表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

火炎


「この人がここのママ、明星虹子あけぼしにじこだよ」

「こんにちは、宵噛帳くん」


 孤児院の恐らくは責任者であろう明星虹子さんは、そう言って微笑んだ。

 艶のある黒髪を腰の辺りまで伸ばした妙齢の女性。歳は二十代の半ばあたりだろうか。だが、孤児院の責任者という立場なら、見た目通りの年齢ではないかも知れない。それこそ、吸血鬼ともなれば尚更だ。

 まぁ、初対面の女性に年齢の話をするほど無神経でもないので、この疑問は胸の奥に押し込めておくことにする。


「夕の話だと、あなたは眷属に――吸血鬼になったばかり、らしいわね」

「えぇ、まぁ、そう見たいですね」


 一ヶ月ほど、自覚なく普通の人間として生きていた訳だけれど。

 そのことを飲み込むように、淹れられた緑茶を一口飲む。


「あなたの心情は、察するに余りあるけれど。でも、どう足掻いてもあなたは今後、吸血鬼として生きていかなくてはならなくなったわ。身も心も人ではなくなるし、血を求めずにはいられない」


 身も心もすでに人でなく、血を求めずにはいられない。

 それが吸血鬼という種の性であり、逃れようのない事実。

 俺は、そう言う存在に――成った。


「あなたを助けてあげたいけれど。私達も自分達のことで精一杯、出来ることと言えば、あなたと協力関係を築くことくらいね」

「協力関係?」

「そう。吸血鬼には吸血鬼のルールがあるの」


 人には人の法があり、吸血鬼には吸血鬼の律がある。


「この街の吸血鬼には幾つかの派閥があって、互いに縄張りを持っているの。もしあなたが私達に協力してくれるなら、私達の縄張りで自由にして良いように取り計らうわ」


 縄張り、とはつまり狩り場や餌場、という意味だろう。

 この人達は――今は俺もだが、吸血鬼は人の血を吸って生きている。

 恐らく一ヶ月程度なら、血を摂取しなくても渇きはしない。だが、それでも一月に一度は誰かの血を飲まなくてはならない。縄張りとは、吸血鬼の間で取り決めた、文字通りの吸血を行ってもいい範囲。

 派閥に所属することで、やっと吸血鬼は食事をする権利を得ることができる。


「どうかしら?」

「……協力って言うからには、俺もなにかしなくちゃあいけないってこと、ですよね?」

「あら、話が早くて助かるわね」


 家賃も取らずに部屋を貸してくれる大家はいない。


「察しの通りよ。私達はあなたに居場所を提供する。あなたはその対価として、その居場所を護ってもらう」

「護る?」

「言ったでしょう? 縄張りだって」


 それは至極、当然の話だった。

 吸血鬼に幾つかの派閥がある以上、その間で争いが起こるのは必定だ。誰だって、何処だって、縄張りを広げたいのは同じことだ。追い出して、奪おうともするだろう。他の吸血鬼から、自分の領地を護る必要がある。


「夕によれば、あなた純血を一人殺しているのでしょう? その事実があるなら実力も申し分ないし、なにより信頼できる」

「それは、なぜ?」

「隻翼の派閥は私達の所だけ、だからよ。純血の――両翼のヴァンパイアは、隻翼を酷く嫌うから」


 これらの会話によって、この街の情勢が朧気にだがわかってきた。

 他の派閥の縄張りはすべて両翼の吸血鬼が統治し、隻翼の吸血鬼は一つだけ。このことから隻翼が縄張りとする範囲は、かなり狭いと見ていい。多対一では、自身の縄張りを維持するので手一杯、むしろ持ち堪えているのが不思議なくらいだ。

 酷く嫌われ、目の敵にされても、耐え凌げる程度の戦力がここにはある。


「……わかりました。貴女達と手を結びます」


 条件は、正直に言ってかなり厳しい。出来れば別の派閥に入りたいと思う程度には。

 劣勢も劣勢。

 しかし、質の悪いことに隻翼である俺は、他のどこにも所属することが出来ない。実質、選択肢は一つだけ。明星虹子によって差し伸べられた手は、同時に俺に対する止めの一刺しでもあった。

 俺はここで、生きていくしかない。


「それはよかった。頼もしい仲間が増えることは、とても喜ばしいことだわ」


 どこまでが計算なのか、その微笑みからは読み取れない。

 だが、ともあれ、吸血鬼の仲間が出来たことは喜ばしいことだ。孤独に、渇き続けるよりは、ずっといい。


「そうと決まれば、あなたに色々と教えなければならないことがあるわね。もう夜も遅いけれど、時間は大丈夫かしら? それとも明日にしましょうか」

「あ、なら、此処に泊まっていきなよ。部屋は空いてるからさ」


 吸血鬼のルールについて、吸血鬼という種について、知りたいことは山ほどある。

 いつ何時、ほかの吸血鬼に出遭うかわからない。明日では、遅いかも知れない。知れることは、知れるうちに知って置いたほうがいい。ここは夕の提案に甘えさせてもらおう。


「じゃあ、すみませんが泊まらせてもらいます……あぁ、そうだ。連絡を……」


 うちの両親は心配性で、帰りが遅いと鬼のように電話を掛けてくる。

 そうならないうちに連絡を入れて置かないと後が面倒だ。


「電話するなら、ここ電波が悪いから外に出ないと繋がらないよ」

「ほんとだ。ちょっと出て来る」


 ディスプレイに表示された圏外の文字を確認し、断りをいれてイスから立ち上がる。

 終始、携帯電話と睨み合いをしつつ、電波を探るように移動して玄関扉を押し開く。

 眼前に広がる夜の世界は、だが人であった時よりも明るく見える。

 いや、物の輪郭がはっきり見えると言ったほうが正しい。敷地内にある古ぼけた遊具から、グラウンドを仕切る塀の落書きまで、はっきりとこの目は捉えている。

 心情的に落ち着いた所為か、人間だった頃との違いがよく目に付いた。


「えーっと」


 玄関先にでて、再びディスプレイを確認する。

 電波状況は圏外になったりならなかったりで、今一安定しない。もっと電波の拾いやすい所を探るように、二歩三歩と足を進めてみる。すると、相変わらず電波は悪いが、安定する位置を見付けることが出来た。

