マイペースな狩り
村での穏やかな日々は続いた。
村の子供と遊んだり、ババアの茶に付き合ったり、リーサを弄ったり。
俺の怪我の方も快調で、一人で歩くことができるようになった。ほぼ完治しはしていたが、念のためもう少し様子を見たほうがいいとババアから言われた。
そして村での生活も6日目。
「じゃあ、今から森に行くけど……」
村の入り口に俺とリーサは立っていた。
今から森に狩りに行くリーサについていくのだ。
リーサは前に森の中で見た、狩人の格好をしている。俺も森に入るために長袖長ズボンであるが、動きやすい服を着ている。随分年季が入った服だ。俺が着るには少し大きいが、そこまで問題は無い。
「本当に大丈夫? まだ完全には治ってないんでしょ?」
「大丈夫だって」
リーサが心配したような表情で俺を見た。ババアには狩りの付き添いの許可は貰っている。それでも心配性なのか、リーサはあまり乗り気ではない様子だ。
そんなリーサを安心させる為に、その場何度かジャンプしてみる。
「もー、あんまり調子乗っちゃダメだよ」
調子に乗るなと言われたら乗ってしまう俺である。
そのまま反復横飛びを始めた。
「だ、だから調子に乗ったら……って、ヤマセ凄い。何その動き――速っ」
「え?」
俺は普通に反復横飛びをしてるだけなんだが……。
どうも体のキレがいい。動かそうと思ったら、すぐに動くっていうか……反射神経がよくなってる?
あまりの速さに発生した風が土埃を舞い上げている。目に映る光景も新幹線の窓から見た景色みたいに流れている。
俺ってこんなに素早く動けたっけ?
「ヤマセってもしかして……かなり『格位』が高いんじゃ?」
「『格位』? なにそれ?」
リーサの口から出た聞きなれない言葉に、疑問符を浮かべる。
「え、知らないの? そっか。えっと何て説明すればいいのかな……ほら、魔物とか倒してたら強くなるでしょ? それはその人の『格位』が上がるからで……格位が上がったら力が強くなったり、足が速くなったり……それが『格位』だよ」
……ああ、そうか。『格』ってのはもしかして……レベルのこと、か?
魔物倒したら強くなるって……普通にRPGだな。ここがRPGみたいなファンタジー世界ならどんなRPGなんだろうか? 初期の○ラクエみたいにレベルとステータスだけのシンプルな感じか、それとも最近のRPGみたいにスキルやらが盛りだくさんの主人公を自分の好みに育てられるタイプか。
「そんなに早く動けるってことは、多分ヤマセの『速格値』ってすっごい高いと思うよ。専用の道具がないからはっきりした数値は分からないけど……でも絶対そう!」
また知らない単語が出てきた。恐らくだが、すばやさ的なステータスだろうか。
「え、そうかな?」
「そうだよ! きっと力格値も凄いよ! そうだヤマセ、ちょっと握手しよっ。力比べ力比べ!」
「お、いいぜ」
俺は持ち上がられるとホイホイ乗ってしまうタイプだ。受けてた立とう。
差し出された手を握り返す。弓を使ってるからか、少し豆があたった。だが柔らかくてさわり心地のいい手だ。
相手が女の子であることを考え優しく、それでいて俺のたくましさが伝わるくらいの強さで握った。
――瞬間、大型トラックに手を引かれたんじゃないかと錯覚するような激痛が走った。
「んぎゃああああああ!? 何すんだよ! 俺の右手をオシャカにする気か! このメスゴリラ!」
「めっ、めすごりら!? よくわかんないけど酷い! ちょっと力入れただけだよ! で、でもおかしいな……それだけ早く動けるのに、全然力を感じなかった。……まだその辺の子供の方が強いくらい」
「お? 物理攻撃の次は精神攻撃か? やんのか? あ?」
「ご、ごめんって……うーん、ヤマセって本当によく分からないなぁ」
腕を組みつつ首を傾げるリーサ。
人の右手を粉砕直前まで追い込んでおいてこれだよ。
何とか一泡吹かせてやりたいと思った。
この素早さを使ってなんとか……そうだ。
俺は思いついた案を実行するために、腰をどっしり落とした。
「おら!」
そのまま思い切り勢いをつけて地面を蹴った。リーサの右正面から右後方に擦れ違うようにして駆け抜ける。
