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少し、存在意義について語りたいと思う。  作者: ふきの とうや
第一章 shepherd's purse 前編
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少し、彼女について語りたいと思う。

 「少し、存在意義について語りたいと思う」


 しんしんと冷え込む、夏の夜のことだった。町の夜は大抵静かなのだが、そこは町唯一の酒場とあって静まることがない。おまけにその酒場は決して大きくなく、相席などはよくある。普段の私を知っているなら、私はその場にそぐわないと思うだろう。実際、私は席の端で目立たないようにグラスを仰いでいる。しかし、執筆に行き詰った時に行くと案外活路を開けたりするのだ。


 さて、その日相席になった男が唐突にそんなことを言った。あんまり場違いな言葉だったので、聞き間違えたのか、そもそも私に向けられた言葉なのか分からず、私は知らず男を凝視した。


 黒い髪に、妙に紅い目、浅黒い肌。上下ともに黒い服。座っているのでわかりづらいが、身長は私より高い。百八十センチくらいはあるだろう。凛々しい顔つきをしているが、しわは全くない。二十歳と言われても三十歳と言われても納得できる。しかしまだ、どことなく青年らしい雰囲気があるので、二十五には至らないだろう。少しばかり二ホン訛りの英語から、出身はなんとなく想像できる。世界で英語が共通語として使われるようになったのは百年以上前だが、地方独特の訛りというのはそうそう消えるものではない。


 虫食いの跡がある薄汚れたテーブルと椅子、テーブルにはやけに大きいグラスが二つ。その両方に、水がたっぷり注がれている。私と同じで、この男も酔うつもりはないらしい。


 無駄に明るい灯りの下、雑多な喧噪の中で、男もじっと私を見つめている。その口が、なんともあっさりと開かれた。


「なに、そう不審がることはない。昔話をするだけだ。あなたが随分退屈そうな顔をしているのでね」


 そんなことを言われる私は一体どんな顔をしているのか。しかし、退屈しているのは確かだ。売れない作家の暮らしなど、刺激もなければ代わり映えもしない。ただただ鬱憤が溜まるだけだ。それで私は、溜まりに溜まった鬱憤を晴らそうと、時折酒を飲めもしないのにこの酒場に来るのだった。


「存在意義、と言っても、存在意義の呪いのことだ。聞いたことぐらいはあるだろう?明確な存在意義を見つけると云々、というあれだ」


 ああ、それなら知っている。存在意義を自覚した者の中に、稀に妙な能力を開花させる奴がいるという、ほとんど噂みたいなものだ。しかしそれももうほとんど聞かなくなった。なんでも、呪いを解く方法が見つかったのだとか。


「俺はあの呪いにかかってね。能力が得られるだけならまだよかったんだが、あの呪いの性質たちの悪いのは、存在意義を失うと体が消滅することだ。それに、俺が得た能力にしても、あまりいいものじゃあなかった」


 存在意義を失うと、体が光の粒となって霧散する。それが、この呪いが呪いと言われている所以だ。私は呪い自体信じていないが、それでも男の能力がどんなものなのかは気になったので、尋ねてみた。


「俺の能力?そうだな、説明しづらいが、とある女性の血を口に含むと、数分間自分の体を強くできる、というものだ。一応、シェパーズ・パースという名前もある」


 随分と物騒な話だ。この男は一体どんな存在意義を持ったのか。疑問が湧き出たところで、男が自分から話してくれた。


「その女性を守り続けるっていうのが、俺の存在意義だ。そうだな、この話をするなら、まずは彼女の話をした方がいいだろう」


 私は聞きたいといった訳ではないのだが、男は聞かないならそれでもいい、とでも言うような飄々とした態度で語り始めた。


「彼女は、名前をひいらぎコノハと言う。薄い茶色の髪と黒い瞳を持った日本人顔。線が細く、触れれば壊れてしまいそうな姿。一目見れば、彼女の匂わす儚さの魅力に気づくだろう。しかし、長く時間を共に過ごせば、彼女の儚さを支える芯の強さが感じられるはずだ。彼女は一見おとなしいように見えて、キスをしようとした王子様の鼻にカプリと噛みつく反骨精神の持ち主だ。というと少し言い過ぎかもしれないが、まあそういう人だ。


