マイペースな告白
次で1章が終わります。
色々と衝撃的だった狩りから戻り、俺とリーサは村長であるババアの家に向かった。
「村長ー。ホーンラビットが狩れたから、持って来たよー」
リーサがノック無しに家に入る。遠慮のない振る舞いだが、それだけリーサとババアの仲が深いということだろう。
リーサに続いて家に入る。
「よう来たの。ほれその辺に座れ」
タオルで申し訳程度に裸体を隠したババアがいた。
椅子に座り、リラックスした状態で飲み物を飲んでいる。
「おろろろろろろろっ」
あまりにショッキングかつグロテスクなものを目撃した俺は、その辺に嘔吐した。
突然嘔吐した俺にギョっとしたババアが椅子から立ち上がった。その際にタオルがハラリと落ちて今世紀最大のスペクタクルが俺を襲った。生まれて初めて嘔吐の限界を超えた。
「こらお主! 人の裸を見るなり嘔吐するとはどういうことじゃ!? 失礼じゃろうが!」
「ヤマセ大丈夫!? 村長! は、早く服を着てよ! 恥ずかしい!」
ショッキングな光景を目にして嘔吐した俺の背をリーサが優しく撫でてくれる。
俺は口元を拭いつつババアに言った。
「……なんて格好してんだよ。俺を殺す気か?」
「人が家でどんな格好しようが勝手じゃろうが。そもそもワシの風呂上りに訪ねてきたお主らが悪い」
昼間っから風呂入るとか〇ズカちゃんかよ。
いそいそと服を着るババアを視界に納めないようにして、家の中に入った。
食卓だろうテーブルの前にある椅子に座る。リーサも隣に座った。
俺とリーサの正面に着替えを終えたババアが座る。
ババアはリーサが狩ったホーンラビットを見て嬉しそうに頷いた。
「ほうホーンラビットか。ありがたく角は頂いておこうかの。リーサや、いつもすまんの」
「えへへ。村長にはいつもお世話になってるから、これくらい全然構わないよ」
そういえばリーサがホーンラビットの角は薬になるって言ってたっけ。
話を聞くにリーサはこうやって狩りの獲物をババアにお裾分けしているらしい。ババアだけでなく村人達にも。
この村ではこうやって、狩人が獲物を分けたり、畑で採れた収穫物を分けたり村人同士が助け合って生きている。俺はこの村のそういうところが好きになっていた。もし俺に旅をするという目的が無ければ、永住してもいいと思えるくらいには。
「しかし感慨深いのう。こうやってリーサが一人で狩りをして獲物を持ってくる。昔であれば考えられないことじゃな。昔は父親の背中に隠れてビクビクしとったお前がなぁ……」
「も、もうっ、昔の話はやめてよ。そりゃ昔は父さんにべったりだったけど、ボクもう大人だよ?」
「恋人もできたしな」
「ヤ、ヤマセは恋人じゃないし!」
「誰もこの男とは言っとらんのだがなぁ」
まるで血の繋がった祖母と孫のように親しげに話すババアとリーサ。
今日まで俺が見た限り、どうも村長はリーサに対して特別な感情を抱いているように見える。他の村人以上に深く接しているというか……まるで本当の家族のように。
「さて、ヤマセよ。傷の具合を診るぞ」
ババアの家に来たのは、獲物のお裾分けもあるが俺の傷の経過を診るのも目的の一つだ。
膝に巻いている包帯を外し、ババアに見せる。
俺の素人目に見ても、傷はすっかり綺麗に無くなっていた。
ババアは満足げに頷いた。
「うむ。後遺症も見られんようじゃな。完治じゃ」
「やった。完治だってリーサ」
隣に座るリーサに視線を向けた。
リーサは完治の言葉を聞いて、何故か寂しそうな表情をしていた。
「……リーサ、どうかしたのか?」
「へっ!? あ、い、いやなんでもないよ! う、うん。……そっか、治ったんだ。よかったね、ヤマセ」
俺の問いかけに対し、動揺を含んだ言葉で返すリーサ。
さっきの寂しげな表情から笑顔に変わってはいたが、どうも無理やり作ったような笑顔だ。
どうしたのだろうか。てっきり満面の笑みで一緒に喜んでくれるものとばかり……。
「そっか。もう……治ったんだね」
「……」
そんな不自然なリーサを、何か言いたげな目で見るババア。
結局ババアは何も言わず、俺とリーサは家に帰った。