目に映る景色が一瞬で流れ、体感で1秒にも満たない時間でリーサ後方に移動した。
擦れ違う瞬間、リーサのスカートを捲るのも忘れずに。
「ひわぁ!? な、なんでスカートが……!?」
リーサが俺の手によって捲くれ上がった赤いスカートを抑えていた。だが一瞬だが下着は見えた。
「なんだ……また赤かよ」
「ヤマセ!」
普通に怒られた。
【地格技を会得しました】
顔を真っ赤にしたリーサに怒られていると、脳内に謎の音声が響いた気がした。
だがその時俺は、実はまだスカートの一部が捲れ上がっていることに気づいていないリーサを眺めていたので、すぐに忘れてしまった。
■■■
リーサと一緒に村の入り口から出た。アメリの村は森に囲まれているらしい。言わば村の外全てが狩場だ。
そういえば俺がいた森はどの辺りにあるんだろうか……。いつか聞いてみよう。
「ヤマセ。ついてくるのはいいけど、絶対にボクの言うことを聞くこと。ヤマセ狩りしたことはないんでしょ? だったら先輩であるボクの言うことは絶対ね」
むんと右手を腰にあて、左の人差し指を立てながら言うリーサ。手のかかる弟に注意する姉っぽい。
「分かったけどさ。……その、俺童貞だからさ、性処理の道具になれって言われても上手くできる自信ないよ……」
「言わないよ! 言うわけないでしょ!? 今から狩りするんだよ!? 狩りと関係ないそんなこと言わないよ!」
「でもほら、獲物を仕留めた時って昂ぶって自分を慰める狩人もいるって……」
「そ、それ誰に聞いたの?」
「ババア」
「もう村長は! ヤマセもそんなこと真に受けない!」
まあ、実際真に受けたりなんかしてないって言うか、そんなこと言われてないしな。
俺がリーサの恥ずかしがる姿を見たかっただけだし。
顔を赤くしたリーサが人差し指を再度俺の前に差し出す。
「と、とにかく! いい? ボクの言うことは絶対!」
「……ぺろ」
「ひゃわぁ!? な、なんでボクの指を舐めたの!?」
「QYK(急に指が来たので)」
「赤ん坊か!」
あ、今の通じたんだ。
最初の頃は通じなかったのに……これは俺とリーサの信頼関係が深まってきたからか?
「もうっ、行くよ!」
森の奥に入っていくリーサ。俺はその背を追った。
■■■
リーサは地面に残った足跡、倒れた草の方向、木に残された爪、糞、食べ残し……などを真剣な目で発見しながら、すたすたと歩いていた。
その目は俺が初めてあの森で見た、狩人の目だ。
獲物の痕跡を探し、追い詰め、仕留める、そんな目。
流石の俺も空気を読んで黙っていた。
黙々と森の中を歩き続ける。一人で延々と森の中を歩き続けたトラウマがフラッシュバックしそうになるが、リーサと一緒なので何とか発症は抑えられた。
「……ふぅ」
リーサが額に浮いた汗を拭いながら息を吐いた。
緊張の糸を緩めたリーサを見て、俺も小さく息を吐いた。
「ひゃんっ! ヤマセ、顔が近いよ! 息当たってるから!」
「当ててんのよ」
「当てないでよ、もうっ!」
リーサは木の幹に背を預けて座り込んだ。
「ん? 休憩か?」
「そうだよ。獲物の大体の位置は掴んだからね。ちょっと休憩したら、向こうから弓の範囲に入ってくるよ」
「何で分かるんだ?」
「さっきまで足跡とか色々見てたでしょ? ああいうのから、大体の移動範囲が分かるからね」
「わはは」
「い、いやいや! 何で『はいはい』みたいな顔で笑うの!? 本当だからね!? これ狩人のぎじゅちゅだから!? ああ、もう噛んじゃったよっ」
両腕を使って不満を訴えかけてくるリーサ。俺がそれを見て笑っていると、俺におちょくられたのに気づいたリーサはぷくりと頬を膨らませた。
「それにしてもリーサはアレだな」
「なにさ」
膨れ顔のままのリーサ。
「料理も上手いし、弓も上手い……いいお嫁さんになるな」
「ば、ばかっ……もうっ、そんな風に言われても機嫌直したりなんかしないし……でも嬉しいな」
膨れた頬から空気を抜きつつ、そっぽを向きながら照れる。
が、その顔で困惑したものに変わった。
「……ん? 待って、弓関係ないよね? 弓とお嫁さん、全く関係ないよね」
リーサの当然の疑問。だが俺はこの瞬間を待っていた!
