マイペースな目覚め
目を開けると当然のように知らない天井だった。
どうやらベッドに寝ているらしい。久しぶりに土の上じゃない場所で目を覚ました。柔らかい布団の感触が物凄く嬉しい。
何となく懐かしい匂いが鼻腔をくすぐった。昔、家族とキャンプ場のロッジに泊まった時に感じた、人の手が加わった木の香り。
「ここは……」
ベッドから上半身を起こす。途端、右ひざに猛烈な痛みが走った。
かけ布団を捲って痛みが走った部位を見ると、包帯が巻いてあった。
どうやら誰かが治療してくれたらしい。
「ん? 治療?」
確か俺は……そうだ。現地人が射った矢が膝に命中したんだっけか。
それから気絶して……またあの神と呼ばれた少女と出会ったんだ。
「そういえば加護がどうこう言ってたよな……」
神を名乗る少女が言っていた俺に宿る力。色々と説明されたはずだが、どうにも浮かんでこない。
どうもあの空間の出来事はハッキリ思い出せないようだ。微妙に靄がかかっているというか……起きたら忘れてしまう夢みたいな感覚だ。
だが、まあ俺がこの世界に生きる上でほんのちょっと助けになるサポート的な加護みたいな説明だった気がする。
それが分かれば十分か。
「さて、まずは状況把握だ」
周囲を見渡す。時計やテレビの様な機械はない。壁には弓や鹿の剥製なんかがかかっていて、昔テレビで見たファンタジー映画に出てくるようなこじんまりとした部屋だ。ここは誰の家だろうか。
今俺を包んでいる布団からは少女特有の甘い香りを感じる。もしかしたら俺を射った少女の家かもしれない。
周囲の確認をしていると、体を起こした正面にある扉がギィと音を立てて開いた。
開かれた扉からは外の光が入ってきている。どうやらこの家、この部屋だけのワンルームらしい。
光と共に入ってきたのは、意識を失う前に見た赤い髪の少女。
彼女は籠を抱えており、弓や外套を外していた。
「あっ」
少女は俺を見て、手に持っていた籠を落とした。
そのまま籠を拾いもせず、駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫!? 目が覚めたの? よ、よかったぁ……丸一日眠り続けてたから心配で心配で……」
少女の目はうるうると潤んでいた。
少女の言葉通りなら、俺は気絶してから丸一日も寝ていたらしい。まあ森の中ではまともな睡眠もとれなかったので、その反動かもしれない。1日中眠った効果か、身体からはすっかり疲労感が無くなっていた。
少女が落とした籠を見ると、籠からは体を拭く為の布や、替えの衣服などがこぼれていた。どうやら彼女が眠っている俺の世話をしてくれていたらしい。
俺は少女を安心させる為に、笑顔で答えた。
「いや、ここだけの話、目は開いてるから起きてるように見えるけど実はまだ寝てるんだ。よくこうして目を開けたまま部屋を歩き回るんだ」
「夢遊病なの!?」
「いや、夢飛病かな」
「部屋を飛びまわるの!?」
自分で考えといてなんだが、迷惑な病気だな……。
そしてなぜ俺はこんな意味の分からない嘘を吐くのか……自分でもよく分からない。こういうことばっかりしてるから【予測不可能男】とか呼ばれるんだろうな。
取りあえず俺が今おかれている現状を知りたい。
「えっと……君は一体? それにここはどこだ?」
「あ、うん。えっと、でもまだ眠っているみたいだし、起きてから伝えようと思うんだけど」
「はい、起きた! 今俺起きた!」
俺はパンと手を叩いた。
「そ、そっか。起きたんだ。えっとそれじゃあ、まずは……ごめんなさい!」
少女はベッド側に立ったまま、ぺこりと頭を下げた。反動で後ろで一本に結っている髪が、ぴょこんと俺の前に出てきた。
「うん許す」
「何について謝ったのか言ってないのに許しちゃうの!?」
「俺は謝られたら基本的に許すことにしてるんだ」
だからたまに家に人が訪ねてきて『ごめんください』といわれても『いいよ』と返すのでお互い『?』となって上手く意思疎通ができないことがある。
「で、でも一応言っておかないと。そ、その……ボク、君のことを弓で射っちゃって……人の骨が急に飛んできたからびっくりして……」