 早速、電話を掛けて耳元に押し当てる。


「――誰だ? テメェ」


 それは携帯電話から流れてきた音声ではなく、俺の正面から聞こえた声だった。


「俺の仲間になにをしたッ!」


 その走力は、瞬間的な加速は、人間のそれではない。

 瞬きさえも許されない速度で、奴は――吸血鬼は肉薄し、その拳を突き放つ。

 真っ直ぐに最短距離をいく吸血鬼の殴打。その軌道は、だがこの目でしっかりと捉えられている。冷静に、急くことなく、拳の軌道上に己が手を差し込み、掴むように受け止める。

 直後、酷く乾いた音が鳴り響く。拳圧の所為か風圧の所為か、自身の髪が後方へと靡いた。音と衝撃、拳圧から察する威力は、人体を破壊するに余りあるものがある。もしこの拳を受け止めそこなっていたら、威力を殺しきれなければ、確実に顔が消し飛んでいた。


「――もしもし、帳? あんた今どこにいるの」

「……あぁ、友達の所だよ。今日は泊まりになるから、その連絡」

「そう、わかったわ。失礼のないようにね」


 ぷっつりと通話が切れる。


「失礼のないように、だってさ」


 吸血鬼の脇腹を目がけ、足を薙ぐ。

 けれど、両手が塞がった状態でのこの攻撃は容易く読まれ、蹴りはあえなく空を裂く。ゆっくりと足を下ろし、大きく後退した吸血鬼を見据える。

 見たところ同世代の男だ。奴はなぜか怒りの表情を浮かべ、鋭い目付きで睨んでくる。


「テメェの右肩に付いている、その血痕。それは人間のじゃあねーな。この臭いは吸血鬼のそれだ」


 その言葉を受けて、ようやく現状を理解する。

 孤児院の敷地内に見知らぬ吸血鬼がいて、そいつからは同属の血の匂いがする。その状況下で至る推測は、一つしかない。


「テメェ、いったい中で何人殺した」


 不味い、そう思った。

 それは誤解を与えてしまったが故の表情だった。だが、彼にとってこの表情は、自らの推測に確信を与える良い証拠として映ってしまう。


「許さねぇ……許さねぇぞテメェだけはァアアアアアアッ!」


 怒りのあまり放たれた咆哮は、彼自身に熱を灯す。

 怒りの感情。それが具現化したように、彼の身体が燃え上がる。

 火、炎、灼熱。闇を照らし、天を焦す劫火は、そして俺へと向けられた。


「死んでッ灰になれやァアアアアアアッ!」


 視界を埋め尽くした蠢く赤。

 熱気が頬を撫でてすぐ、回避に移ろうと両の足に力を込める。この身体なら、吸血鬼の身体能力なら、燃え盛る炎から逃げることも不可能じゃあない。


「――あぁくそ」


 けれど、次の瞬間には足を止めていた。

 逃げることを止め、無謀にも立ち向かっていた。

 些細な抵抗をするように、輸血パックを投げ付ける。そして腕で盾を模し、火炎から身を護る。それはまさに焼け石に水だった。炎は容赦なくこの身を焦し、肺を焼く。焼け爛れ、融け落ちた先から身体は再生していくが、その上から更に火傷を負う。

 永遠にも思える地獄の一瞬。壮絶な痛みに耐え、周囲から熱が失せるのを待った。


「――かはッ……あぁ」


 膝をつく。

 炎に耐え切り、炎熱を凌ぎきり、なんとか生還する。


「……どう言うことだ。なんで避けなかった。避けられただろ、いま」


 怒りと困惑が入り交じる声音が、近くから響く。


「俺が、避けたら……燃えるだろうが、お前の家が」

「――まさか……そのために」


 何分、古い建築物だ。

 引火していれば確実に孤児院のすべてが燃えていた。


「今のはなに!? 敵襲!?」


 天まで昇るあの劫火を見てか、夕が血相を欠いて飛び出てくる。


「あれ、蒼夜そうや? いまここで――って帳くん!? どうしたの、それ!」

「なん、でもねー……よ」


 駆け寄ってくる夕にそう強がりつつ、立ち上がる。

 けれど、流石にあの炎熱に耐えきれなかったのか、すぐによろけて体勢が崩れる。


「おっと。ほら、ふらふらじゃん。手を貸すからはやく中に」

「悪い……」


 思ったよりも、身体への負担は深刻らしい。

 視界が霞んで来たし、手足の末端も痺れて来ている。吸血鬼の身体だからと言って、無茶をすれば当然こうなるか。

 いや、吸血鬼の身体だからこそ、この程度で済んでいるのか。


「蒼夜! あんたも手伝って」

「お、俺は……」

「はやく!」

「わ、わーったよ」


 蒼夜と呼ばれた吸血鬼は、つい数秒前まで戦っていた相手に手を貸した。

 やはりと言うべきか、彼は俺達の敵ではなかった。ただ少しだけ誤解が生じただけで、出会い方が違っていれば、こうはならなかったはずだ。

 運が悪いというか何というか、今日は厄日だな。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