学内授業の風景
日を跨ぎ朝方。俺は自分の家を出てすぐの隣の家の方を見て目を細めた。何事かと言えば、それは電柱の陰から俺の事を見ている視線に気が付いたからだ。
「銘柄市さん。一体そこで何をしているんですか?」
俺は視線の主に話しかける。
「……よく気が付きましたね。」
ポーカーフェイスなのに感情のわかりやすい少女は、またも何かを企んでいたようだ。
「まあいいです、取りあえず歩きながら話そうか。銘柄市さん。」
「……一緒に登校ですか? 大胆な青年ですね土産屋君。」
そんな返しに「はあ」と欠伸をしながら、俺は少女の言葉を無視した訳だが、それはそうと気になった事をこの機会に聞いておこうと、結果的に話を逸らしながらの会話を繋げる。
「銘柄市さんは昨日どうして制服だったんですか? 今日転校なんですよね。」
「ああ、昨日は少し挨拶に行っただけで、まあ簡単に言えば引っ越したばかりで準備がまだだったんです。仕事が早く終わって助かりました。土産屋君。」
「ふうん。じゃあ根本的な話だけれど、何でこの時期に引っ越してきたの?」
間髪入れずに出した質問を、銘柄市は淡々と手早く答える。
「それはあれですね。昨日が私の誕生日で、十七歳になったので実家から一人暮らしがOKになったからですね。その為にこの家も親が買い取ってくれました。」
「へー、じゃあ何でこの家に引っ越してきたの?」
「私は貢木さんの家にはよく来ていたんですよ。従妹とも仲が良かったですしね。まあ、この家が無くなったら嫌だなあと思っていたので前々から親と約束していたんですよ。」
……。中々に他人の身内事情に込み入った話を聞いてしまった気がするが、それを気にする性格でもない俺は、続けて話を続ける。
「普通、引越しの荷物って運送会社の人たちがしてくれるんじゃあないんですか?」
「手違いで私のいない時間に引越し屋さんが来てしまったようですね。」
「じゃあ、何故十七歳の誕生日に引越しなんですか?」
「……。そんな事知らないですよ。親がそう言ったからです。」
「……。」
話を適当に終わらせる頃には、既に学校の目の前である。非常に整備が行き届いている校舎に入り、何故か此処だけは古いままの、歴史を感じさせる木製の下駄箱に靴を入れる。銘柄市さんは余っていた場所へ靴を入れたようだ。
「ふうむ、……まあ、お誕生日おめでとうですね。ハッピーバースデー銘柄市さん。」
「お祝いの言葉ありがとうです。では、私は転校生と言う事なので職員室に行かなくてはいけない訳です、さらばです、土産屋君。」
そう言って視線を職員室の方へ向けた少女は素早く歩いて行き、通路の角で見えなくなった。
「……さて教室に行きますか。」
俺は階段を上り、自分の在籍する教室へと歩を進めた。
「西向第三高校から転校してきました。銘柄市告です。これからの学園生活、同じクラスメートとして宜しくお願いします。」
と、言いながら頭を下げた銘柄市告という名前の少女であるが、彼女は俺の家のお隣さん。ご近所さんである。そして昨日は引越しの手伝いをしてあげた間柄である。さらにこの少女、その後俺の席の後ろの席に座った訳である。まあ、そこまでは先生の指示だったからいいのだが、この少女は何故だかは知らないが、一時間目、古典の授業中。俺の後ろから背中をつんつん突いてくるのだ。まったく、迷惑極まりない。邪魔をするな。と、ちょうど今気が付いたが、背中に何やら文字を書き始めている。それを注意深く解読した結果、次のような文になった。
「か・え・り・た・い」
「帰れ。」
この少女、最初とキャラが変わっていないだろうか。などと思った矢先に、銘柄市告。チャイムの音を声帯模写し始めた。……阿保なのかこの人は。しかし彼女、どうやら本気のようだ。最初小さい声で練習したのち、本物とさして変わらない「完全無欠」の「チャイム音」を放つ。
「キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン……。」
それを聞いた生徒達と先生も驚いたらしく、先先なんかは自分の腕時計をちらちらと見ながら「あれ? 私の時計壊れちゃったのかなぁ」なんて小声で言っているのが聞こえる。
「……。銘柄市さん。授業妨害は止めてください。」
俺がそう言うと、少し間をおいて、
「はい、これは確かに授業妨害ですね。知っています。解っています。ですが私はとても帰りたいです。あの家がとてもとても恋しくて堪りません。耐えられません。」
無表情に真顔で言う少女は、勇者然とした態度を見せて演説した後その場にばたりとうつ伏せになった。まったく勝手な少女である。
時と場合と気まぐれで行動する自由奔放な少女は、堂々と狸寝入りを開始した。するとそれと同時に、本物のチャイムが授業終了を告げた。まんまと彼女の時間稼ぎは成功したという訳だ。そして先生はと言えば、再び頭に疑問のマークを浮かべてきょとんとしているのが見えた。それはまあとにかく、一時間目の授業、「古典」は終了である。
その後二時間目「数学」、三時間目「現代文」、そして四時間目「科学」を終わらせた俺は、今現在「昼食」の時間である。一人暮らしの俺は、朝早くに起きてこしらえた弁当を袋から取り出して、それを自分の机の上に広げた。
「弁当ですか……。それは自分で作ったんですか? 土産屋君。」
すると後ろの席から俺の弁当箱を見た銘柄市さんは、首を数度傾げながらこれを問う。
「そうですね、一人暮らしなので家族の作ではなく、これは確かに俺の手作り弁当ではあります。では、こちらも質問ですが、貴女の持つそれは何ですか?」
後ろに向き直り、俺は少女の黒い瞳にピタリと目を合わせながら、彼女の持つカップのラーメンを指さし、言った。
「これですか? ……見ての通り、カップヌードルですが。」
「そうですか。」
俺は銘柄市さんの反応を見て、やはりカップラーメンなのかと、再び自分の弁当に向き直る。
しかし直後に後ろの方からバリバリという効果音が聞こえてきたが為に再び後ろを振り返る事となった。明らかにカップラーメンの食事の音ではないと、俺は思ったからだ。
「……銘柄市さん。お湯はどうしたんですか?」
「……忘れました。」
後ろの席では、齧歯類の食事風景を彷彿とさせる方法で乾麺を頬張る少女の姿が見て取れた訳だが、少し考えてから俺は自分の持ってきた弁当の中身を摘み上げて、本来スープとラーメンの入っているはずのカップに抛り、投げ込んだ。
「何ですか? これは。」
「それはお裾分けです。何も言わずに受け取って下さい。」
俺の発言を聞いた銘柄市さんは、少し間を空けて反応を見せる。
「……そうですか。では、私は代わりにラーメンの加薬をあげましょう。」
ふわりと俺の白米の上に降り掛けられたラーメンの加薬にフリカケの仕事は荷が重すぎだと思い、さらに上から俺はフリカケをかけて食べた。ああ、フリカケの味だ。
「で、あなたの手作りお弁当ですが。何故白米だけなんですか?」
そう言う銘柄市さんは興味有り気な雰囲気で俺の弁当を指さす。
俺の二段弁当に、二段ともに敷かれた白米をじとりと見ながら銘柄市さんは指さす。
「……え? 普通そうじゃあないんですか?」
「……え? 普通はそうなんですか?」
「「…………。」」