1-6 事件の気配
「最初はどこに行くんだっけ?」
「まずは西地区ですね。と言うか、今日中に西地区の支部を回りきれたらいい方です」
「……そんなに多かったか?」
「場所くらい把握しておいてください……先が思いやられます」
どの道一日で回りきれるかどうかの数なんて、覚えろと言われても無理だがな。
教会は、ダスティニアと呼ばれる国の丁度領土外にある。
この辺りの大陸でもっとも広大な領土を持つダスティニア国は、都市をいくつかに分け、中心を中央都市とし、そこから東西南北に北地区、南地区、東地区、西地区と統治のための都市を置いた。
それぞれを移動するには、馬車でもあれば半日もかからない。
教会からであれば、一番近くにある西地区には2、3時間で着く。
と、言うわけで、俺とルナは現在馬車に揺られているのだ。
「うーん……話は変わりますが」
「何だよ」
「この馬車、意外と揺れますね。正直二日酔いの私には衝撃が強いと言うか、吐きそうというか」
「おい運転手! 馬車を止めろ! 止めてくれ!」
再び顔が青くなったルナを一度下ろし、程よく風が吹く草の上で休ませる。
このあとも、ちょくちょくルナは体調を崩し、その度に休憩を挟んだせいで、結局到着は昼ごろになってしまった。
「ふー、ようやく自分の足で歩けますね」
「二回も吐いといて何言ってんだか……」
馬車を西地区の入り口に待たせておき、俺たちは門から外壁の中に入る。
街の様子は、一言で言えばとても賑やかだ。
中央都市を除いた4つの都市の中で、一番商業が盛んなだけはある。
様々な店が立ち並び、人々は忙しく走り回っていた。
「相変わらず活気がありますね」
「そうだな。何度来てもここは賑やかだ」
「あら? あなたは東地区のスラム民でしたよね。ここまで何度も来る機会があったんですか?」
「まあ、事情があったんだよ」
俺にも、仕事があった時期があったということだ。
その頃は、国中を飛び回っていた。
もちろんこの街にも来たことがある。
「んで、最初の支部は?」
「すぐ近くですよ。あそこに見えています」
ルナが指差した先には、十字架をつけた屋根が見えていた。
教会の支部の証しである。
「さっさと済ませましょう。祈りを捧げるのってそれなりにかったるいですし」
「つくづくあんたが聖女になれた理由が分からないんだが……」
ルナについて教会支部へと向かう。
近くで見たら分かったことだが、支部であってもそれなりに大きい。
周りの店や民家と比べて、二回りほどの差がある。
かなり人の出入りがあるようで、頑丈そうな巨大な扉は開け放たれていた。
その入口に差し掛かったときのこと。
「聖女様じゃ!」
「聖女様だー!」
「聖女様!」
街の住人たちが、ルナを見つけて駆け寄ってくる。
一応仕事であるため、敵意のある人間を近づけさせるわけにはいかない。
さすがにこれだけの人数がいると分かりにくいが、少なくとも真っ昼間から襲ってくるようなマヌケはいないようだ。
「ごきげんよう皆さん。今日はお祈りに来ました」
「おお、聖女様が祈りに来てくれたとなれば、この辺りも安泰じゃ!」
俺は驚いた。
ルナが今ままでの青い顔を隠し、とても晴れやかな笑顔で対応していることに。
いわゆる営業スマイルというやつだろうか。
普段を知ってしまった俺からすると、胡散臭いことこの上ないが。
「では、行きましょうか」
「……」
頼むから、その笑みを俺に向けないでくれ。
気色が悪い。
教会支部の中は、天井がとても高く、長椅子が一定間隔に並んでいた。
椅子に座っている者が多く、それぞれ手を合わせて眼を閉じている。
「おお、これは聖女様。よくぞ来てくださいました」
「ごきげんよう、神父様」
俺たちに歩み寄ってきたのは、初老の神父。
この支部を任されている人間である。
「早速ですが、祈りを捧げても構いませんか?」
「ええ、お願いします。ところで……何やら酸っぱい香りがするような――――」
「気のせいではないですか? ではお祈りを始めますね」
こいつ、誤魔化したな。
まあ二日酔いで吐きましたなんて、口が裂けても言えないだろうけど。
ルナはすっとぼけた顔でもっとも奥にある巨大な十字架のもとへ行くと、膝をついて手の平を組み合わせる。
そして目を閉じた。
その光景はなんとも絵になっており、周りの音が消えたような錯覚すら覚える。