「HQT(骨が急に飛んできて)だな」
「え?」
「いや、何でもない」
どうもこの世界には日常会話の中で言葉をアルファベットで縮める習慣はないらしい。まあ、俺がいた世界でもそんな習慣は使わなかったけども。
「まあ、あれだ。骨を背負ってた俺も悪いし気にするなよ」
そもそも俺が骨を背負ってなかったらこんな不幸な事故は起こらなかったと思われる。
そういえば山瀬ボーンはどこに行ったのか。あとで聞いてみよう。
「違うよ、ボクがしっかりしてたらあんなことにならなかったよ! ……ボク君の足が治るまで、ちゃんとお世話するから! 治るまでここに泊まって行って!」
「まあ、そういうことなら……」
好意はありがたく受け取っておくべきだろう。
治るまでの限定とはいえ、屋根のある場所で眠ることができるようになったのは幸運だな。
色々と話を聞くと、俺が気絶したあと、この少女は俺を連れて自分が住んでるこの村まで連れてきたらしい。
そして医学の心得がある村長に怪我を診せ、治療をしたと。
怪我自体は薬草の効果で、10日もあれば完治するとか。
「それまでボクが君の足になるからね! どこかに行きたい時は言ってね、ボクが背負っていくから!」
自分より年齢も体型も小さい女の子に負ぶってもらうとか、恥ずかし過ぎる……。
俺はこの村と少女について尋ねた。
「ここはアメリの村だよ。えっと……特にこれといって特産物もない、普通の村、かな? ボクはリーサ。リーサ・トーリオ。リーサって呼んでね」
その村の名前をどこかで聞いた気がしたが、恐らく気のせいだろう。
「ボクは狩人、獣や魔物を仕留めて村に持ち帰ったりしてるんだ」
リーサはこの家に一人で住んでいる狩人らしい。
なるほど狩人か……骨に絡まれてパニックになった状態から真っ直ぐに俺の膝を打ち抜いた弓の腕前……かなりの手練れだろう。尊敬と畏怖を込めて――
「リーサ改め……膝打ち抜き女って呼んでもいい?」
「わーん! やっぱり全然許してくれてないっ!」
ぼろぼろと涙を流すリーサ。
多分泣くだろうと思って言ったが、自分でも何故そんなことを言ったか謎だ。
「冗談だってリーサ。俺の名前は山瀬。山瀬・トーリオだ」
「生き別れたお兄ちゃんなの!?」
「どちらかといえばお姉ちゃんかな」
「ついてたのに!?」
「え!?」
「あっ」
「え……え?」
俺は呆然とした顔でリーサを見ていると、リーサは顔を真っ赤にして顔を伏せてしまった。
「あ、あの……着替えさせるときに、その……ちょっとチラっと……ちょっとだけだよ!」
弁明するように顔を伏せた状態で手をバタつかせ言うリーサ。
対する俺は気絶している間に大切な部分を見られていたショックを隠し切れない。
こんなにショックなのは、第二次成長期の頃、夜中に何か違和感を覚えて目を覚ましたら俺の布団に潜り込んだ妹が俺の息子の長さを計測していたのを目撃した時以来だ。片手に手帳を持っていたので、どうも成長の記録をつけていたらしい。その時、俺はショックのあまり見なかったことにして眠った。その時のショックがフラッシュバックした。
「何てこった。ショックで眠ったまま飛び立ちそうだ……」
「夢飛病が発動するの!?」
ちょっとワクワクした表情のリーサには申し訳ないが、発動はしなかった。
■■■
「はい、目が覚めたばっかりだしお腹に優しいものにしたから」
部屋の中の台所で何やら調理を始めたリーサは、あっという間にスープをこしらえた。
温かそうな湯気に混じり、空腹感を煽る旨そうな匂いが鼻腔をくすぐる。
何のスープか分からないが、旨そうだ。
「こ、これ……食べていいのか?」
「そりゃそうだよ。ヤマセに食べてもらう為に作ったんだから」
クスクス笑いながら言うリーサ。俺の名前の発音がちょっと変だが、そこはどうでもいい。
それよりも俺は目の前のスープに今すぐ飛びつきたかった。
この世界に来て何日経ったか分からないが、キノコ以外の、それも人の手が加わった料理だ。空腹を抑えるのも限界だ。
「ヤ、ヤマセよだれよだれ!」
リーサが慌てて俺の口を拭う。だが俺の意識は完全にスープへと固定されていた。
