鉄血
Ⅰ
湾曲した鋭利な刃が、吸血鬼の腹部を貫いた。
肉と臓物と骨を断つ、鉄の大鎌。瞬時に柄を手前に引いてその胴を裂くと、今度は振り返り様に薙ぎ払い、背後の吸血鬼を斬り伏せる。
振り抜いた刃から鮮血が散り、灰色の地面に斑を描く。
「これで……十七ッ」
その数字は、周囲に転がる吸血鬼の数。
「残りは、三ッ」
その数字は、眼前に立つ敵の数。
「すごい、すごい。流石は鉄血とあだ名されるだけのことはあるね」
「だが、ここまでのようだな」
傷の治りが遅い。疲労も長引いている。喉が、渇く。
血が足りない。血装と血装に割きすぎた、血を流しすぎた。貯蔵していた血液が枯渇しかかっている。
「もう諦めたらぁ? 潔く諦めるのも一つの手よぉ」
目がかすむ、足がふらつく。
「――はッ、冗談」
だが、それでも倒れている暇はない。
「ここは……最後の領地だ」
「あ?」
影に貯蔵した血液をすべて注ぎ、新たに一つの鉄を創造する。
「四肢もがれようと、首刎ねられようと、ここだけは渡さない」
それは大鎌よりも、小さな鎌。柄の長さも半分ほどしかない。
だが、これでいい。これがいい。
右手に大鎌を、左手に小鎌を、それだけあれば十分。
「ここは俺達の居場所だ。諦めたりしないし、、最後まであがき続ける」
奴等に一矢報いるには、十二分。
「取れるものなら――取って見ろッ」
血溜まりを蹴る。
「馬鹿だね。大人しくしておけば、楽に死ねたものを」
奴の――風血の諸手から風が舞い上がる。円を描き、旋風を巻き上げ、勢いを増すそれは、数多の刃となって放たれた。
回避は、しない。
必要最低限、奴に肉薄するのに邪魔な刃だけを小鎌で迎撃し、無理矢理に前進する。頬を、腕を、脇腹を、風の刃が裂いていく。しかし、一度として足を止めることなく、少しも速度を落とすことなく、血溜まりを駆け抜ける。
秒と掛からず間合いに踏み込み、大鎌を薙ぎ払う。
「はい、残念」
されど、この刃が敵を裂くことは、なかった。
「岩……血」
岩血とあだ名される吸血鬼の血創。
その能力は、岩の創造と自身の身体を岩の如く硬質化させること。
大鎌は正面から受け止められていた。裂くことも、砕くこともなく、刃を掴まれ、勢いを丸ごと殺された。いまの俺に、奴を切り裂けるほどの余力はない。
大鎌はもう使えない。即座にそう判断し、大鎌を放棄して小鎌で斬り込もうとした。
だが。
「――がはッ」
下方から突き上げられるように、何かがこの身を貫く。
喉の奥から込み上げてくる血液。それを吐き捨て、視線が下へと下がる。その頃になってようやく、自分が何に串刺しにされたのかを理解する。
自身の腹部を、臓物を、貫いたのは、一本の鋭い樹木だ。
樹血の吸血鬼。その血創は樹木の創造。
「まだまだ、一本程度じゃあ足りないわよねぇ」
血溜まりから幾つもの樹木が突き上がる。
肩を、胸を、腕を、足を、次々と貫かれ、夥しい量の血液が流れていく。血が流れるたび、失せるたび、指先から力が抜けて、ついに得物から手が離れる。
からん、からんと二つの鎌が地に落ち、消滅する。
「あっはー! やったぞ! ついにあの邪魔くさい鉄血を――」
「ま……だ、終わって――ねーよ」
血は、すでに流れていた。
隻翼は、混血は、吸血鬼と人の両方で成り立っている。流れる血も、半分は人間だ。人の血だ。奴等はそれを軽視した。だから、流れ出た血に警戒心を抱かない。反撃すら出来ないと、誤解する。
その隙を、一瞬の気の緩みを、鉄の血創を以て突き貫く。
「――な!?」