聖女がこうして祈りを捧げることで、教会支部の周りの街並を神が守ってくれる――――とされている。
実際のところは知らない。
ただ、そうして救われている人間がいる以上、無駄なことではないのだろう。
「……黙ってりゃ美人なんだがな」
「ッ……」
しまった、かなり小声で言ったつもりが聞こえてしまったようだ。
少しバツの悪くなった俺は、目をそらして何も言っていないふりをした。
祈りが終わったのは、それから五分後のことである。
「ふぅ」
「ありがとうございました、聖女様」
「いえ、お礼など必要ありませんよ。この街に神のご加護があらんことを……」
そう言い残し、俺とルナはこの支部をあとにする。
道中トラブルもあったが、まだ昼ということもあり、このまま数軒は回れそうだ。
なんてことを考えていると、ルナが睨みつけてきていることに気づいた。
「……何だよ」
「私、根に持つ方なんで。さっきの発言は忘れませんよ」
黙っていれば美人発言のことか。
大変器の小さい女である。
「それより、昼メシはどうするんだ?」
「それよりって……まあいいです。屋台で適当に買いましょう。食べながら次の支部へ向かいます」
「行儀が悪くないか?」
「そんなもの気にする人間ですか?」
そう言われてしまうと、返す言葉がない。
まあ問題は聖女の印象の方なため、俺はどうでもいいのだが……。
仕方なく、俺は周囲で食べ歩き出来そうなものを売っている店を探した。
いくつか見繕っているときに、ふと、ルナが声をもらした。
「あ……」
「ん? どうした?」
「いえ……あの子、どうしたのかなと」
ルナの目線の先には、串に刺した肉を焼いている屋台を物欲しそうに見ている子どもがいた。
ずいぶんと痩せた子どもだ。
スラム街にいたときは、あんな子どもしかいなかったな――――。
ん? スラム街?
「そういや西地区って……」
「ええ。スラム街がないんです」
この街は商業が盛んで、数多くの店がある。
実はその店の数に人手が足りない傾向があり、仕事のない人間が限りなく少ない。
そのおかけが、スラム街が出来るほどの人数の身寄りのない人間がいないのだ。
だから、あれほど不健康な子どもは滅多にいないのだが――――。
「まあ、ああいった子に救いの手を差し伸べるのも、聖女の仕事ですよね」
「それもそうだな」
腹を空かせた子どもを救うことくらい、神が手を差し伸べるまでもない。
俺たちは屋台で串焼きを数本購入し、子どものもとへ向かう。
「お腹、空いていませんか?」
「え!?」
見たところ少年である子どもに、俺は串焼きを差し出した。
「お腹が空いているのなら、お一つどうですか?」
「あ……」
俺から串焼きを受け取った少年は、しばらく俺たちと串焼きを見比べたあと、意を決したように串焼きにかじりついた。
「美味しい……」
「どうぞ、遠慮なく」
ルナがそう言うと、少年は一心不乱に肉を食べ始めた。
食べ終わりそうな頃にもう一本渡してやると、それにもすぐに飛びつく。
結果的に、少年は三本の串焼きを平らげた。
残った串焼きは、あとで俺たちの昼飯になることだろう。
「聖女様たち……ありがとう」
「いえいえ。それで、少し聞きたいのですが、あなたはどうしてそれほどお腹を空かせていたのですか? 親御さんは?」
「僕……孤児院に住んでるから」
孤児院か。
身寄りのない子どもが集まる施設で、この街にもいくつかあったはずだ。
しかし、孤児院支援のために国から援助金が出ている。
それがあれば食事に困ることなど滅多にないはず。
「前まで普通にご飯が食べられてたんだけど、最近先生がおかしくなっちゃって……全然ご飯がもらえないんだ」
「……それは本当ですか?」
「うん……先生が作ってくれないから僕が買いに来たんだけど、これじゃ何にも買えなくて……」
少年の手の上にあったのは、400G。
これでは買えたとしても、串焼き一本だ。
「――――気になりますね」
「確かに、不穏な気配がするな」
問題がなければそれでいい。
しかし、もし何かあったとき、俺たちはそれを国へ報告しなければならない。
教会支部回りの途中ではあるが、重要性がこちらのほうが高いのだ。
「あなたの孤児院へ案内していただけますか?」
そうルナに言われた少年は、俺たちを先導して歩き始めた。