カナガワ 8
ぽかん、と口を開けたまま、じっと船を見ていると、太陽をバックに、甲板から港に渡した板を伝って、一人の男性が下りてきました。よく焼けた肌に無精髭、筋骨隆々の体、無造作に伸ばした金髪、まさに海の男、な見た目の人でした。
男の人は、こちらに気づくと、にかっと笑って向かってきました。その堂々たる歩き方で、私の目を引きつけます。
男の人と私たちとの距離が詰まり、ふっと男の人の腕が上がりました。それに応えるように、商人のおじさんも腕を上げます。
「やあ、ご苦労さん、船長。商品は積み終わったのかい?」
「ああ、今しがた完了したとこだ。そっちのお二人さんが、お前が言ってた奴か?」
そう言って、船長と呼ばれた男が私たちを見ました。商人のおじさんが、そうだと答えると、船長は私たちのほうに向きなおり、私たちはまじまじと見つめられるはめになりました。
船長は、私たち、特に彼を見て、ふむ、と何かを分かったように呟きました。
「なるほど、なかなかいい体してんじゃねえか。こき使うにはちょうどいい」
そのぞんざいな話し方に呆気にとられ、私は思わず
「こき使うなんて、やめてください。普通に使ってあげてください」
と、よく分からないことを口に出して言いました。その言葉の何が琴線に触れたのかは知りませんが、船長はがっはっは、と豪快に笑って答えます。
「こりゃあいい。気の強え女は嫌いじゃねえ」
「別に気は強くないですよお」
ふてくされて、私は頬をふくれさせました。隣で、ふふっ、と彼が笑うのが聞こえます。
「さあ、早く乗れ。じき、出港する」
船長に促され、私と彼は船にかけられた板まで歩き、板に足をかけました。ここで、商人のおじさんとはお別れです。私たちは、ここまで見送りに来てくれたおじさんにお礼を言おうと、振り返りました。おじさんは、私たちと話すときの柔和な笑顔で、立っていました。
「こんなによくしてくれてありがとう。あなたに出会えてよかった。この恩は絶対忘れません」
「またいつか、カナガワにゆっくり遊びに来ますね。もし見かけたら、声をかけてください」
そんな私たちの改まった言葉に、おじさんは頷いて返します。
「私のほうこそ、君たちに会えてよかった。久しぶりに愉快な日々だったよ。達者でね」
私は思わず涙ぐみ、はい、と返事をしました。板を上り始めた彼に続き、私も甲板を向いて進み始めました。
ギシリ、ギシリと板をたわませ、船体で日の隠れた中を上りきると、パッと太陽が現れ、私はまぶしさでよく見れないままに甲板に上がり、港の方へ振り返りました。そして、まだそこで立っていたおじさんに、手を振りました。おじさんも応えるように、軽く手を振ったあと、街の方へ戻っていきました。
その後ろ姿を感慨深く眺めていると、私たちを追うように船長が上がってきました。
「準備ができ次第、出発する。だがその前に、乗組員たちにお二人さんを紹介しなきゃならねえ」
「分かった。ここで待っとくよ」
船長と彼の会話をぼんやりと聞きながら、私は体を船の内側に向けました。そこに広がるのは、こげ茶に塗られた、甲板を形成する細長い木の板たち。目の前にあるのは、四角い囲いで固定された、立派な柱。上に目を向ければ、柱に巻きつけられた太い荒縄、畳まれた白い帆。甲板上に目を滑らせれば、船の内部に続くと思われる、格子で覆われた正方形の穴。その傍に、立派なマストがまた一つ。さらに奥には階段があり、上った先には私の肩の高さまであろうかという大きな舵。
初めて乗る船にちょっとした興奮を覚えながら見回していると、いつの間にか船員さんたちがぞろぞろと集まっていました。
半数以上が上半身裸という、どこに目をやればいいか分からない状況になり、私はじっと彼だけを見つめていることにしました。
船長が私たちの隣に立ちます。その周りを、乗組員たちに囲まれました。その場の全員の注目が船長に集まったところで、船長は乗組員に向けて語り始めました。
「紹介しよう。今回の航海で同乗する、零村デトラと柊コノハだ。一週間もない間だが、お前ら、面倒ごとは起こすなよ?いつも言ってるだろう、俺は後味が悪りいのは嫌いなんだ」
そして、なんと船長はそれで話は終わりと、その場を立ち去ろうとしました。しかしそこに、船員の一人が声をかけます。見ると、無精髭を生やした、赤髪、中肉中背の男がそこにいました。偏屈を具現化したような顔をした男が、水色のスカーフを首に巻き付けていて、その対比がなんともおかしい。
「待て、船長。船に女を載せるのか?」
その言葉で、ああこの人が、という思いにかられました。商人のおじさんが言っていた、船に女性を乗せることを嫌う人とはこの人のことなんでしょう。その男の周りにも、頷いているのが数人。
船長が、面倒そうに言い返します。
「ほんの少しの間だけだぜ。食糧も十分にある。大した支障にゃなりはしねえよ。それともなんだ、いつものお前の馬鹿げた妄信で言ったのか?冗談じゃねえ。出港前から俺の気を悪くする気か?」
その言葉をどう受け取ったのかは分かりませんが、赤毛の男はその顔をよりいっそう渋面にさせながらも、
「そんなつもりはない」
と返しました。船長は、それでいいと頷き、
「全員、持ち場につけ。出港だ」
と大きく響く声で言い放ちました。途端、船員たちが甲板上に散らばります。にわかに騒がしくなる周りを尻目に、船長に、
「お二人さんはついてこい。部屋に案内する」
と言われ、私たちは歩き出しました。
明るい太陽に、徐々に雲がかかり始めていました。