今更、この程度で奴らは殺せない。
だが、一矢報いてやった。
「はッ……ざまぁ――みろ」
鉄の槍は、たしかに三人を貫いた。
「き――貴様ァ!」
怒りに呼応するかの如く、血創は、旋風は、激しく逆巻いた。
乱回転する無数の刃。それは天を突いて舞い上がり、集いて一振りの剣と化す。
身体は、もう動かない。防ぐ術も、逃げ果せる術もない。
風血は振り下ろす。激情に身を委ね、思うまま致命の一刀を下す。
そして、鮮やかな血の飛沫が散った。
Ⅱ
散ったのは、哲也の血だった。
「な――に!?」
哲也から流れ出た血の溜まりを強く踏み締め、血飛沫は舞い散る。
天と地がひっくり返ったかのように、血の雨を逆さに降らせながら、俺達は哲也の元に到着した。
「蒼夜っ!」
「わーってる!」
負傷した哲也を護るよう、血混じりの氷が半球状に包み込む。
同時に、今まさに振り下ろされた風の剣を、蒼夜の火炎が跡形もなく焼き尽くす。
「帳くんっ!」
「了解」
発動するは、血装。
重く、長く、俊敏に、うねる鞭の武装。地の底から這い出すように生み出した鞭を、強くしならせ横一閃に薙ぎ払う。完全に敵の虚を突いた連携は、敵に反応する暇すら許さず、終了する。
つまり、敵のすべてを吹き飛ばした。
「哲也はッ、無事か!?」
「大丈夫。酷い傷だけど、まだ息はある」
赤く氷結した血創に手をあてて、夕はそう言った。
「敵の――樹血の能力は今の不意打ちで消えているし、この中にいればちょっとずつだけと傷も回復する。問題は――」
見据える先、それぞれの視線の先には、吹き飛ばした吸血鬼が映っていた。
「あいつ等をどうするか、だよ」
男が二人、女が一人の三人組。
いずれも手傷を負っているが、致命的なものではないと見える。
「――まったく。まったく、まったく、まったくさぁ! どうしてくれるんだよ。せっかく鉄血を殺す寸前だったってのにさぁ! よくもまぁ邪魔してくれたよなぁ」
三人のうちの一人、小柄で生意気そうな男が、そう声を荒げる。
「熱血に、冷血。あとは……誰だ? お前。――まぁいい。どうせ全員、殺すんだ」
援軍として俺達が駆け付けても、奴等に引く意思は感じられない。
敵意も殺意もある。戦いは避けられない。
「蒼夜は右の岩血をお願い。私は樹血を倒す」
「あぁ」
「と、なると俺はあの生意気な奴か」
西の陸橋を攻められた。
そう聞いた時、夕と蒼夜は敵の予想を終えていた。敵のうちあだ名があるのは三名だけ。岩血と樹血、そして風血だと断定できていた。
そして、ここに到着する直前にみた、あの巨大な風の剣。
このことから、奴の血創は風と見てまず間違いないだろう。聞かされていた敵の情報と合致する。奴が風血とあだ名される吸血鬼。聞いていた通り、生意気でいけ好かない奴だ。
「帳くん。私と蒼夜でなるべく速く敵を片付けるから、それまで持ち堪えて」
「わかった。それまで死なないように気張るとするよ」
「……勝手に死ぬんじゃあねーぞ」
二人はそう言うと、ゆっくりと俺から離れて各々の敵と相対する。
「一対一……この風血の相手が、無名のお前だと? ハッ、なんだ捨て石かぁ? お前」
「捨て石かどうかは試してみればわかるさ。それに、もしかしたら捨てられた石が頭に直撃して、その低い身長が更に縮むかも知れないぜ?」
「――お前、いま、なんて言った?」
「聞こえなかったのか? クソガキって言ったんだよ」
「ぶッ――殺すッ!」
互いに、地面を蹴って肉薄する。
混血と純血。隻翼と両翼。吸血鬼同士の死闘が、いま幕を開けた。