マイペースな旅立ち
これで1章が終わりです。
翌朝、手紙を読んだ俺は、1週間お世話になったリーサの家に頭を下げてを出た。
リーサは……多分、見送りに来ないだろう。そんな気がした。
寂しいが仕方ないだろう。俺だってもし今リーサにあったら正直気まずい。
「……はぁ」
ため息を吐きババアの家に向かう。
ノックをして『あと3分してから入っておくれ』と言われたので、3分待ってから入る。
家に入った俺が見たのは、椅子に座ってくつろいでいるババア。その体からはホカホカと湯気が立ち上っている。
どうやら、また風呂に入っていたらしい。
「人が風呂を楽しんどったのに何のようじゃ」
「朝っぱらから風呂歯言ってんじゃねーよ。血圧上がって死ぬぞ」
ババアの髪がしっとり濡れていて……ってこの描写いるか?
ババアはきょろきょろと辺りを見渡した。
「リーサは一緒じゃないのかの? お主一人で何のようじゃ?」
「……う」
リーサの名前が出てちょっと気分が落ち込む。
気を取り直して、村を旅立つことを話した。
「ほう、そうか。ま、そろそろ来ると予想はしとったがの」
「おいおい適当言ってんじゃねえよ」
「適当じゃないわ。見ろ、そろそろ来ると思ってお主の荷物を用意しとったわ」
机の上を見ると俺の鞄(拾い物)が置いてあった。
どうやら本当に予想していたらしい。
「何で分かったんだ? ……まさか、エスパーなのか!?」
「それが何か分からんが、多分違う。ワシとて無駄に歳を重ねとるわけじゃない。お主のような小童の考えることなぞ、お見通しじゃ」
なるほど……説得力がある。
俺は感心しつつ、鞄を手に取った。こころなしか、鞄が膨らんでいる気がする。
「なんか増えてね?」
「餞別代わりじゃ。旅に役立つものを色々鞄に入れておいたぞ」
「おおマジで! ……でも、役立つものって言っても、この鞄にそんなに量は入らないだろ」
俺が拾った肩掛け鞄はとても小さい。よく大学生が使っているような教科書3冊くらいしか入らねえんじゃねえのそれって感じのショルダーバッグよりも小さい。
俺の質問にババアは呆れたように答えた。
「何じゃお主、気づいとらんで使っとったのか? それはマジックバッグじゃぞ? 見た目の10倍は物が入るように空間圧縮の魔法がかかっとる」
「マジで!?」
「マジじゃ」
この鞄、そんなレアものだったのか。
この鞄の元持ち主である山瀬ボーンには、心の中でお礼を言っておくことにしよう。
「しかし山瀬ボーンの鞄、そんなに凄かったのか……」
「誰じゃ山瀬ボーン。まあぶっちゃけそこまで珍しいもんじゃないがの。その大きさでその圧縮率なら、そこいらの店でも売っとる。実際、凄まじい物じゃと、その鞄よりも更に小さくて家1件分の荷物が収納できたりするからの」
「家1件ってマジかよ……」
魔法ってすげーな。家1件の話を聞いたせいで、相対的にこの鞄の価値が下がった気がするぞ。
「じゃがまあ……駆け出し冒険者のお主が使うには贅沢すぎる代物じゃな。大切にするんじゃぞ」
「そっか。ありがとな。……ところで、俺が着てた服ってどうしたんだ?」
高校の制服だ。リーサの家で目を覚ましたときには、既に着替えさせられていた。そこまで愛着があるわけではないが、数少ない元の世界の物なので、できれば手元においておきたい。
「安心せい。鞄の中に入れておいたぞ」
「そうか。よかった」
「かなりボロくなっとったから、雑巾にしといたぞ」
「おい」
何ということでしょう。元の世界との繋がりである衣服は、匠の手により雑巾に。
まあ……いいか。実際何日も森の中歩いてたからすげえぼろぼろになってたし。膝の部分にも穴開いてたしな。
俺が鞄を肩にかけると、再びババアが聞いてきた。
「ところで……さっきも言ったがリーサはどこじゃ? 荷造りでもしとるのか?」
嘘を言ってもしょうがないだろう。
俺は昨日のことを話すことにした。
「いやそれが……ババアが言ったとおり旅に誘ったんだけどさ。普通に断られた」
「なんじゃと? それは本当か?」
「うん、めっちゃ断られた」
ババアは眉をひそめつつ唸った。
