感じるのです。それも一人どころではなく、そこにあった家のほとんど全てから。私は、首筋に寒いものを感じました。
そしてそこに漂ってくる甘ったるい匂いの煙。出所は分かりません。おそらくどこかの家から。その、若干紫がかった煙に、私は薄気味悪さを感じました。何か、人が触れてはいけないもののように感じたのです。
「大丈夫、コノハ?」
「うん、一応」
そう答える私でしたが、何となく意識に靄がかかったような感覚になりました。煙のせいでしょうか、視界がぼんやりしてきます。
そんな私の様子に異変を感じたのかは分かりませんが、彼は息を吸うような仕草をすると顔をしかめ、私の鼻と口を覆うように手を添えました。
「早く行こう。これはあまり吸わない方がいい」
彼の小さな声に頷き、私たちは歩みを早めます。そして、管理官に言われた家の前に立ちました。
それはやはり他の家と同じ、屋根が平な一階建ての小さな建物。木造建築のその家の周囲には、手付かずの雑草がはびこっています。窓は付いていますが天窓はないようで、中の様子は分かりません。不気味、というのが何よりも先に頭に浮かびました。
そして、そうやって軽く家の観察をする間にも感じる視線は減りません。むしろ、より強く感じました。
いよいよ私たちはキイキイ鳴る扉を開け、中に入りました。そして、すぐに気づきました。その家は、入り口に立っただけで中の様子が全てわかるようになっていたのです。
まず入ってすぐに左手方向に目を向ければ、二段ベッドが目につきました。左奥には壁に備え付けられたキッチンと思しき台。あれでは、入口に背を向けて調理をしなければなりません。そしてその隣、右奥にはこれまた壁にくっつけられたテーブル。向かいあって食べることを想定していないのでしょうか。加えて、入って右側には小さなタンス。しかしこれは虫食いの跡が目立って、あまり使いたいとは思えませんでした。
彼の顔を窺うと、やはり彼もあまりこの家を気に入っている訳ではないらしく、顔をしかめていました。しかし、
「まあ、住めるだけましか」
と言うと、タンスの横にリュックを下ろしました。私もここに住むための支度を手伝います。
そして一息ついた頃、私たちはテーブルの傍に準備されていた椅子に隣り合って座りました。向き合って座れないなと思いましたが、彼との距離が縮まって、これはこれでいいかもしれません。
「コノハ。さっき少し様子がおかしかったけど、本当に大丈夫?」
彼が私の顔を覗き込むようにして訊いてきました。私は小さく頷いて、
「でも、ちょっと変な気持ちになったよ。なんかあの煙、嫌だな」
と言いました。それに応えるように、彼も頷きます。
「確証はないけど、あれは体にいいものではないと思う。むしろ、毒、みたいな」
「毒?」
驚いて、私は思わず声を上げました。彼は慌てて、
「そんな気がするだけだよ。研究所が管理している訳だから、そんなことはないと思うけどね」
と弁解しました。そっか、と小さく呟く私。すると今度は別のことが気になりました。
「でも、ここは研究所の直轄地でしょ?ここにいて大丈夫なの?私たちがここにいることがばれたら殺されるかもしれないのに」
すると彼は、なにやら自信ありげな様子で答えてくれました。
「研究所は多分、俺たちがワカヤマまで来ていることは知らないと思うよ。それに前も言ったけど、ワカヤマ支部は油断している節があるし、予想もしてないんじゃないかな。コノハの顔は知られてるけど、多分俺の顔なら見られても問題ないと思う。サングラス着けてれば、赤い目も誤魔化せるしね」
「そういうものかなあ」
「灯台下暗し、だよ。大丈夫、もしばれてもまだ逃げればいい」
「うーん」
彼にしては楽観的すぎるような気もしましたが、取り敢えず私は了承しました。彼の言うことなら大丈夫だろう、という気持ちが、私の中にあったのです。
その後、彼がサングラスと食材を買ってきました。その日は彼が料理を作って、落ち着いた食事をとりました。
そして夜になりました。彼が二段ベッドの上を、私が下を陣取りました。木のベッドは硬くて寝づらかったのですが、私はどうにか眠りにつくことができたのでした。




