1-3 主席と八席
「お話は終わりました?」
大聖堂から出た俺に、声がかけられる。
もう聞き慣れた声だった。
振り返ると、大聖堂の外の壁に寄りかかる形で、一人の少女が立っている。
美しい金髪の少女だ。
「ああ、今終わったぞ、ルナ」
「……一応、私のほうが立場が上なのですから、敬語くらい使って欲しいですね。今更ですが」
「悪いな、敬語が使えるほど学がないんだ。今更だしな」
「はぁ、まあいいですが。明日の予定について伝えなければいけないことがあるので、少し話をしましょう。今日は貴方が一人で過ごすことの出来る最後の日ですから、早く終わらせてあげたいのですよ」
「嬉しい余計なお世話だな」
ルナの斜め後ろについて、俺たちは歩き出す。
護衛の立場の人間が、真横に立つのはご法度なんだそうだ。
守れるならどこに立っても同じな気がするが、誰かに見られれば問題にされてしまう。
ただただ話しにくい。
「明日はまず、街の教会支部を回って、祈りを捧げに行きます。支部は多いですから、泊まりがけの仕事になるでしょう」
「へぇ、高級宿にでも泊まれるのか?」
「まさか。庶民宿ですよ。聖女が贅沢など出来るわけがないでしょう」
「……お前の部屋に高い酒が置かれていること、知ってるんだぞ」
ルナの歩みが止まる。
そのままゆっくりと振り返ったルナの顔には、作られた笑みが張り付いていた。
「なぜ……それを?」
「いや……言ってみただけなんだが……」
酒を飲むことは知っていたから、軽くかまをかけてみた。
まさか当たっているとは思わなかったが……。
少しいたたまれなくなって、俺はルナから眼を逸らす。
「その……誰にも言わないから、安心しろ」
「……感謝します」
ルナは頬を赤らめ、前に向きなおしてしまった。
堅物の聖女と言ったイメージであったが、少しは可愛げもあるものだな。
これを口に出すと、多分スネるだろうが。
「と、とりあえず。明日は教会前に七の刻で集合と言うことで」
「あいよ、聖女様」
「嫌味ったらしいですね、その呼び方」
「まさか。敬愛のこもった呼び方じゃないか?」
からかい甲斐のある女だこと。
そう思っていると流し目で睨まれたため、そろそろやめておくことにした。
「では、また明日。遅刻は厳禁で――――」
「ルナ様!」
ルナの言葉を遮って、誰かが彼女の名前を呼ぶ。
声の方に顔を向けると、そこには一人の女が立っていた。
青い髪が特徴の女だ。
俺は同じ訓練兵として見覚えがある……気がするのだが、どうにも名前が出てこない。
「イオナですね。どうしたのでしょう」
「何だ、あんた知ってんのか? 元訓練兵だろ? あいつ」
「何でって、イオナは訓練兵の『主席』ですよ? さすがに頭に入っています。あなたもよく知っているでしょう」
「……」
知らない。
とは言い難い状況だ。
一緒に訓練していたはずなんだけどな……。
周りに無関心すぎたか。
さすがに無知を晒すのは羞恥心的に辛いため、あえて黙っておく。
「ごきげんよう、聖女ルナ様」
「ごきげんよう、訓練兵――――は卒業したんでしたね。兵士イオナ」
「はい、おかげさまで『主席』で卒業することが出来ました」
「私は何もしていませんよ?」
「いえ、ルナ様にお近づきになりたいという目標があったからこそ、私は『主席』になれたのです」
さっきからやたら『主席』を主張してくるな。
そしてチラチラとこちらを挑発的な眼で見てくる。
いったいどうしたと言うのか。
「ところで、何か用があったのではないですか?」
「そうでした。私は甚だ疑問なのです。なぜこの男がルナ様のお側にいるのですか? 『八席』風情のこの男が」
風情とは何だこの野郎。
「それは私が指名したからですよ」
俺が口を開く前に、ルナがノータイムで答えてしまった。
まあ、イオナの問に対する解答はそれしかないんだけども。
俺は、ルナに指名されたからここにいる。
『なぜ』かまでは知らないが。
「……納得がいきません」
イオナは身体を震わせ、拳を握りしめていた。
心底悔しそうだ。
