1-7 中毒者
「ここ……」
少年が案内した先には、少し大きいくらいの2階建ての建物があった。
俺の知っている孤児院のイメージとそう違わない外見だが、唯一違和感を覚えるところがある。
「庭がまったく手入れされていませんね……」
庭には雑草が生え始め、花壇は手入れがされておらず荒れ放題だ。
一見、廃墟のようにも見える。
それでも人が住んでいることが分かるのは、かろうじて人の出入りの気配があるからか――――。
「とりあえずお邪魔させてもらおうぜ」
「そうですね」
「こっち」
少年のあとに続き、正面の扉から中に入る。
中は軽くホコリが舞っており、掃除もあまり行き届いていないようだ。
「みんなただいま!」
「あ! カロア兄ちゃん!」
「カロア兄ちゃんだ!」
玄関入ってすぐの廊下を、七人ほどの子どもが駆けてくる。
見た目からして、このカロアと呼ばれた少年よりも少し年下か。
最年長だから、街に食料を買いに来ていたようだ。
「あれ? せいじょさまだ!」
「何でカロア兄ちゃんが聖女様といるの!?」
「ご機嫌よう、少しお邪魔させてもらいますね」
ルナは、手に持った紙袋を見せる。
中にはあの屋台で買った串焼きがいくつも入っており、食欲をそそる匂いを漂わせていた。
ここへ来る前に、ルナが買い込んだものである。
「皆さんでどうぞ」
「お肉だー!」
「いっぱいある!」
串焼きが入った袋を渡すと、子どもたちは嬉しそうに食べ始める。
やはりお腹が空いていたのか、かなり早いペースで串焼きは減っていった。
「せいじょさま!」
「あら?」
しばらく頬張っていた子どもたちだが、何を思ったか、その内の一人が串焼きを持って近づいてきた。
その子どもは、笑顔で串焼きをルナに差し出す。
「せいじょさまもいっしょにたべよ!」
「いいのですか? ありがとうございます」
ルナも同じく笑顔を浮かべて、それを受け取った。
移動中に昼メシとして何本も食ったはずなんだがな……こいつ。
「おにいちゃんも!」
「え?」
気を抜いていたら、俺にも串焼きが差し出されていた。
目の前の女の子は相変わらず笑顔で、口元を油で汚しているがとても嬉しそうだ。
「ああ、俺は来るとき食べ――――いや、もらうよ。ありがとう」
「えへへー」
最初断ろうと思ったが、女の子の顔に一瞬悲しそうな表情がよぎったために、俺は慌ててそれを受け取った。
途端に、女の子の表情が晴れる。
「ほら、受け取ってしまうでしょう?」
「ああ、食い意地張ってるとか思って悪かった」
「聖女を何だと思っているんですか……」
ルナはそう言って、顔をしかめた。
俺自身は酒に溺れた頭のおかしい女だと思っているが、あとで何されるか分かったものではないので言わないでおく。
「そうだ! 先生にも持って行かないと!」
突然カロアは串焼きを二本手に取ると、二階への階段を登って行く。
ここにいるのか、先生とやらは。
これだけ屋敷を放置しているのだから、てっきりどこかに行っているものだろ思っていた。
「おかしくなったと言っていましたからね。部屋に閉じこもっているのではないでしょうか?」
「なら出入りしている形跡があるのおかしいだろ?」
屋敷の外には、いくつかの足跡があった。
一つは真新しく、おそらくカロアが屋敷を出発したときについたものだろう。
他の足跡は、すべてそれよりも大きいものだった。
この中でカロアがもっとも年上なのであれば、それよりも大きな足跡は大人のものとなる。
サイズから見て女であることも分かったが、かなりの頻度で外へ出向いているとは確実だった。
「まだよく分からないけどな……確認してみるか?」
「ええ、カロアについて行ってみましょう」
俺たちは子どもたちの横を抜け、カロアの登って行った階段を登る。
二階は一階と同じ構造になっており、カロアはどうやら二階の廊下の一番奥の部屋へ向かったようだ。
「ん……何か物音がしませんか?」
「……」
廊下を進もうとした俺たちの耳に、何かがぶつかるような音が聞こえてきた。
おそらく、奥の部屋からだろう。
カロアが入っていった部屋だ。
「何か揉めてんのか――――」
「うわぁ!」
俺が先頭に立って部屋に近づこうとした瞬間、突然大きな音とともに、扉が開け放たれる。
そして、中にいたはずのカロアが廊下に飛び出してきた。
「うう……」
「おい!」
駆け寄ろうとすると、部屋の中から別の人間の手が出てきた。
その手はカロアに伸びようとしている。
俺は猛烈に嫌な予感がして、慌てて叫んだ。
「やめろ!」