「関係あるよ。――旦那の心を打ち抜く……なんてな!」
「上手くないよヤマセ……」
「旦那の心を打ち抜く……なんてな!」
「2回言っても上手くないものは上手くないって……」
「旦那の! 心を! 打ち抜く! 恋の狩人!」
「もう無理だよヤマセ! やめなよ!」
「……旦那の膝を打ち抜く」
「ヤマセ!」
怒られた。膝ネタは鉄板だな。
■■■
さて、次はどんなネタでリーサを弄ろうか。
「――ヤマセ静かに」
なんて邪まなことを考えてるのがバレたのか、突然リーサが俺の口を手で覆った。
やばい。キレたか? 俺ここで殺される?
「……獲物が来た」
リーサが狩人の目で、森の奥を睨む。
俺もその視線を追うが、何も見えない。だがリーサには見えているのだろう。
リーサは静かに立ち上がり、弓を構えた。
深く息を吐き、吐いた以上の息を吸い込む。
弓を支えた手と別の手で弦を引く。
その視線は森の奥から全くぶれない。
そのままリーサは静止した。
「――」
まるで美術館に飾られた彫刻のようだと思った。それほどまでに綺麗な姿。俺はその姿に一瞬で見惚れていた。
一種の芸術染みた洗練された動作、構える姿に心を奪われる。。薄暗い森の雰囲気と相俟って、神秘性すら感じた。
そんな場を壊したくない、そんな想いで俺は息を呑むことすらできなかった。
そのまま、時間が過ぎた。10分だったかもしれない。30分かもしれない。もしかしたらたったの10秒間だったかもしれない。
そんな時間の感覚すら曖昧になる静謐な空気に包まれていた。
そして一瞬、リーサが弦を手放した瞬間、その空気は霧散した。
ヒュンと音を立てて森の奥へ飛翔する矢。
俺はその軌跡を目で追うことができた。緊張感からもたらされる集中力の一時的な向上か。飛翔する弓、その矢羽のかすかな震えすらも確認できた。
矢が飛び去って1分ほど。リーサは森の奥を睨み続けた。
「……ふぅ」
そして弓を下ろし、深く息を吐く。
俺はリーサの顔を見た。
リーサは弓を持っていない手で、ガッツポーズをとった。その顔にはちょっと照れたような笑み。
「失敗か?」
「成功だよ!? どう見ても成功した振る舞いでしょ!? 外しといてこんな顔するわけないでしょ!?」
「矢を外したら喜ぶ特殊な性癖かと」
「少なくとも狩人にそんな性癖の人間はいないよ! 間違いなく破滅するよ!」
いるかもしれないだろうに。世界は広いからな。
森の奥へ向かったリーサを追う。
獲物は頭を貫かれて地面を転がっていた。
兎だろうか。先ほどまで元気に飛び跳ねていただろうそれは、額を矢に貫かれ血を流していた。ピクリとも動かない。死んでいるのだ。
俺は自分の中に生じた感情――恐らくは恐怖だろうそれに身を包まれ、動くことができなかった。
「……これがね。生き物を殺すってこと。自分以外の命を奪って、糧にする行為。残酷でしょ? ボクだって最初はとても怖かった。自分の放った矢が生き物に当たって、もう動かなくなるんだ、ずっとね」
俺に生じた恐怖に気づいたのか、リーサが前から俺の体をギュッと抱きしめる。
顎の下にあるリーサの赤い髪からは、汗と彼女の体臭が混じった不思議とイヤじゃない香りが立ち昇ってきた。