「……妙じゃな。リーサがまず間違いなくお主に惚れとったはず。過去何百人の男たちの上を通り過ぎた恋愛マスターのワシが見誤ることはない。確かにリーサがお主に見せる表情は仄かに自覚した恋心を灯していた」
ババアの恋愛遍歴が明かされたわけだが、正直かなり怪しい。100人って……。
そんなババアの言うことだから、リーサが俺に惚れていたという話も怪しくなってきた。
ババアはじっとりした目で睨みつけてきた。
「お主変なこと言ったんじゃなかろうな? 俺と一緒に来い、性処理係として一生側に置いてやるな……みたいな」
「ねーよ。あれだよ。なんか父親との約束や使命がどうとかで断られた」
「……父親との約束じゃと?」
ババアが思案顔になった。どうやら思い当たるフシがあるらしい。
「何か知ってんのか?」
「う、うむ。まあ……の。お主になら話してもいいじゃろう」
そうしてババアは昔話を始めた。
リーサの父親が亡くなった、その日の話を。
■■■
村長の家の扉が壊れるほどの勢いで開かれた。
入ってきたのは額に汗を浮かべ、息を切らせている少女、リーサ。
「そ、村長! ヤマセは!?」
リーサは入ってくるなり、掠れた声で村長に問いかけた。
「え? あ、ああ……もう行ったぞ」
村長の言葉に、目に見えて落胆するリーサ。
「そ、そっか……うん。ありがとう」
「別れの言葉がまだじゃったか?」
「……ううん。ちゃんとしたよ」
嘘だった。手紙を置いてきただけだ。ヤマセの顔を見たら、引き留めてしまう。そう思ったから顔を合わせないように朝から狩りに出た。
「……はぁ」
だが狩りは散々なものだった。石につまづいて転ぶし、糞は踏むし、矢は外すし。こんなに酷い狩りは初めてだった。
理由は分かっていた。自分の胸に燻っている後悔という感情だ。その感情が倦怠感のように体に纏わりつき、濃霧のように目を曇らせていた。
どうしてあの時断ったのか……後悔はいつも後からやってくる。
父親が死んだ時もそうだ。
あの日、父親の最後の日。父はリーサに向かって一つの言葉を与えた。
『俺の意志を継いでくれ』
と。その約束の言葉はまるで本当に最後の言葉のような気がして、それ以上聞きたくないと。リーサは家を飛び出した。
家に戻った時には父親は息を引き取っていた。
父親の最後の瞬間を見守ることができなかった。その後悔は今もリーサの胸に茨のついた岩のように居座っている。後悔の感情が溢れると、岩が浮かんできて胸の中をチクチクと突き刺すのだ。
今のリーサの胸は今までで一番痛い。
「……」
そんなリーサを村長はジッと見ていた。
「本当は行きたかったんじゃろう?」
「……っ」
全てを見透かす賢者のような視線に、リーサは目を逸らした。無駄だと分かっているのに。
父親が死んだあと、自分を育ててくれた彼女に隠し事はできない。
「……うん。でもいいんだ。ボクには父さんとの約束があるから。父さんの意志を次いでこの村を守るっていう……大切な約束があるから」
「その約束はお主の本当の望みよりも重いのか?」
村長の言葉は、リーサの核心を突くものだった。
リーサは考える。約束と本当の望みについて。
「父さんとの約束は……」
重かった。そう重かったのだ。今までどんな望みが天秤に乗っても、約束が乗った側の天秤は重く、傾いたまま決して動く事がなかった。これからもそうだと思った。傾いた天秤は一生動かないものだと、そう思っていた。
だけど、つい最近その天秤の片割れに乗る物が現れて。それはどんどん重くなっていった。無論ヤマセのことだ。
彼と過ごす時間が増すにつれ、彼が乗っている天秤はどんどん重くなっていった。
少しずつ均衡は崩れ、今や天秤の傾きは殆ど平行だ。
あと何か一押しがあればひっくり返ってしまいそうな均衡。
だが、結局その均衡は崩れることはなかった。
昨夜のヤマセの言葉で大いに揺れたが、『約束』がまるで茨のように天秤に絡みつき全く動かなくなった。
約束は呪いでもあった。リーサを一生この村に縛り付ける呪い。この約束がある限り、リーサは決して村から出ることはないだろう。
「今が話すべきじゃな」
そんなリーサの心中を見透かしたのか、諭すような口調で村長は口を開いた。
「お主が出て行った後、お前の父親がワシに残した言葉がある。本当の最後の言葉じゃ」
「……本当の?」
