04.ニィ
暗い闇が、降りてきた。静寂が、訪れた。
一瞬前の熱量が嘘のように消え、冷えていた。
「・・・王」
メドューは現れた主を呼んだ。
「メドュー、いけないねぇ、伝令を中途半端にするなんて。この私を呼びよせたのかい? ん?」
「もうしわけ、あり、ません」
この場を一瞬で支配した魔王が、嫣然とメドューを見る。愉快そうに目を細めている。
メドューは王からミノタに伝言を頼まれた。
メドューは、中途半端に、『王、王、王』と口にした。伝言を言いかけ、最後まで伝えなかった。
魔王は、言霊が生まれたのが分かるらしい。分かるゆえに、中途半端にされた言霊を気色悪いと思ったのだろう。魔王は潔癖症なのだ。
気色の悪さに、魔王はメドューの元に現れた。
「まぁ良い、ミノタ。お前はメドューを喰うつもりだったのかい? 禁を破って、私の伝令の言葉も聞かず?」
「め、めっそうも、無い、俺は、」
「メドューがお前のところに行くなんて、私の伝令以外にないだろう?」
「いや、けど、」
魔王に近寄られて長い爪で頬を撫でられているミノタ。
そのまま、王に食われてしまえばいい、とメドューは思った。
「メドューはもう良いよ。水分補給をしておいで。乾燥は女の敵だからね」
「は、ありがとう、ございます」
王は目を細めて、何の動作も無くメドューに『王の加護』を与えた。『こいつに手を出すな。出せば王が報復する』と周囲に知らせる一時的な印だ。
メドューへの加護を目の当たりにして、ミノタが顔色をさらに悪くした。
「お、王、俺は、人間を、」
「ミノタ、今から私を楽しませてくれるんだよねぇえ? 良い子だねぇ」
「は、は、は、はぃ、は、」
ミノタの悲鳴を詰まらせた声を聞きながら、退出の許しを得たメドューは、倒れているニィに手を伸ばす。
熱い。伸ばした手が、ジュっと焼けた。
ニィの身体が、熱い。
だが、連れて行かないと。
人間は魔物より、脆弱な生き物なのだから。
自力で動けるヘビーに支えてもらいながら、メドューはニィを背負って、退出した。
熱い。背中が、焼けていく。
ニィを背負って移動する今、他に狙われたら勝ち目などない、と、メドューも気づいた。
だから、王は自分に加護を与えたのだ。
領地内で食い合い禁止とは言え、日常の小競り合いで死ぬレベルは、死ぬ方が悪い。
恐らく、今、小競り合いであっさり死ぬ状態だ。ヘビーがいるとはいえ、メドューは身動きが取れない。逃げる事もできない。
それを見越して、加護を与えるほどには、気まぐれな王はメドューを気に入ってくれている。
***
ニィを背負ってメドューは歩く。メドューはボタボタと泣いていた。
ニィが動かない。返事をしない。熱い。背中痛い。
ミノタの炎を受けて、人間のニィの体温がさらに上昇しているのか。
「うぅ、ぅううう、ぅうー」
ただでさえ、メドューは熱に弱い。通常人間はやたら熱くて触れない。
だからニィは、メドューのために、冷気を放出する魔法の手袋を常に着用しているし、熱を遮断する魔法の衣服とかを着込んでいる。
だが、それらはミノタの攻撃で損傷したのだろう、今はダイレクトに人間の熱が伝わってくる。
あまりの熱さで、メドューの背中が焼けただれていく。
「うぅううう、ニィ、ニィ、しっかりしろよぅ」
ボタボタ涙を落としながら、メドューは歩く。
助からないのでは、と思うだけで、なぜだかボロボロ泣ける。
コハツがまだメドューでなかった頃、足をくじいたコハツをニィが負ぶって家まで帰ってくれた事が思い出された。なんでそんな事を思い出すのだ、とメドューは自分に嫌気さえ覚えた。余計に辛いだけじゃないか。
いやだ、いやだいやだいやだ、ニィがいなくなるなんて、考えられない。
シャー、とヘビーが鳴いた。
メドューは返事をした。
「いや、このまま、人間界に、連れていく、人間でないと、治せない」
魔界にいては、人間の治し方など、分からない。
***
メドューは、身体の回復が限界を超えると、新しい人間に種を植えて発芽する。そういう魔物だったし、もう何度もそれを繰り返して生きている。
だから、魔界のどこに人間界にいける転移場があるのか、だいたい把握している。
ただし、それらは全て不便な場所にある。逆に入って来られたら困るから、魔界の端においてあるのだ。
メドューはヘビーに助けてもらいながら、ニィを負ぶってやっと最寄りの転移場にたどり着いた。
とはいえ、ヘビーには家での留守番を頼んだ。
「念のため別々に行動しよう。共倒れは避けたい」
頼まれたヘビーは、シャーっと鳴いた。
『もうすぐ脱皮するから、その時までは帰ってきてね』
心配げにメドューとニィを見送るヘビーに、メドューは「必ず」と頷いた。
ヘビーの抜けたての抜け殻は、ふよふよしていてお肌にも良いし、食べてもモチモチで美味しいのだから。
ヘビーは滅多に脱皮しない。だから、ニィとも一緒に食べられれば良いのに。
***
そういえば、ニィには極秘事項を漏らしたよなぁ、と、ニィを背にメドューは思い出す。
メドューとヘビーには、決して他の誰にも漏らしてはいけない秘密があった。
実は、元々は一つの命、根底で命と魔力を共有しているという事だ。
どちらかが生き残れば、良い。片方が倒れても、残った方が命を拾い、また身体を与えるため動く。
最悪同時に死んだ場合は、メドューの頭髪の蛇さえ生き残っていればなんとかなる。とはいえ、その場合は、再び身体を得るのにかなり長い時間がかかるのだが。
ちなみに、メドューとヘビーはこの事を他の誰に気づかせた事も無い。
・・・のだが。
まだメドューの意識が完全でなかった頃。
メドューの『首を落とされた事がある』という黒歴史を知った幼いニィが、動揺して心配して夜も眠れなくなったのだ。だから、『安心しろ』と伝えたくなった。ニィにだけは話してやったのだ。今から思うと迂闊である。
まぁ、『この秘密を知るのはニィだけだ、話したら私は死んでしまう』と念押ししたから、ニィがこの重大な秘密を他者に漏らすはずはないが。
あぁ。思い出した。
昔の懐かしい日。
メドューは目を伏せた。涙がまた地面にボタリと落ちる。
ニィ。簡単に、死んでくれるな。