船旅 2
出港してしばらく経つと、船の揺れが大きくなりました。カナガワからワカヤマまでは海岸沿いに行けばよいのですが、何しろ巨大な船です。浅瀬に乗り上げてしまってはいけません。岸の様子が何となくわかる、という程度に岸から離れ、船は進んでいました。結果、波の上下が大きくなったのです。
といっても、船酔いするわけでもなく、私はいつも通りにいられました。私は。
しかし、彼は違いました。先ほどから窓を開けて身を乗り出し、ゲエゲエ吐いている彼の背中をさすります。
「デト君は運動神経いいから平気そうなのにね」
と言葉をかけたりして、どうにか彼の気を紛らわそうとしますが、全く効き目がありません。一瞬吐き気が治まった彼が、
「ハア、ハア、船酔いは、ハア、······運動神経いい方が、ハア······しやすいんだ、うっ」
と息切れしながら答えてくれましたが、また吐きました。私はどうすればいいか分からず、オロオロと彼の背中をなでるばかりです。
しかしそんなことも、一時間も経てばかなり治まりました。青い顔でソファに座っている彼。
「だいぶん治まったね。もう大丈夫そう?」
そう尋ねると、全然大丈夫じゃなさそうな様子で
「うん、問題ないよ。多分」
と教えてくれました。多分がついてある当たり、大丈夫ではなさそう。
そんなところへ、船長がやってきました。ガチャリとドアが開き、ズカズカと入ってきた船長。
「落ち着いたか?甲板までお前の吐く声が聞こえてきたぞ。情けねえなあ」
第一声がそれでした。馬鹿にするような言い方にムッとする私。
「嫌味を言いに来たんですか?だったら止めてください」
すると船長は、おー怖い怖いとおどけてみせました。そして、言葉を継ぎます。
「そんな訳ねえだろう。飯の時間だ、甲板に来い。酔い止めも渡す」
そして船長は部屋を出ていきました。彼の方を見ると、徐々に頬に赤さがもどりつつありました。
「行ける?」
「ああ、大丈夫。行こうか」
立ち上がる彼。ふらつくのを、とっさに支えます。彼がありがとう、と微笑むのを、不安な心持ちで見ていました。
さて、甲板へ上がると、外はすっかり夜の様相でした。空いっぱいの星の明かり、床に置かれたランタンの灯で、甲板は昼間と違って幻想的で。私はすっかり舞い上がってしまいました。
「おい、こっちだ」
声のした方を見ると、舵の下の部屋の前で、船長が手招きしていました。その足下には、茶色い小包が四つ。私たちは興味津々で近寄ります。
近くでみると、包みは大小二つずつあります。
「お二人さんの分はこれぐらいしか用意できなくてな。干し肉とおにぎりだ」
「いや、十分だよ。ありがとう」
「おにぎりって、具入ってたりしますか?」
「ない。一応塩で味付けしてある。明日には、沖売りに会うだろうから、その時にお二人さんの食糧を確保する」
「沖売り?」
私の疑問に、彼が答えます。
「沖で直接食糧を売る船のことだよ。海の屋台、みたいなものかな」
「へえ、博識だなあんちゃん」
私が言うはずの言葉を船長に盗られてしまいました。むう、と頬が膨らみます。それでも、彼が褒められたのが自分のことみたいに嬉しかったので、なんとも妙な気持ちになりました。
船長が私たちに尋ねます。
「ここで食ってってもいいぜ。どうする?」
私たちは顔を見合わせ、目でどうする?と訊き合いました。言葉を発さずに部屋?なんて口を動かし、結局彼が、
「部屋で食べるよ」
と答えました。そうか、と話す船長に別れを告げ、私たちは部屋へと戻りました。
部屋に入ると、まず洋灯の蠟燭に火を点け、それから床に座り込みました。包みを広げると、大きい方には薄く切られた干し肉、小さい方にはおにぎりが。冷めてはいますが、二つとも香ばしく実においしそう。
「なんだかんだ、船長って親切だよね」
「そうだね。商人のおじさんといい、カナガワに来てから感謝したいことが増えたよ。もちろん、コノハにもね」
「私?」
「うん。コノハがいるから、頑張れてるから」
「でも、私の方が感謝してると思うよ、デト君に対しては。デト君が傍にいるのが、いつも本当に嬉しいんだよ」
そんな会話をしながら、おにぎりにパクつきます。少ししょっぱいですが、おいしい。ささやかな幸せが、私の心を満たします。
そんなことを思いながら、
「デト君、今日はベッドで寝てね。いつ吐き気催しても大丈夫なように」
と声をかけました。彼はかなり渋った顔をしましたが、いかにも本意ではないという様子で頷きました。
窓の外で、星が静かにきらめいていました。




