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友人


 夕刻。日も沈みかけ、空が茜色に染まるころ。

 俺は何をするでもなく、孤児院の食堂で暇を持て余していた。

 正確なことを言えば、人を待っているのだが来る気配ない。何か暇を潰そうと思っては見るものの、そんな気力は蒼夜との戦闘訓練で使い果たしてしまった。ただぼーっと、頬杖を付いて廊下に続く扉を眺める。

 そんな風なことを後数分ほど続けた所で、ようやく眺め続けていた扉が開く。


「よう」


 そう声を掛けたのは、今朝に見た人物だ。

 今になって確信する。目元を隠すように伸びた前髪。ゆったりとした静かな動作。その少し驚いたような表情は、間違いなく日和の隣にいた友達と同じ顔だった。


「貴方は、あの時の……たしか、帳……さん?」

「あぁ、その通りだよ。キミに用があって待ってたんだ」


 筆染文子ふでぞめふみこ

 彼女とは話をしなくてはならない。

 一人の吸血鬼として、一人の兄として。


「――ベルセルク、ですか」

「あぁ。そいつについて詳しく知りたいなら、キミに聞いたほうが良いって夕が言っていたんだ」

「なるほど……わかりました。私でよければ」


 夕の名前を出したことが幸いしたのか、特に問題なく彼女は承諾してくれた。

 彼女を待っていた理由のまず一つ目を、聞く。


「ベルセルク。日本語でたびたび狂戦士と訳されるものですが、元は熊の毛皮を身に纏う人物という意味であり、他には神話に登場する称号や、とある国の戦士結社であったとされています。恐らく、彼がベルセルクと呼称される理由は後者にあると思われます」

「とある国の戦士結社、ね」

「言ってしまえば、歴史によくある事実の混淆です。熊の毛皮を纏い戦ったベルセルクは、長い時間をかけて人狼の伝承と混じり合い、いつしか同一視されるようになりました」

「人狼……つまり俺達がいまベルセルクと呼んでいる敵は」

「そう。たしかな出自は不明ですが、彼は狼血の出だと言われています」


 根拠は他に二つある、と彼女は言う。


「一つは彼が血装と血創を戦闘に用いないこと。もう一つは、吸血鬼を第一の敵と捉えているはずの狼血の人浪たちが、彼個人の討伐に固執し続けているということです」

「……一つ目を根拠とするのはわかる。だが、二つ目はベルセルクが純血の吸血鬼だと言っているようなものじゃあないのか?」


 たしかに吸血鬼の能力である血装と血創を使わないのは引っ掛かる。

 だが、使わない、または使えないだけという可能性だって考えられる。それだけでは人浪と断ずるには少々無理があると言わざるを得ない。狼血が固執しているなら、尚更だ。


「そうかも知れません。ですが、ベルセルクという言葉には他にもまだ、いくつか意味があるのです。例えば、無法者や乱暴者。時には異端者や、悪魔憑きとさえ。そして彼を最初にベルセルクと呼称したのは、他でもない狼血の人浪たちなのです」


 それだけ狼血の人浪たちに疎まれている。

 純血が混血を嫌うよう、狼血もベルセルクを嫌っている。それは吸血鬼に対して募らせていた憎悪よりも、優先しなければならないほどの嫌悪があるということ。

 人狼と同一視され、異端者や悪魔憑きと蔑まれる、ベルセルク。

 それは人狼でありながら人狼に嫌われた者、ということになるのかも知れない。


「彼はベルセルクの名にふさわしく、かなり暴力的なのだそうですよ。敵味方の区別なく、純血だろうと、混血だろうと、狼血だろうと、立ち向かうもの全てと闘争に明け暮れた、と」

「……強いのか?」

「えぇ、かつてこの領土が彼に襲われた時、夕さんと蒼夜さん、それから哲也さんが三人掛かりで立ち向かい。そうすることでようやく、撃退することに成功したとか」

「……マジかよ」


 鉄血、熱血、冷血の三人が束になって、それでも仕留めきれないほどの狂戦士。

 夕が他の派閥ではなく、ベルセルク個人を警戒すべきとしたのにも頷ける。無法者、乱暴者、異端者、悪魔憑き。そのすべてに当てはまる、人外の中でも異質な存在。

 どこにも属していないからこそ、どこにでもベルセルクは現れる。領地ではなく闘争が目的なベルセルクは、気紛れに何処でも襲う。

 ゆえに、警戒しなければならない。


「私に説明できるのは此処までです。お役に立てたでしょうか?」

「あぁ、お陰で助かったよ」


 これで目的の一つが果たせた。


「では、私はこれで――」

「待った」


 席を立とうとする彼女を呼び止め、ゆっくりと口を開く。


「実はベルセルクの話はただの口実なんだ。本当に聞きたかったことは、べつにある」

「べつに、と言いますと?」


 小首を傾げた彼女に、告げる。


「――宵噛日和を、知っているよな」

「……どうして貴方が、彼女の名前を」

「俺の妹だ」


 その答えに、彼女は静かに驚愕した。

 頭の中で様々な思いが錯綜していることだろう。吸血鬼の兄がいる。日和も吸血鬼なのか。そんな素振りは見せなかった。嘘か、真か。きっと彼女の心境はそんな疑問でいっぱいだろう。


