1-8 裏側
道を血の跡に従って走る。
すでに女の背中は見えている。
このままなら追いつけるが――――。
「止まってください」
「ッ!」
ルナの指示を聞き、俺は女が曲がった角の壁に背中をつける。
女が走って行った先は、暗い通路となっていた。
覗き込むと、通路の先には女と、もう一人男の影が見える。
「声は聞こえますか?」
「なんとか」
耳を澄ますと、周りの静けさもあって二人の会話が聞き取れた。
『クスリ……クスリ売ってください……』
『うわぁ、こりゃもう駄目だな。金はあんのかよ』
『おかね……あります……だから』
『ふーん、確かに持ってるな。また孤児院の支援金か? 悪い先生だぜまったく。ほらよ』
『あぁ! クスリ!』
『頼むから誰もいないところでやれよ?』
暗がりで男の顔はよく見えないが、下品な笑みを浮かべているであろうことは分かる。
男は女から受け取った金を手で数え、それを自分の懐に入れた。
「現場は押さえましたね。捕えます」
「了解」
俺はルナの指示に従い、通路に飛び込む。
こういった場に姿を現す連中は、十中八九逃げ慣れている。
捕まえるには不意を突く形で、一気に近づかなければならない。
「な、何だ!?」
男がこっちに気づく。
しかし、もう逃げることは出来ないだろう。
あと一歩で捕えられる圏内に入っている。
ここから男がどう逃げても、俺の手の方が速い。
捕らえた、そう確信したとき、俺は身の危険を感じ取って後ろへ跳んだ。
「チッ」
真上から舌打ちが聞こえる。
護衛を用意していたか。
俺と男の間には、一本の矢が刺さっていた。
あのまま跳びかかっていれば、脳天に突き刺さっていただろう。
殺すことすら辞さない連中ってことか。
「そのまま行ってください!」
「!」
「何だ貴様!」
敵は屋根の上にいたようだ。
どういうわけか、同じ所からルナの声も聞こえる。
あいつ、一人で上のやつと対峙してやがるな。
自分が護衛対象って忘れてるんじゃなかろうか?
「貴様は聖女――――」
「ふっ!」
「ぎゃっ!」
……屋根の上から男の悲鳴が聞こえた。
多分投げられでもしたんだろう。
心配は杞憂だったか。
ま、ルナが大丈夫と分かれば――――。
「あとはお前だ!」
「ひぃ!」
俺が視線を外している内に、男は逃げようとしていた。
そう簡単に逃がすわけには行かない。
この先は大通りだったはずだ。
飛び出した瞬間、聖女の名前を勝手に使って、人を動かして捕まえてやる。
「逃がすか!」
「わぁぁ! ――――なんてね」
男が大通りに飛び出した。
そして、俺が叫ぼうとすると、突然視界が真っ白に染まる。
驚いた俺は声を出せず、その足を止めてしまった。
(――――ッ! これは煙か……ッ)
とっさに俺は息を止める。
ひとまずこの煙から逃れなければならない。
この野郎、街中で煙玉か。
「くそ……」
煙から逃れると、もうあの男の姿はなかった。
人々が軽くパニック状態になっている。
この中を抜けて行きやがったな。
「逃げ切られたようですね」
「……すまん」
「いえ、相手が一人だと高をくくって特攻させた私にも非があります。ですが――――」
ルナは、その腕に抱えていた何かを目の前に投げ捨てた。
弓を持った男だ。
多分、さっき屋根の上にいた男だろう。
「まあ、一人確保出来たので良しとしましょう」
「……だな」
「裏路地に戻ります。ここではなんですから、その方を抱えてついてきてください」
「あいよ」
男を拾い上げ、肩に担ぐ。
うおっ、ちょっと重いな、こいつ。
◆◆◆
「う……」
「目が覚めましたか?」
「き、貴様らは!」
裏路地で、男が眼を覚ました。
その身体には紐が巻きつけてあり、身動きが取れないようになっている。
「さて、あなた方の組織名、そして、その隠れ家を教えていただきましょうか?」
「ふん、誰が話すか」
「……ククリ、お願いします」
俺は黙って男に近づくと、その足に剣を突き立てた。
「がぁ!」
「もう一度聞きます。あなた方の組織名、そして、その隠れ家を教えていただきましょうか?」
ルナは無表情だ。
俺も当然無表情。
こいつは人の人生をぶち壊す組織の人間。
そんな人間にかける情けは、持っていない。
「……もう一度言う。誰が、話すか」
「っ! ククリ! 口を閉じさせないで!」
「くそ!」
男は、大きく口を開いた。
俺は慌てて止めようと手を伸ばすが、その前に男は口を閉じることに成功する。
何かが弾ける音がして、男の口から血が吹き出した。
「ごふっ……残念……だったな」
正気か、こいつ。
口の中に仕込んでいた毒を飲み込みやがった。
男はそのまましばらくもがくと、やがて静かになる。
「徹底されていますね。これは」
「ここまでするとはな……」
かなり徹底した組織のようだ。
これで情報源がなくなってしまった。
俺たちとしては痛手でしかない。
「はぁ……ひとまず教会の人間に回収させます。あの先生とやらにも、治療は必要でしょうし」
「……ああ」
俺たちの後ろに寝かせておいた孤児院の先生は、暴れないように気絶させ、拘束してある。
教会の技術力があれば、クスリを抜くことも出来るはずだ。
体調が戻るまでは相当な時間が必要だろうが、少なくとも、孤児院の先生には戻れるだろう。
「一度孤児院に帰りましょう。子どもたちに説明します」
「分かった。あ、そうだ、もう二度と単独で行動するなよ? 俺は一応護衛なんだからな」
「……善処します」
ルナは笑顔で言った。
まったく持って信用することが出来ない笑みだった。
これは今まで以上に、ルナから視線を離さない方がよさそうだ。
◆◆◆
ククリたちから逃げ切った売人の男が、とある路地に逃げ込む。
息を切らしながら、路地にある扉を開けて中に入った。
そこは、表通りにある店の裏口である。
「ボス! ボスはいますか!」
「……何だ、騒々しい」
薄暗い室内には、椅子に座った男と、人間離れした体格を持つ男がいた。
「ああ、よかった。すぐにボスに報告しなければと思っていたので……」
どうやら、椅子に座った男が『ボス』らしい。
ボスは低い声で、売人に先を促した。
「さきほど、取引現場を目撃されてしまいました……」
「何をしているんだ……もちろん始末したんだろうな?」
「いえ……相手はどうやら手練のようで、片方はどうやら『聖女』だと――――」
「教会の人間か!」
ボスは椅子を倒して立ち上がる。
暗がりでよく見えないが、その声色は焦っているようにも感じた。
「教会め……嗅ぎつけてきやがったか。おい、貴様のミスをチャラにしてやる。代わりに、今この街に来ている聖女と、現在地を調べ上げろ!」
「は、はい!」
売人の男は、声を裏返しながら部屋を飛び出す。
ボスは苛ついたように椅子を蹴ると、舌打ちした。
「くそっ! 教会め……これからってときに」
「教会に、喧嘩を売るのか?」
人間離れしたガタイの男が、ボスに問う。
「売らないようにするために、聖女を探しだすんだ!」
「む?」
「この街から教会までは三時間ほどかかる。今から出発すれば途中で夜になり、外の魔物に襲われる危険性も出てくる。だから教会への馬車はもうない……つまり、今日中に始末出来れば、我々の存在が明るみに出ないのだ!」
ボスは近くにあった机を殴る。
教会の危険性を理解しているからこその苛立ちだ。
「殺してやるぞ……聖女!」