自分が聞けなかった最後の言葉。
胸の中の茨がチクチク突き刺さって胸が痛い。
だが聞かなければならなかった。
どうして今このタイミングで告白するのか分からないが、何か意味があるのだろう。リーサはそう思った。
「父親がお前に託した意志、それは確かに……この村を守ることじゃ。だがお主が出て行った後、父親はワシにもう一つの言葉を伝えた。リーサが成人して己の意思で村を出ようとした時、または誰か信頼に足る人物がリーサを外に連れ出そうとした時、その時に伝えてほしい言葉を」
「それって一体……」
「――リーサ、自分の意思に従え」
リーサはその言葉を発する村長に、父親の影を幻視した。
「いつかお前が自分で村を出たいと思ったとき、俺との約束はもしかするとその意思を引っ張る枷になっているかもしれない。だから俺との約束はもう気にしなくていい。責任感の強いお前のことだ。俺との約束は立派に果たしてくれただろう。だから今度は……自分の意思に、自分の望みに従ってほしい」
天秤が揺れる。今までどっしりと根を張り付かせていた約束に、ゆっくりとヒビが入った。
リーサは言葉の一つ一つを飲み込むように、大切に聞いた。
「お前はもう大人だ。自分のやりたいことは自分で決めるんだ。村を出て世界を見ろ。世界は広いぞ。そしてできることなら、俺が伝えた弓を使って多くの冒険者達を驚かせてほしい。俺の娘は凄い弓使いなんだって、それを知らしめてほしい」
「父さん……」
元冒険者だった父親。どうして父親が冒険者をやめて、この村で暮らすことになったか、とうとう知ることはなかった。聞いても辛そうな顔をするのでいつしか聞かなくなってしまったのだ。だけどそれはどうでもいいと思っている。大切なのは、父親が何よりも大切な弓を自分に教え与えてくれたこと。それ自体が何よりの絆だった。その父と自分を繋げる弓を世界中に知らせてほしい、父の言葉は深くリーサの胸に刻み込まれる。
「もしお前が自分の意思ではなく、誰かに誘われて外に出たいと思ったなら……その誰かはお前にとって大切な誰かだ。おまえ自身もそう思っているだろう。ならそれに従え。後悔はするな」
「うん……うん……」
約束にヒビが入るにつれて、リーサの目からはぽろぽろと涙がこぼれていた。
圧し掛かっていた重圧が少しずつ軽くなっていく。村で一番の狩人だった父親の跡を継ぐことに対する責任感。それは幼かったリーサにとって重過ぎるものだった。周りはそこまでのものを幼い少女に期待していなかったが、本人にとってそれは関係なかった。だが、それは今日報われた。
「今までお疲れ様。村を守ってくれてありがとう。本当に……ありがとうリーサ」
最後の言葉には、父親だけでなく村長の想いも込もっていた。
優しげな笑みを浮かべリーサを見つめる村長。
「以上じゃ。ようやく言えたわ。……これでワシも肩の荷が降りたわ。で、これを聞いてどうするリーサよ」
既にリーサの心を縛っていた約束は無くなっていた。呪いのような約束は役目を終えた安堵感と父親の意思を完遂できた満足感へと変わり、リーサの胸の中に温かい光となって消えた。
残っているのは本当の望みだけ。
「村長、ボク……行くよ」
既に迷いは無かった。体に纏わり付いていた倦怠感はない。
自分の望みを叶えたいという溌剌とした感情が、リーサの体中に駆け巡っていた。
短い父親の言葉だったが、それを聞いたリーサの内面は大きく変わっていた。元よりそれくらいの後押しで変わるものだったのだ。
リーサの言葉に、村長は満足げに頷いた。
「そうかそうか。ほれ、そこにお主の荷物が用意してある。こんなこともあると思っての、事前に用意を――」
「村長!」
「おっと」
リーサが村長の膝に飛び込んだ。
椅子がガタリと揺れる。
「今までありがとう……父さんが死んだ後、ずっとボクの面倒を見てくれて……村長がいなかったら、ボク、一人で寂しくてダメになってたと思う」
「なに、お主はワシの孫みたいなもんじゃ。孫の面倒を見るのは当然のことじゃろう」
膝に顔を埋めるリーサの頭の優しく撫でる。
「本当に……ありがとう、お婆ちゃん」
「また、懐かしい呼び名じゃなあ」
まだ父親が生きていた頃に自分を呼んでいた呼び方。