「宵噛帳。それが一ヶ月ほど前に吸血鬼の眷属になった元人間の名前だ」

「眷属……そう、でしたか」

「あぁ、だから俺は吸血鬼の事情をよく知らないし、妹はただの人間だ」


 吸血鬼とは無縁のただの女子高生だ。


「日和には平和な毎日を過ごして欲しいと思っている。吸血鬼のごたごたに巻き込まれるのは俺一人で十分だ。日和にまで、妹にまで、そう言う面倒事を押し付けたくないんだよ」

「それは……つまり――縁を切れ、と言いたいのですか? 日和さんとの」


 その長い前髪で目元を隠すようにして、悲哀の混じる声音が響く。

 彼女も馬鹿ではない。なんとなく、察してしまったのだろう。自分が、吸血鬼が、人に近付きすぎてはいけないということ。俺がはっきりとした言葉を伝える前に、そう悟ってしまった。


「いいや、違うよ」


 だから、その考えを打ち砕くように否定した。


「俺は日和の兄で、家族だ。そんな奴が吸血鬼になった。そうなると遠からず、きっと日和は吸血鬼の問題事に巻き込まれると思う。もちろん、万難を排してそうならないように手を打つが、それでも手が回らないこともあるかも知れない」


 それはきっと避けられない。

 異常や異形は伝染し、いつの時代も人を翻弄してきた。

 血縁者に一人吸血鬼がいるだけで、きっと俺の家族はすこし普通から逸れてしまう。血の繋がりとはそれほどに強く、それ故に厄介だ。


「だから、日和を護って欲しいんだよ。妹の友人であるキミに」


 たしかに初めは如何に筆染文子を排除するかを考えていた。

 だが、隻翼の現状やベルセルクの知識を得るに連れ、それだけでは最早足りないと気が付かされた。吸血鬼から家族を遠ざけだけでは、問題の解決にも対策にもならない。なら、残された手段は一つだけだ。

 味方に、仲間に、護ってもらう他ない。


「……良いの、ですか? 私などで」

「他に誰か適任がいるとは思っていないな」

「私はっ……私は、戦うことも出来なかった……しなかった臆病者です。なのに……」


 絞り出すような、精一杯の小さな声。

 それは哲也を助けに行く際に聞いたものと、同一のもののように耳に届く。


「戦わなくていい。有事の際には、日和を担いで逃げてくれればそれでいいんだ。そして俺に連絡してくれ。そうしたら、俺が必ず二人を助けにいく」


 戦うことが出来なくても、吸血鬼は吸血鬼。

 その腕力は尋常ではなく、その持久力は人智を越える。人一人、担いで逃げることくらい容易いはずだ。俺が連絡を受けて駆け付けるまでの間、逃げ回っていてくれればそれでいい。


「どうかな。頼めるか?」


 その問いに、だが彼女は答えない。

 瞼を下ろし、深く深く考え込むための沈黙。

 それは数分に渡って続き、そして何かを決意したように目は開く。


「わかりました。日和さんは、私が必ず護ります」


 連れて逃げる、ではなく。護る、と彼女は言った。

 その眼には確かな決意が色濃く浮かぶ。

 その目と言葉に裏付けされたそれは、確固たるモノだと言う確信を、俺は得た。この子になら、筆染文子になら、日和を任せられる。きっと彼女は俺を――日和を裏切らない。


「ありがとう。お陰ですこし安心できた」

「お礼を言うのはこちらのほうです。日和さんと、友達でいることを許してくれたのですから」


 純血の吸血鬼。狼血の人狼。ベルセルク。

 時を追うに連れて、吸血鬼について知るに連れて、外敵が増えて行く中、俺に出来ることと言えば有事に備えて些細な対策を打つことくらい。だが、それでも何もしないよりかはずっとマシだ。

 幸い、いまは隻翼にとって比較的平和な時期と言える。

 いまのうちに羽根を休めておくとしよう。抱え込んだものを、一度すべて下ろすとしよう。いつか来るであろう、翼が折れるほど激しい戦いに備えて。

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