 俺は、トーキョーで彼女と出会った。『審判の日』の後も残った都市国家。その中では比較的大きい、旅人の街トーキョー。その暗い路地裏の一角で、俺は死にかけの彼女を見つけたんだ」


 審判の日、などという言葉をこんなところで思い出す羽目になるとは思っていなかった。世界各地で一斉に起きた大地震、その結果起きた大津波、異常気象による砂漠化、植物の急速成長、海面上昇、その他数え切れないほど。そんな未曾有の大災害が同時に発生し、世界の人口は四分の一にまで減少した。その数日間を、審判の日というのだ。


 しかしそれはもう百年以上昔のことだ。各都市国家内を見れば、とうの昔に十分な復興は遂げられたと言える。都市国家の外はまだ荒廃している場所も多いが、それは時間が解決するだろう。こうなれたのは、世界各地に存在した研究所という組織の働きによるところが大きい。


「声をかけようとした俺を見て、彼女は咄嗟に逃げようとした。しかし、倒れ伏す彼女には立ち上がる体力さえ残っていなかった。彼女の華奢な太ももからどくどく流れ出る、鮮やかな赤い血。それを見て放っておけるはずがない。俺は思わず駆け寄った。しかし彼女は俺の手を払いのけようとし、失敗すると、それでもなお俺を強く睨んで一言、殺したいなら殺せばいい、と言って気を失った。どう考えても普通の少女ではない、と思った。俺は、俺の小さくてぼろい小屋に運び込んで、介抱をした。俺が医療の知識を持ち合わせていたのは幸いだった。


 三日後に、彼女は目を覚ました。彼女は、傍らの椅子に座る俺を見て必死に逃げようとしたが、咄嗟にかけた俺の言葉で、どうにかベッドに留まってくれた。どうやら彼女は、俺が人造人間であることに気付いて逃げ出そうとしたようだった」


 人造人間?聞きなれない響きに、私は眉をひそめる。研究所がそういうものを造っていたという話は、最近聞いた気がしないでもない。だが、それが本当だったとして、自分には関係のない話だと思っていた。

 そんな私に構わず、男は話し続ける。


「俺のこの、紅の目で気付いたらしい。しかしそもそも、人造人間の存在自体知られていないはずだった。不思議に思って彼女から話を聞くうち、俺は自分と彼女とに、思った以上に深い関係があることを知ったんだ。いつしか、俺は彼女を守りたいと思うようになっていた。俺が彼女を守るのは義務であるとね。


 俺が彼女を守らなければならない。彼女を守る力が欲しい。そんなふうにして、俺は自分の存在意義を見つけた。そして、あの最悪の呪いにかかった」


 男は、休憩するように一度口をつぐんだ。酒飲みたちが大騒ぎをする中で、一瞬私たちの間に沈黙の帳が下りる。そこに、一人の女性が歩いてきて、男の横に立った。一目で、男が言っていた女性だと分かった。色褪せたデニムパンツ、白いTシャツの上にくたびれたロングコートを着た女性。その容姿は、男の説明そのままであった。 

 男は女性の姿を認めると、男の横にあった椅子を女性に勧め、また口を開いた。


「紹介しよう。彼女が、柊コノハだ。俺が能力を使う度、彼女を傷つけてしまうのが本当に嫌だった。だからこそ俺はこの能力を心の底から憎んでいた。だが結局何度も使う羽目になった。そんな弱い俺を許してくれた彼女には、本当に感謝している。


 コノハ、この人にちょっと昔話をしようと思ったんだけれど、俺じゃあどうもうまく話せなくてね。悪いんだけれど、君から話してくれないかな」


 男にそう言われ、女性は逡巡する素振りを見せた。だがそれも一瞬で、女性は席に座ると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「私たちの話が面白いかどうかは分かりません。うまく話せないかも。でも、多分損はしないと思います。これは、ハッピーエンドが約束された物語。どうか、静かに聞いてください。それが、私たちが生きた証になるから」


 私は、女性のロングコートの陰から、透き通るような青い短剣がちらりと覗くのを見た。黒髪に赤目の男と、青い剣を携えた女。今までに会ったことはない。しかし私はこの二人を知っている。今じゃ子供も憧れる有名人じゃないか。この二人の昔話なら、面白いに違いない。私は、久方ぶりに心躍らせた。


 そして、彼女は語り始めた。

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