父親が死んで以来、呼ばれなかったいなかったので、つい頬がほころんだ。
「……ほれ。はよう行かんとアイツが行ってしまうぞ」
「うん」
リーサが目元を拭いながら立ち上がった。
その目は今までに無いくらい、活力に満ちていた。
「村の連中にはワシから言っておく。村全体で盛大に見送ってやりたいところじゃがな、まだ眠っているようじゃ。残念じゃのう」
「い、いいよ。恥ずかしいし」
リーサは村長が用意した荷物を背負った。
「じゃあ……行くね」
「ああ、行って来い」
「ボク、ヤマセと凄い冒険者になってくるから。この村にも噂が伝わるくらいの有名な冒険者に」
「ワシが生きているうちに頼むぞ」
村長が笑った。リーサも笑い返す。
リーサは村長の家を出て、村の出口へと向かった。
いつも狩りへ向かう道と同じはずのその道は、いつもと違って新鮮に思えた。
多分自分が新しい一歩を踏み出そうとしているからだろう。そう思った。
「行って来るね父さん」
最後に村を振り返ってそう言ったリーサは、晴れ晴れとした笑顔で駆け出した。
先に村を出た相棒を追うために。
その足どりは長年絡みついていた蜘蛛の糸を振り払ったかのように軽やかだった。
「待っててね! ヤマセ!」
少女は駆けた。朝方の濃霧が混じる森の中を。
■■■
リーサが出て行った後、村長はベッドの下に声をかけた。
「おーい、もう出てくてよいぞ」
「お、おう」
即ち、俺は隠れていたベッドの下に。
俺はもそもそとベッドの下から這い出た。ぱんぱんと埃を払い落とす。
ババアがため息をついた。
「……まさかリーサの話をしようと思った途端、本人が現れるとはのう」
「ああ、マジでびびったな」
リーサの昔話を始めた瞬間、本人に家に飛び込んできて、俺は咄嗟にベッドの下に隠れてただ。
おかげでリーサと一緒にリーサの昔話を聞くことになってしまった。
だが、まあよかった。
リーサが俺の誘いを断った理由、あの時辛そうにしていた理由、それが分かって良かった。
これできっと、リーサは自分の本当の想いに従えるだろう。
冒険者になって自分の弓が一番だと証明する為に。広い世界を見るために。
「頑張れよ……リーサ」
「あのな」
「なんだよババア。俺は今一人の少女が自分の殻を破った瞬間を見てシンミリしてるんだけど」
「リーサは旅立ったぞ?」
「そうだな」
「お主を追ってな。恐らくはお主に追いつくため、全力で走っとるじゃろう」
「うーん、青春」
もうリーサがあの諦めたような寂しい笑みを浮かべることはないだろう。
枷も無くなって自分の心に従うようになった彼女は、これから何の迷いもなく進んでいく。そのはずだ。
あとは心配なのはリーサが俺に追いつけるかどうかだが……大丈夫だろう。アイツ足速いし。
……ん?
「俺ここにいちゃダメじゃん!?」
「その通りじゃ。ワシも何か勢いで送り出したが……話に心が入りすぎてお主がここ隠れていることをすっかり忘れておったわ」
「やべえ! どうすんだよババア! このままだとリーサ、いない筈の俺、いわゆるゴースト山瀬を追ってどこまでも行っちゃうぞ!?」
「誰じゃゴースト山瀬……」
ひたすら俺を追うリーサ。だが俺はいない。もっと先に行ったと思い込んだリーサは更に追いかける。俺はいない。更に追いかける。いない。追いかける。いない。追いかける。リーサはいないはずの俺を延々と追い続ける。
――そして
「リーサは伝説に……」
「何でじゃ」
「ど、どうしよう!? 俺アイツに追いつける自身ないんだけど!」
「う、うむむ……」
こうしている間にも、リーサはどんどん村から離れていくだろう。
確かに俺は足が速くなったが、追いつけるかというと疑問だ。主に体力的な面で。
「こ、こうなっては仕方が無い。いいか今からする話は秘密じゃぞ? 決して誰にもしてはならん。よいか?」
ババアはそう言うなり、突然、床板を剥がした。
そこにあったのは空洞と梯子。
「なにこれ?」
「これは村の各所へと通じる地下通路じゃ。ワシがこつこつ時間をかけて作った物でな。まあ、ここだけの話……リーサの家にも通じておる」
ババアが突然現れることがあったが、どうやらこれを使っていたようだ。
もしかして俺たちの睡眠事情を知っていたのも……