■■■
家に帰ってから、リーサはずっと何かを考えているように見えた。
俺が何かを言っても「うん」「そうだね」と生返事しか返さない。
流石に気になって聞いてみることにした。
「なあリーサ。ババアの家に行ってから様子が変だぞ? 何かあったのか? もしかしてババアの裸が今になってキツくなってきたのか? だったら俺の裸で相殺するって手段もあるが……」
「……ううん。そうじゃないよヤマセ」
普段だったら『ヤマセの裸なんて見たくないよ!』みたいな感じでツッコミを入れてくるはずだが……やはり様子がおかしい。
俺がジッとリーサを見ていると、リーサはゆっくりと口を開いた。
「あのね。ヤマセ……怪我治ったよね」
「おう」
「それでね……その、ヤマセは……えっと……」
リーサの言葉には迷いがあった。話すべきか、話さないべきか。
俺は黙ってリーサの言葉を待った。
「……やっぱり何でもないよ」
だが、結局。リーサは言葉の続きを話すことはなかった。
俯くリーサ。
「……ごめんね。ボク、夕食作るね」
台所へ向かうリーサの背を見て、俺はため息を吐いた。続きを促せる雰囲気じゃない。
リーサがこんな様子じゃ、旅に誘う話なんてできないな……。
どんよりした空気を変えるために、別の話をすることにした。
「あー……そういえばリーサ。俺がここで暮らし始めてから、着てる服なんだけど」
前々から思っていた疑問。一人暮らしのはずのリーサの家に、なぜ男物の服があるのか。
『昔の彼氏が~』とか言い出したら色んな意味でショックだ。いや、ババアとのやり取りから彼氏いない暦年齢という事実は明らかになっているのだが。だが女は怖い。彼氏もちの女が平気な顔で『私今彼氏いないのー』とか嘘つくからな。
「ああ、それ? それはお父さんの服だよ」
台所で野菜を切りながらリーサが答えた。
何だそうだったのか。拍子抜けした。
「そうだったのか。ごめん、てっきり昔別れた彼氏の服を未練がましく保管しているものとばかり……」
「ヤマセって憶測で凄く失礼なこと言うね!? ボクそんな面倒くさい女じゃないから! ……だ、大体ボク、今まで恋人なんて居たことないし……」
よし、調子が戻ってきたぞ。
「最後の方なんて言ったんだ? ごにゅごにょ言って聞こえなかったんだけど」
「な、なんでもないよっ」
「ボク、今まで恋人なんて居たことないし……までしか聞こえなかったわ」
「全部聞こえてるじゃん! ……もう。ヤマセって酷いなぁ」
リーサがたんたんと小気味いい音を立てながら包丁を下ろす。
言葉こそあれだが、機嫌を損ねた様子はない。
しかし父親の服、か。
「通りで少しサイズが大きいと思った」
といっても些細な違和感だ。
「ふふっ、多分ヤマセがあと2年くらい成長したら、ぴったり合うと思うよ」
「いや、俺は成長すると体じゃなくて首が伸びるタイプだからな。ぴったり合うことはないと思う」
「気持ち悪っ! 何で首が伸びるの!?」
「そりゃ戸棚とか高いところにしまってるお菓子とか食べたいからな」
「下ろして食べればいいのに!」
その通りだった。
しかし父親か。ウチの父親は元気してるだろうか。
そういえばもう会えないかもしれないんだよな……。もっと親孝行しておくべきだったか。
いや、俺の代わりに妹が精一杯孝行してくれるだろう。ウチの妹は『兄さんの服と一緒に洗うと匂いがつくので』と一見酷いことを言うが、あとで風呂場を覗くと俺の下着やらをわざわざ手洗いで洗ってくれる優しい子なのだ。
「そうか、お父さんのか。じゃあお礼言っとかないとな。俺の体臭染み付けてすいませんって」
「何その全然嬉しくないお礼……」
「あと大切な一人娘の心奪っちゃってごめんなさいって」
「う、奪われてないし! いくら同年代の男の子と接する機会がないのに、いきなり一緒に暮らすことになって何だかんだ凄く楽しくても……そ、そんな急に好きになったりしないし!」
タタタタタタと包丁の音がビートを刻んだ。
包丁の音がリーサの感情にシンクロしているのか、非常に分かりやすい。
「……それにね。お父さんにお礼はいいかな」
