船旅 4
日が昇り、水平線に沈み、星が煌めき、見えなくなり。一日経って、二日経って、三日、四日。そうして船旅を始めてから五日経って、初めは美しかった海もつまらなく感じていた日の昼間のことです。
船窓の風景からは緑はすっかり見えなくなり、昨日までは不気味な赤色の砂漠が見えていましたが、今朝からはごつごつとした黒い岩が目立つようになっていました。
ちょうど太陽が船の上に来ているのか、ほんのり暗くなってきたその部屋で、私と彼はのんびりとくつろいでいました。床に座って私を見上げる彼の前で、ベッドに腰かけた私は完成したシャツをお披露目します。
彼が見守る中、私は彼のTシャツをぴろりと広げてみせました。もともと無地だった黒いシャツには、私の刺繍が。それは、色とりどりの大きな花の模様。下から上へ生えているかのように、白や緑や赤で飾られていました。
「どうどう、これ!なかなか頑張ったんだよ!」
得意げに見せる私。彼はというと、驚いたように目を見開いて、シャツをまじまじと見つめていました。
「これはすごいな。商品みたいだよ。俺がいない間に?」
私はうん、と頷きながら、褒められた嬉しさでぴょんこぴょんこ跳ねました。幸い、ベッドがよく弾んでくれます。
「でもこれ、俺が着て似合うかな」
訝しく思っている様子の彼。まあ着てみてよと差し出すと、案外すんなり着てくれました。
さて、そのシャツを着てみた彼がどうだったかというと。
「あ、意外と似合ってるよ!」
「意外とってどういうことかな?」
彼が普段柄の派手なものを着ないためか、いつもよりお洒落に感じられました。そんな彼の姿が新鮮で。そして、自分の格好が不安なのかまじまじと見られるのが気恥しいのか、居心地の悪そうな彼の様子に、私は思わずふふ、と息を漏らしました。
「あ、笑ったなー。やっぱり似合ってないんでしょ」
「違う違う、そうじゃないよ。デト君があんまり不安そうだから面白くて」
口許が緩むのを抑えられないまま、私は言いました。彼は一瞬むう、と唸った後で、にっこり笑いました。
「よし、これお気に入りにするよ。ありがとう」
彼にお礼を言われて、ちょっと恥ずかしいような、嬉しいような心持ちで微笑みました。私たちの間に、温かいゆっくりとした空気がありました。
「そういえば」
ふと、私は思い出しました。それは、船に乗ることになった時からずっと気になっていたこと。ずっと彼に尋ねようとして訊きそびれていたことでした。
「デト君、ワカヤマについては何も言わないけど、何か知ってたりする?」
「あーそっか。明日一日船に揺られればワカヤマだし、やっぱり気になるよね」
すると彼は、うーんと首を捻り、悩み込む仕草をしました。やっぱり知らないのかなあ、と思っていると、返ってきたのは意外な答えでした。
「一応知ってはいるんだよ。ちょっとの間住んでたこともあるし。ただ、あんまりいい思い出がないというか、コノハには言いたくなかったというか······」
「住んでたの?」
「ちょっとの間だけね」
なら、是非とも教えてほしいものです。次の目的地について、私は何も知らないのですから、多少なりとも不安がありました。
そして興味津々に私に見つめられ、彼は一瞬逡巡する素振りを見せたものの、あきらめたように言いました。
「ワカヤマはね、俺が生まれた町なんだよ」
「······そうなの!?」
てっきりトーキョーで生まれたとばかり思っていた私はひどく驚きました。ワカヤマからトーキョーまでは、今しているように船を使わないといけないほどの距離があります。研究所からの逃亡のために似たようなことをしていた私も人のことは言えませんが、もし徒歩で移動したなら超人です。
そんな私の反応に面食らいながら、彼は話を続けました。
「生まれたって言ったって、誰かの子供として、って訳じゃないよ。人造人間として研究所の中で生まれたのがワカヤマってだけで。正直に言うと、人造人間になる前のことは覚えていないんだ」
「······そっか」
私は、今更ながら聴いてはいけないことを訊いてしまったような気がして、申し訳ないような、後ろめたい気持ちになりました。彼もそんな私の様子に薄々気付いたようでしたが、話し始めた以上最後まで伝えなければならない、という義務感のようなものを感じたのでしょう、話すのをやめようとはしませんでした。
「まあでも、一応覚えていることと知識として知ってることを教えるよ。ワカヤマは国内の八十パーセント以上森林で覆われててね。いたるところ、家の合間にも大きい木が生えてたりするんだ。鉄が少ないから、木材って貴重でしょ。ワカヤマは林業ですごく栄えているんだ。木材を研究所に提供しているから、余計にね。ただ、その分研究所との癒着が強いけど」
「それ、私たちが行っても大丈夫なの?」
「研究所のワカヤマ支部はね、俺を造り出すことに成功したってことで、数ある支部の中でも優遇されてるんだよ。金もあるしトラブルもないから油断して、結構監視が緩んでるんだ。それに、まさか研究所も俺たちがカナガワからいきなりワカヤマに来るとは思ってないだろうし、数週間ぐらいなら大丈夫じゃないかな。俺も成長して結構顔変わってるし」
「そうなんだ」
それを聞いて、ひとまず安心する私。慣れない船旅で少しく休みたいと思っていたので、これは朗報でした。
「ああ、でもね。審判の日直後は木材資源を巡って結構激しい戦いがあったからなのか、外国人には閉鎖的なんだ。ワカヤマ内の人だけで団結してるっていうか。だから、確か外国人が住めるのは外国人居留地だけだったと思う。言ってみれば隔離みたいなものだね。もしかしたら俺たちは商人さんたちの宿に泊まれるかもしれないから、そんなに心配はしてないけど」
「そっかー。ちょっと怖いね」
「外から来たからってだけで殺されたりはしないよ。大丈夫」
彼の言葉に頷く私。それでも一抹の不安は拭えませんでした。
そして、その夜。
いつも見える星明りは黒い雲の向こう。雨が窓を激しく叩き。ランプは左右に暴れまわり。頭上からはせわしない足音。部屋中が軋み。棚は倒れ花瓶は割れて。
彼は部屋を出ていったきり戻ってきません。私はひたすらベッドにしがみついていました。
一際大きく船が揺れ、私の体が一瞬浮き、そして次の瞬間には床に叩きつけられました。
「痛っ!」
こんな時私を慰めてくれる彼が傍に居らず、私は不安で押し潰されそうでした。
私たちの船は、大嵐に襲われたのでした。