「ババア覗いてたのか?」
「……ぐっ。そ、それはほらあれじゃ。どこの馬の骨とも分からん奴にリーサの純潔を散らされんように、守る必要が……」
「信頼できる云々はどうしたおい」
「ええい! いいから早く行け! これを通れば森の途中まで真っ直ぐ行ける! さあ行けヤマセよ!」
勇者を見送る王のような勢いで俺を穴の中へと押し込むババア。
色々言いたいことはあったが、ともかく急がなければならない。
「真っ直ぐじゃ! 真っ直ぐ走るのじゃ!」
穴の中は人間が一人通れるくらいの大きさで、微妙に薄暗い。脇に幾つか横穴があるが、ババアの言うとおり真っ直ぐ駆け出した。
ひたすら走る。走って走って走りまくる。
間に合わなかったどうしよう。その思いが更に足を速める。
もっと、もっと早く――
そう念じる。
《アクセルムーブ》
その想いが最高潮になった瞬間、以前聞いたような気がする声が脳内に響き、俺の体は一気に加速した。
10メートルほどの距離を一瞬で駆け抜ける。
「うおっ、なにこれ!?」
よく分からないが、これを使えばもっと早く走れる。
俺はひたすら早く走ることを念じた。
強く念じるたびにその加速は発動し、10回ほど繰り返した辺りで出口が見えた。
■■■
「――ヤマセ!」
背後からかけられた声に、俺は振り向いた。
そこには旅支度を整えたリーサが、息を切らして膝に手をついていた。
「はぁ……はぁ……よう、リーサ……ひさしっ、げほっ、げほっ……ぶりだな」
「ど、どうしたのヤマセ? 何か顔色が悪いよ?」
危なかった……。ババアから教えられた村から森の途中に抜ける秘密の抜け穴を走ってきたが、ギリギリ間一髪だった。
あの謎の加速現象がなければ、間に合ってなかっただろう。
「……ふぅ。どうしたリーサ。見送りに来てくれたのか?」
「ち、違うよ! そ、その、ボク……えっと……」
一度断った手前、撤回するのが気恥ずかしいのかモジモジと指をいじるリーサ。
俺は笑った。
「いい機会だし言っとくぞ。俺ってこう見えてしつこいんだ。一度断られたくらいじゃ諦められない。だからもう一度リベンジさせてくれ」
「……うん」
「俺と一緒に来てくれ。で、冒険者になって旅をしよう」
昨夜断られた誘い。でも今は断られる気がしなかった。
リーサはニッコリとはにかんだ。
「うん。こちらこそ……よろしくお願いします!」
■■■
俺とリーサは森を歩いていた。
隣を歩くリーサが先ほどからふにゃふにゃと笑っている。
「えへっ、えへへっ……」
「どうしたんだリーサ。さっきからニヤニヤして……深爪でもしたのか?」
「違うよ!? ていうか深爪してニヤニヤする意味が分からないよ! ……だ、だって昔からの夢だった旅に出て冒険者になるんだよ? 嬉しいからに決まってるじゃん! ……そ、それにヤマセとこれからずっと一緒だし」
「え、なんだって?」
「な、なんでもないよっ」
「いや……それにヤマセとずっと昆布出汁って聞こえたんだが」
「聞こえてる上に何か違う! ……あれ? ヤマセ、今気づいたんだけど」
リーサが俺の体を見た。
何かに気づいたらしい。
「そうだな。俺をお湯に入れても昆布出汁は出ない。なぜなら俺は昆布じゃないからな」
「知ってるよ! そ、そうじゃなくて……ヤマセ。その……随分と軽装だね。あの、荷物入れる鞄とか……は?」
「え?」
リーサに言われて気が付いたが……体が軽い。リーサと一緒に旅に出ることができて、精神的に充実しているからか……と思ったが、実際物理的に軽い。ていうか俺、何も持っていない。
どうやら……ババアの家に荷物を置いてきてしまったらしい。
「ヤ、ヤマセ……?」
リーサが頬を引く付かせた。
「リーサ。俺たちの最初の目的地は決まった。……最初の目的地はアメリの村だ」
「……い、いやだよ! 出発してすぐに戻るとか……絶対にいや!」
リーサの気持ちも分かる。そこそこ感動的な別れをして、まだ20分も経っていない。
どんな顔をして戻ればいいのか。
だがそうは言っても、荷物なしで旅に出るわけにもいくまい。
「そ、そんなぁ……」
引き返した俺の後ろを肩を落としながらついてくるリーサ。
「俺たちの旅はこれからだ!」
「……まだ始まってもいないよ」