包丁の音が止まった。
「なんで?」
「私が10歳になる時に死んじゃったから」
リーサが振り返りながら言った。寂しげな笑み。ババアの家で見た笑顔で同じもの。
なるほど……。一人暮らし、男物の服、微かに残るリーサ以外の生活の残滓。
亡くなった父親と暮らしていたのか。
「流行り病でね。毎日一緒に狩りに行くくらい元気だったのに、ある日パタッと死んじゃった」
「そうか」
「……何か普通の反応だね」
一体どんな反応を求めているのか。
だが個人的な経験で、こういう時部屋に謝られたりされると微妙に困ることを俺は知っていた。
「こういう時って謝ったりするだろ? でも謝られたら正直反応に困らないか?」
「え? あ……う、うん」
気がつけばリーサが手を止めてベッドに座る俺を見ていた。
「俺もさ。すっげえ困ったよ。謝られてもさ、どう返せばいいか悩むし。別にいいですよー、って言うのも何か変だろ?」
リーサが「あ」と何かに気づいたように口を開けた。
「えっと、もしかして……ヤマセも?」
「ウチは母親だけどな」
母親という言葉を出した瞬間、一瞬だけリーサの体が強張った気がした。……こっちには触れないほうがいいらしい。
俺は母親、リーサは父親が亡くなったらしい。この家で過ごして1週間、新たな事実の判明だ。
きっと他にも俺が知らないリーサのことはたくさんあるんだろう。
「……そっか。ヤマセも……なんだ。一緒だね。ふふっ、何か変な話だけど親近感覚えるよ」
「変な話だけどな」
親の片方が死んで親近感を覚えるってのは正直どうかと思うが、俺とリーサも互いに気にしていないしいいだろう。
「そうなんだ。ヤマセも、一緒か。……うん」
リーサは頷いた。その顔からは、先程からあった迷いや不安は消えていた。
何かを決めたような真っ直ぐな感情が灯っていた。
「あのね、ヤマセ。大切な話があるから、明日の夜付き合って」
リーサはそう言った。
■■■
翌日、俺は一人でババアの家を訪ねていた。
風呂上りだったのか湯気を立ち上らせるババアを見て、いつか高血圧こじらせて死ぬんじゃないかと少し心配した。
「で、ワシに話とは何じゃ。リーサも連れんと一人で」
「あー……実はな」
「……そういえばお主、どうもワシが風呂上りの時ばかり訪ねてきよるな。ま、まさか……お主、ワシの体が目的か!?」
「ゲロ吐くぞ」
「やめよ」
目的は一つ。ババアの体……ではなく、リーサを旅に連れて行くことを伝えるためだ。
ババアはリーサを孫のように可愛がっている。連れて行くなら、話を通しておくのが筋だろう。
もし断られたら――ババアを倒すしかない。
「じゃあ率直にいくぞ。リーサを旅に連れて行こうと思ってる。もし断るならババア! てめえを倒す!」
「おかしいじゃろ。普通そこはワシが『もしどうしてもリーサを連れて行きたいなら、ワシを倒せ』って言うべき場面じゃろ。なに最初から倒しにかかっとるんじゃ」
ババアはやれやれと溜息を吐いた。
「よいぞ。連れて行け」
「じゃあ行くぜ! 俺の先行フェイズ――ってあれ? いいの? 連れて行っちゃうんだぞ? 近くの村までちょっと……とかじゃなくて、ガッツリ世界の端まで行く気なんだけど」
あっさりと了承されて拍子抜けした俺。
そんな俺を見てババアは笑った。
「よいと言ったじゃろ。いくらでも連れて行け」
貴様のようなろくに正体の分からん相手のリーサが任せられるか……くらいは覚悟してたんだけど。
「リーサもよい年じゃ。そろそろ外の世界というものを見せてやりたいと思っていたんでな。いい機会じゃ」
「そうなのか」
「昔からリーサ自身も旅には憧れがあったようじゃしのう。あれの父親が元冒険者でな。父親の話を聞いては、自分もいつか村を出て冒険者になると言って聞かんくてな。最近になって言わんくなったが、憧れ自体はまだ抱いとるじゃろ。たまに冒険者がこの村にやってきたときも、うざいくらい纏わり着いて外の世界の話を聞こうとするかしの」
これはいい話を聞いた。
リーサが旅に憧れを抱いているなら、俺の誘いにもいい返事をもらえるかもしれない。
しかしリーサの父親か。