「お、おれ……食う。スープ、クウ……スープクッテチカラトリモドス……」
「ヤ、ヤマセ? 目が怖いよ?」
「ギガ怖いよりはいいさ」
「……?」
俺のよく分からない返しにリーサがよく分からない顔をした。
「いただきます!」
そして俺は食した。久しぶりのまともな食事をじっくり堪能した。一瞬でスープをたいらげ、おかわりを要求し、気が付いたら添えられていたちょっと固めの黒いパン齧り、スープを飲み干し、スープに浸し柔らかくなった黒いパンをペロリとたいらげ、皿に山のように盛られた野菜を胃に収め、果実でできたジュースを一気に飲み、カットされた黄色い果物にむしゃぶりつき……やっと満腹になった。
「旨かった……今までの人生で一番至福の時だった……」
「びっくりしたよ……。まさか、こんなに食べるなんて……」
リーサが目をまん丸にして驚いていた。
病み上がりの男が食べる量としては、ありえないほど多いからだろう。
俺は一般的な人よりも多く食べるほうだが、一度の食事でここまでの量を食べたのは初めてだ。
やはりキノコしか食べていなかったことが原因だろう。そして――
「めちゃくちゃ美味かったから、食べるのが止まらなかった。さっきも言ったけど、人生で一番充実した食事だった」
俺は嘘偽りない感想を述べた。
「大げさだなぁ……で、でもそんなに褒めてくれると、その……嬉しいな、えへへ」
ベッド脇に持って来た椅子に座っているリーサが照れくさそうにはにかんだ。
ちょっと目が釣り上がってるからか、キツめな性格だと思い込んでいたが……話してみると、普通に人懐っこくて世話好きな女の子のようだ。笑顔も年相応のもので可愛らしい。
もっと笑顔が見たいと思った。
「リーサは料理が上手いな」
「え、そうかな? ずっと一人暮らしだったし、これくらい普通だよ普通」
褒められるのに慣れていないのか、すぐ顔が赤くなった。
「あはは……」
赤くなった顔を冷ますように、ぱたぱたと顔の前で手を振るリーサ。
「俺なんてずっと妹に任せっきりだったからなぁ」
「あ、妹がいるんだ。えっと……ということは、ボクの妹、ってこと?」
「いや、さっきのアレ嘘だから。俺とリーサ兄妹じゃないから」
「そうなの!?」
つーか本当に信じてたのか。
森で会った見ず知らずの男を兄と思うなんて、ちょっと思い込み激しすぎだろう。いや俺がいらんこと言ったからでもあるけど。
「そ、それで何だけど……」
「ん?」
リーサは佇まいを直して、真面目な表情で俺を見た。
何やら俺について気になることがあるらしい。
「ずっと気になってたことがあるんだ……ヤマセは、その……」
「手に収まるくらいかな」
「へ? な、何が……?」
「好みの胸の大きさ……だけど? え……?」
「何でボクが『何この人』みたいな目で見られてるの!? 普通逆でしょ!? 違うから! ヤマセの胸の好みなんてどうでもいいよ!?」
「でもいつかするだろうし、今しといた方がいいだろ?」
「これから先する予定はないよ!」
「……ふふふ」
「何で『それはどうかな?』みたいな不敵な笑みを浮かべてるの!? 絶対にしないから! もうっ、ヤマセ、真面目な話をしようとしてるんだから、話の腰を折らないで」
ぷんすこと怒りながらこちらを諭すように言うリーサ。
俺が変な話をしなくなったら、それはもう俺じゃないんだけどな。最早アナザー山瀬だな。穴ザー山瀬と変換すると何故だかいやらしく感じる……、
「OSM(俺の好きな胸のサイズ)の話じゃなかったら何を聞きたいんだ? HKB(初めてキスをした場所)か? それだったら爺ちゃん家の裏山にあった底なし沼の中だけど」」
「それもどうでも……い、いや結構気になる! き、気になるけど! 今はもっと大切な話があるの。……あのね、ボクが聞きたいのはね」
リーサは緊張しているのか、少し息を吸いゆっくり吐いた。
「――ヤマセがどうしてあの森にいたのか。それが聞きたいの」
リーサは真面目な顔でそう言った。
その瞳からは微かながらのの敵意と、何か守りたいものがある人間特有のまっすぐな感情を感じ取れた。
その視線はまるで矢のように鋭く、俺は射すくめられたように動けなくなった。