「ごめんね。本当は見せたくなかったんだ。ヤマセは優しいから……多分生き物が死ぬところを見ると、ショックを受ける、そう思った。でも、それ以上にボクがしていることを本当の意味で知っておいて欲しかったの。狩人であるボクの役目を。ヤマセには……本当のボクを見て欲しかったから」
半ば震えるような声で呟くリーサ。
そんなリーサに俺は言った。
「いや、それは別にいい」
「へっ?」
「別に生き物が死ぬところはそこまでショックじゃない。昔じいちゃん家で鶏が絞められてるの何回も見せ付けられたし」
俺は思い出す。『孫よ! 見ろ! これがぁ! 命を食すってことだろうがぁ!』と叫びながら鶏を絞める爺ちゃん。子供心に『この人頭おかしいわ』って思ったけど、今思うにただ不器用なだけで、不器用なりに食育をしようとしてたのだろう。
おかげで立派に育ちました。矢で額貫かれた兎を見てもなんともないぜ。
「じゃ、じゃあ何で震えてるの?」
「いや、これだよこれ」
俺は頭を貫かれた獲物――兎を指した。
一見普通の兎に、大きな角が生えている。矢はその大きな角のすぐ下を貫通していた。
「えっと……ホーンラビット、だよ? ヤマセにご馳走してた料理にも使ってたし、角はお薬になるんだ」
「それはいい。その先」
「先? ああ……」
件の兎、ホーンラビットの額には矢が深々と刺さっている。貫通した矢の先端は、兎の後頭部を突き抜けている。
突き抜けた矢は、俺の腰くらいの高さの、小さな鬼のような生き物の胸を貫いていた。
「コボルトだね。よくいる魔物だよ」
「コボルトさん、兎から貫通した矢に刺さってるんですけど……」
「うん! ちょうどホーンラビットに襲いかかろうとしててね、その瞬間を狙ったんだ!」
サラリとそんなことを言ってのけるリーサ。
俺は続けた。
「それからさ……」
コボルトの心臓を貫いた矢。それはコボルトの胴体を貫通し、ほんのわずかだが矢の先が見えていた。
その矢の先端は――コボルトよりも一回り小さい鳥の額に埋まっていた。
「ブレードバードだね。コボルトがホーンラビットを狙う瞬間に、あの尖ったクチバシでコボルトの首を狙おうとしてたんだろうね」
ホーンラビット、コボルト、ブレードバード――矢はその3匹を貫通していた。
長男、次男、三男……矢に刺さった魔物3兄弟。一瞬、懐かしい歌が脳内に響いた。
俺は内心『リーサパイセンまじやべーわ』と思いつつ聞いた。
「これって……全部狙ったのか?」
「うん。丁度いいタイミングだったからね。うまくいってよかったよ。外してたら、ヤマセに恥ずかしいところ見せることになってたし
誇らしげなリーサの笑み。どこか褒めて欲しがってる子供のような印象を受けた。
俺は神業じみたリーサの腕前にちょっと震えながら、リーサの頭を撫でた。
「わっ、もう……急に頭を撫でないでよ、ふふっ」
頭を撫でられて満更じゃない顔のリーサ。
その時、俺の頭の中にはある考えが浮かんでいた。これからのことだ。
俺の傷が完治して、そのあとのこと。
俺は村を出てこの世界を旅するつもりだ。
だが俺はこの世界のことを何も知らない。村の外に出るなら、この世界の常識を持った仲間が必要だ。
だから俺は……リーサを仲間に誘おうと決心した。