「リーサの父親って冒険者だったのか。そういえば親父さんってリーサが10歳くらいの頃に亡くなったんだよな?」
俺の問いかけにババアは眉を寄せた。
「……そうじゃが。その話、本人に聞いたのか?」
「そうだけど」
「そうか……そうか」
ババアは得心がいったと様子で頷いた。
俺の顔をジッと見て「なるほどのう」と意味深な笑みを浮かべて呟やいた。
「やはりお主で間違いないじゃろう。出発はいつじゃ?」
さくさく話を進めていくババアに俺は戸惑いを隠せない。
「い、いやいや。本当にいいのか? どこの馬の骨とも分からん奴にリーサを任せて」
「構わんよ。今日まででお主がどういう人間かは大体わかった。お主、一見アホのように見えるが……その本質もアホじゃ」
「喧嘩売ってんのか?」
「じゃが決して悪い人間ではない。リーサが父親のことを話すほど心を許したことからも、それは分かる。それに……リーサも好いた男のそばにいた方が幸せじゃろうて」
「は?」
いつから好いた惚れたの話になったのか。
「何じゃその顔は。身に覚えが無いような顔をしよって
「実際ないし。大体……まだ会って一週間なんだけど」
ババアはケラケラ笑った。
「何じゃお主、一目ぼれという言葉を知らんのか?」
「一目ぼれした相手の膝は打ちぬかんだろ」
恋ってのはハートを打ち抜くもんで、間違っても膝を打ち抜くもんじゃないし。
ババアは『男ってほんとこれだから……』と肩をすくめつつ俺に言う。
「考えてみい。この村から殆ど外に出たことがない、同年代の異性もおらん、たまに来る外からの人間も父親くらいの商人や冒険者じゃ。そんなろくに異性に縁のない女の下にじゃぞ? 閉ざされた森から自分と同じ年頃の謎多き男が現れる。何かこう……運命的なものを感じるじゃろうが。そんな相手と一つ屋根の下じゃぞ? 普通の乙女じゃったら少なからず恋の落ちるじゃろうが!」
遥か昔に乙女を終えたババアが言うとあまり説得力がないが……。だが筋は通っている。
「確かにそうだな。少女マンガとかでも大体ヒロインが惚れる男も大なり小なり秘密を持ってるし。……なるほど。しかもイケメンときたら、そりゃ惚れるか」
「……」
俺がイケメンと名乗ったことで、ババアが何か言いたげな顔で見てきた。
「……そうじゃろう? そもそもじゃ! 好きでもない相手と同衾なんぞするか?」
「いや、あれはリーサの寝相が想像以上に悪くて……」
「確かに。初日のアレは事故じゃったかもしれん。じゃがな、そんなことがあったら次からは普通は眠るときだけででもワシのところに来るなりするじゃろ。ここ数日は自分から布団に潜り込んで行っとるしな」
……あれ? 初日に一緒に寝たことは言ったし理由も説明したけど……ここ数日のことは言ってないよな。
俺がそれについて問いただそうとするも、その前にババアが言う。
「旅に誘う話はリーサにしたのか?」
「いや、まだだけど」
「だったら早うせい。あ奴も色々と準備があるじゃろうしな。ことは早いほうがよい」
ババアの言うことは最もだった。
ちょうど今日の夜、リーサが俺に話があるらしいし。その時に話そう。
■■■
家に帰り『こっちの方が……』『いやいやこの誘い方だと殆どプロポーズ』『でもこっちだと逆に淡白すぎるし』と何やら複数の紙を見ながら、そわそわ落ち着かないリーサ。部屋の中を言ったり来たりして非常に面倒くさい。
そうこうしてるうちに夜になり『ええい、もうなるようになれ!』と紙を放り投げたリーサにつれられて外に出た。
リーサに連れられて向かったのは、村の外れにある見張り台だった。
村全体が見える位置に立っている20メートルくらいの見張り台。
どうやらこれに登るらしい。
「さ、ヤマセ。気を付けて登ってね」
「御先にどうぞ」
「え? 分かった、じゃあ先に上るね」
見張り台は近くで見るとより高く見え、梯子を上るのは正直少し怖かった。
だが見上げるとリーサの下着が目に入ってきて、それはそれで気を取られて手を滑らせそうで怖かった。
頂上に近づき、先に上ったリーサの手が差し出された。