部屋の中から姿を現したのは、ガリガリにやせ細った女。
何日も水を浴びていないようで、酷い匂いがする。
女は焦点の合っていない眼で、俺の方を見た。
「ああ、くるな……くるなぁ!」
「チッ」
女は手をバタつかせ、廊下を駆けてくる。
焦点は合っていないが、その眼には明らかな敵意。
だとしたら、こっちも対応しなければならない。
「よく分からないが! 許せ!」
伸ばしてきた腕を素早く絡めとり、足を払って床に倒す。
そのまま仰向けからうつ伏せにひっくり返し、腕を背中に回させて押さえつけた。
女はもがくが、俺の力には叶わない。
拘束することには成功したようだ。
「げほっ……お兄ちゃん、先生に乱暴しないで……」
「何? こいつがか?」
組み敷いた女はうめき声をあげるばかりで、とてもじゃないがまともには見えない。
しかし、カロアはこいつを先生と言う。
おかしくなったとは、これのことを言うのだろうか。
「――――ひとまず、あまり子どもの前で見せるものではありませんね。すみやかに眠らせなさい。詳しくはカロアから聞きます」
「了解」
俺は女の首に腕を回し、カロアに見えないように俺と女の位置を入れ替える。
そのまま腕に力を入れて女の首を締め、意識のみを落とした。
力の抜けた女を抱えて、部屋に戻る。
「この人寝たみたいだ。ベッドに寝かせていいか?」
「あ……うん」
カロアに許可を取り、女が出てきた部屋の中に入る。
中もそれなりに臭うな。
換気すらされていないようだ。
文句ばっかり言っていられないので、ひとまず女を汚れたベッドに寝かせる。
拘束しておきたいところだが、子どもの目線もあるため、今は出来ない。
部屋を施錠して閉じ込めておくしかないのか……。
「先生……ちょっと前からおかしくなっちゃったんだ。ほんとはすごい優しくて……いっつも笑ってた」
カロアの表情は、なんともいたたまれない。
酷なことだとは思うが、事情を聞き出さなければならないのが辛いところだ。
「カロア、教えてくれますか? 先生に何があったのか」
「……分かんない。でも、ずっと欲しい、欲しいって言うんだ」
ルナが首を傾げる。
「何が欲しいと?」
「クスリ……っていっつも言ってる。僕、何のことか分からなくて。先生のこと助けてあげられないんだ」
「クスリ……」
ああ、そういうことかよ。
俺は見えないところで、拳を握りしめた。
この女は、俗に言う『薬物中毒者』になってしまっているらしい。
確かに、あの様子は俺の知っている薬物中毒者と同じ症状だ。
「想像以上の案件でしたね。まさか薬物とは……」
「ああ、大事件だな」
この国では、薬物はかなり厳しく取り締まられている。
それこそ、出回ることなどありえないほどには。
女の状態は、重度の中毒者と同じものだ。
つまりは、多量の薬物をすでに摂取していることになる。
その量の薬物を入手出来るルートが、この街のどこかにあるということは明らかだ。
早くそのルートを突き止めて潰さなければ、薬物が広がってからでは遅い。
「国に報告しましょう。巨大組織が関わっている可能性もあります」
「だな」
祈りなど捧げに回っている場合ではなさそうだ。
今すぐ街のお偉いさんのもとへ行かなければならない。
「カロア、私たちは大切な用事が出来てしまいました。あなたたちの先生は必ず助けてみせますから、それまで彼女を見張っていてあげてください」
「う、うん……あ」
ルナと会話していたカロアが、何かに気づいたように声を上げた。
次の瞬間、俺は横から衝撃を受けてよろける。
「……え?」
「ああぁぁぁぁぁあああぁぁあぁああああぁああ!」
唖然としている俺たちの視線の先には、奇声を上げて廊下を駆けていく先生の姿があった。
階段を転げるように落ちていく音がして、さらにドタバタと廊下を走る音が聞こえる。
「……追います!」
「ッ! あいよ!」
「先生!」
気を取り直した俺たちは、先生とやらを追うために走りだした。
一階にいた子どもたちは、突然のことで驚いたのかポカンとしている。
その横を駆け抜け、一気に外に飛び出した。
「あの女……裸足で飛び出したから」
外の道には、血の跡が点々と続いている。
どうやら、道端に落ちていたガラス片を踏んだようだ。
「見失うことはなさそうですね。まずは追いつきますよ」
「ああ」
俺たちは血の跡をたどり始める。
……これは淡い希望だが、あの女はクスリの売人のもとへ向かっているのではないだろうか?
だとすれば、これはチャンスかもしれない――――。