確かに、逆の立場なら俺だって納得がいかないだろうさ。
なんたって、本来であれば『主席』が護衛になるはずだからな。
俺は異例なのだ。
「と言われましても、これは決定事項なのですよ? もう変えることは――――」
「私の方が護衛に相応しいです!」
イオナの叫びが、廊下に響く。
思いがけない大声に、ルナも一瞬怯む。
「確かに、この男は半年で八席まで上り詰めるほどの実力があります!」
一応、褒めてはくれるのか。
「しかし! それでも私の方が強いです! それに女であることから、どんな状況でもあなたをお守りすることが出来ます! この男よりもよっぽど護衛に適しています!」
「……ふむ」
確かに、性別と言う面では圧倒的にイオナの方が適しているだろう。
風呂場や用を足している場面だと、俺は動きにくい。
ルナが気にしなければ話は別だが……うーん、こいつのことだから、平気で俺を風呂場に待機させておく気もする。
さすがにないと思いたい。
「確かに、一理ありますね」
ルナはその発想はなかったとばかりに、顔を上げた。
いや、まあここで乗り換えられると、明日からまた無職なんだが……。
まあいいか。
そのときはゼノンに仕事を紹介してもらおう。
「では、こうしましょう」
ルナが手を叩いた。
何となく、嫌な予感がする。
「ククリとイオナで決闘をするのです。勝者が私の護衛ということでどうでしょう?」
「え、面倒くさ――――」
「いいでしょう!」
こいつらは、果たして正気なのだろうか。
イオナは真顔で、冗談を言っている様子はない。
むしろこちらを睨みつけ、闘争心むき出しだ。
「では善は急げですね。今すぐ闘技場へ移動しましょう」
「はい!」
「お、おい!」
歩き出してしまったルナを、慌てて止める。
「往生際が悪いですよ」
ルナは自分より少し背の高い俺の肩を掴み、引っ張って耳元に口を近づける。
そして、イオナに聞こえない程度の声量で囁いた。
「あなたの実力を疑っている者も多いのです。うるさくなる前に、この辺りで黙らせておきましょう」
「……そういうことかよ」
手を離し、ルナは再び前を歩き始める。
要は、イオナを倒し、実力を示せということなんだろう。
面倒くさいが、さっきのゼノンの話もある。
ここら辺で黙らせておくべきなのかもしれない。
「チッ……仕方ないか。受けるぞ、お前との決闘」
「当たり前だ。私より弱い貴様に拒否権はない」
「横暴なことで」
うざったい女だ。
けど、ここで言い争っても拉致があかない。
ずいぶんと面倒くさいことになってしまった。
◆◆◆
この教会には、揉め事を解決したり、祭りごとのための闘技場が存在している。
巨大な教会の中心にある、コロッセオのような場所がそうだ。
俺は浮かない顔で、そんな闘技場の選手控室にいる。
「……」
「調子は悪くなさそうですね」
「……おかげさまでな」
椅子に腰掛けていた俺とは別に、ルナが部屋の壁に寄りかかっていた。
俺はルナに手に持っていた剣を見せる。
「俺の武器は? こんな剣でやれっていうのか?」
「仕方がないでしょう。貴方の武器はすでに回収済みですから、今手元にないのです。それに、私の護衛として街を回るなら、帯刀出来るのはただの剣だけですからね」
「え、聞いてないんだが……」
「明日伝えるつもりでしたから」
この女……。
実際のところ、俺は剣が苦手である。
使えないことはないが、俺の戦闘スタイルに根本的に合っていないのだ。
とは言っても、これしかないならば仕方ない。
支給された剣ではあるが、まあ……何とかなるだろう。
「そこまであなたの心配はしていませんが……イオナの実力は本物です。油断して負けたら、本気で護衛交代ですからね」
「はいはい……」
イオナは本気でルナの護衛になりたいのだろう。
金儲けなんて不純な動機の俺とは、信念が違う。
「負けてやるつもりはないけどな」
やられっぱなし、言われっぱなしと言うのは、俺の趣味じゃない。
鞘に収めた二本の剣を手で持て余しながら、俺は闘技場への扉を開けた。