白くて所々弓で出来たと思われる傷がある手を握る。そのまま見張り台に。
「はい、横に座って」
膝を抱えて座ったリーサが、ぽんぽんとお尻のすぐ横の床を叩いた。
見張り台は狭く、リーサとほぼ肩が密着するくらいの距離になった。
触れた肩や腰からリーサの熱が伝わる。
「ここに何かあるのか?」
俺はここに来た目的を問いただした。
「ふふっ、空を見てヤマセ」
リーサが天を指さす。その指を追って空を見た。
――満点の星空が煌めいていた。
真っ黒な絨毯に色とりどりの金平糖をぶちまけた様な空。
思わず息を飲んでいた。工場から出た煙などでフィルターのかかっていない、新品の空。
「すごい」という言葉が無意識にこぼれた。
そんな俺を見て満足げに微笑むリーサ。
「えへへ……びっくりしたでしょ。ここボクのお気に入りの場所なんだ」
「凄い、な。いや、正直びっくりして落ちそうになった」
「落ちないでね!?」
リーザの肩がビクリと震えた。
「しかしあれだな。ちょっと狭いな」
「あはは……誰かと登ったの初めてだったから、こんなに狭くなるとは思わなかったよ」
「初めて?」
「う、うん……ヤマセが初めて、だよ」
「そっか」
「……えへへ」
リーサがこちらを見ながら照れたように微笑んだ。リーサの吐息が俺の頬を撫ぜる。
そのまま2人で夜空を見上げた。
10分くらい空を見ていると、隣から小さく息を吸う音。
視線を向けると緊張した面持ちのリーサが、ゆっくり息を吐き出しているところだった。
「――ヤマセ」
決意を滲ませた言葉。
リーサの頬はじわりと赤くなっていた。それは恐らく寒さからくるものではなく、緊張からくるものだろう。
振り絞るような言葉に声が震えていた。
「ヤマセが来て……あっという間に時間が経ったね」
「ああ、そうだな」
「ボク人生でこんなに早く時間が過ぎたの初めてだった。……それくらい、楽しかったんだ。うん。ヤマセが来て、初めてお父さん以外の人と暮らして……最初は緊張したよ。でもヤマセってすっごく変だから、そんな緊張する暇なんてなくて……気が付いたらヤマセがいる生活に慣れてた」
ゆっくりと、指で文字をなぞるように話すリーサ。
一言一言を確かめるように。
「ボクね。今のこの生活が……すっごく楽しい。ヤマセがいて、一緒にご飯を食べたり、遊んだり、狩りに行ったり。できれば……こんな生活が続いて欲しい」
「俺もそう思うよ。今日まで凄く楽しかった」
「ほんと? ……嬉しい」
俺の言葉にリーサが安心したように笑った。
「だから、ね」
リーサの肩から伝わる緊張感が高まるのを感じる。
これからが本題なんだろう。
俺は黙ってその言葉を待った。
「だ、だからね。だから、その……」
リーサの肩から伝わる熱で汗をかきそうだった。
リーサの声は震えていて、吐き出された吐息が頬を撫ぜた。
リーサの顔は今まで見た中で一番赤く、目も潤んでいた。だが一度も俺から顔を逸らすことはなく、言った。
「――あのね。ヤマセさえよかったら……もしよかったら、このままボクと一緒に、この村で……ずっと過ごしてほしいな」
そう言ったのだった。
想像していなかった……というと嘘になる。リーサはここ数日、俺がこの村をどう思っているか、などを遠まわしに聞いてきた。恐らくそれはこの村に留まる意思があるかを確認していたのだろう。
真剣なリーサの言葉に、俺も嘘偽りない言葉で返すことにした。
「リーサ、ありがとう。その……凄い嬉しいよ」
「ほんとに!? ヤ、ヤマセ――」
リーサの手が俺に触れようとする。それが届く前に言葉を続けた。
「でもゴメン。それはできないんだ」
「……あ」
リーサが目を見開く。
俺に触れようとした手が虚空をさまよい、自らの胸辺りをギュッと握った。
「俺、明日村を出るよ」
そのまま続ける。
「本当に色々お世話になった。凄く楽しかった」
俺の言葉にリーサの目がジワリと潤いを持った。
「……でも……そんなの、ないよ。だって、ボク、まだ、もっとヤマセと一緒に……。そ、それに……はっきりとはいえないけど、多分、ボ、ボクっ、ヤマセのこと……!」
リーサの声に嗚咽が混じり始めた。顔を伏せてしまう。
俺は本題に入ることにした。
「で、ここからが本題なんだが」
「へ?」
リーサが顔を上げた。目が赤い。
「俺はこの村を出て冒険者になろうと思ってる」
「冒険……者? え、ヤマセって……冒険者になるつもりだったの?」
「ああ実はな。で、正直言うとこの世界のこと殆ど知らないし、地理にも疎い」
「う、うん……」
「そこでもしリーサがよかったらなんだけど……一緒に来てくれないか?」
ババアに言われたからじゃない。
俺は心の底からリーサに来てほしかった。リーサがいると心強い。何より一緒に生活をしたことで、お互いのことをよく知っている。それにリーサといると楽しい。
「え、え……え? 一緒にって……つまり、その……ヤマセと冒険者になるってこと?」
突然の誘いに、混乱しているリーサ。
落ち着かせるようにゆっくり話す。
「そういうことだ。ババアから聞いたんだけど、リーサも冒険者になるのが夢だったんだよな。だから、俺と一緒に来ないか? 」
「ヤマセと一緒に?」
「そうそう」
「……っ」
リーサの目が大きく開き、口元が笑みを浮かべた。
苦労の果て、宝の地図に載っていた宝に辿りついたような堪えきれない表情を浮かべるリーサ。
「ボ、ボク、ボクも――」
喜びを隠しきれていない顔で、口を開く。
「あ……」
が、その言葉は途中で止まった。今先ほどまで笑みの形を浮かべていた唇をぎゅっと噛みしめる。
右手はぎゅっと胸の辺りを握っている。何かを抑えるように。
宝物を見つけた子供のような笑顔は、落ち着いた……悪く言えば諦めたような笑みに変わった。
「……ありがとうねヤマセ。ボク、すっごく嬉しいよ。でも……ごめんね」
「え」
断られるとは思っていなかった俺の胸にジクリと鋭い痛みが走った。
てっきり二つ返事で引き受けてくれると思っていただけにショックがでかい。。
秘密の場所に案内してくれるくらい仲良くなったし『しょうがないなあヤマセは』みたいに了承してくれると考えていた。
だが結果はノーだった。お断りされた。
「あー……ちなみに断った理由とか聞いても?」
何だか告白してフラれた理由を聞くみたいで、未練がましく思えてしまうが……気になる。
俺の問いかけにリーサは諦めたような笑みを浮かべたまま答えた。
「ボクにはこの村を守るって役目があるから……。ヤマセの誘いは凄く、嬉しいけど……でも、やっぱりごめんね」
リーサは胸を抑えたまま言った。
無理やり作ったような笑顔を浮かべるリーサに、それ以上の追求はできなかった。
「ヤマセが旅に誘ってくれたこと。ボクすごく嬉しかったよ。子供の頃は……その、冒険者になりたかったから。今は……違うけどね。狩人としてこの村を守り続けるのが……ボクの……夢なんだ」
夢、という言葉の前には長い間があった。
だが俺はそこにどんな感情が篭っているのか、聞くことはできなかった。
「……」
「……」
無言の俺たちの間に、冷たい風が吹いた。見張り台がグラグラ揺れる。
心の中にはいくらでも話したいことや聞きたいことがあるのに、それを口にすることができない。
そういうことができる空気は終わってしまった。
リーサが立ち上がった。
「ボク、先に戻るね。ヤマセ、その……明日は……ちゃんと見送るから。旅、その……頑張ってね」
そう言って梯子を降りていくリーサ。そして見張り台に一人残された俺。
一人寂しく星空を仰ぎ見る。
深い深いため息を吐いた。
「あー……振られちゃったよ」
明日から一人旅か。
たった一人で森をさまよったことを思い出し、心底いやな気持ちになる。
だがそれ以上に、明日からの旅にリーサがいないという事実は俺の心を強く打ちのめしていた。
その夜、家に帰るとリーサはベッドから離れた毛布で眠っていた。
俺もベッドに入りすぐに眠った。
その夜、この家に来て、初めてリーサがベッドに入ってこなかった。
朝になり、隣にリーサはいなかった。家の中にも。
残されていたのは朝食と『今日は朝から狩りに行きます』という手紙だけ。
俺は朝から暗鬱な思いを抱いて、着替えをするのだった。