80話:嫉妬の女神
王司の名前を聞いた八千代が一瞬固まった。正確には、王司の苗字を聞いて固まったのだが。暫し、王司を凝視した八千代が、口を開く。
「《蒼き刃》の一族……。まさか、――」
八千代は思わず呟いてしまった。その言葉を。《蒼き刃》の一族。それは、蒼刃の一族のこと。【八咫鴉】の活動に関与せずとも、そう言った家にいれば自然と知ってしまう三神の末裔の一族の名。
「え?烏ヶ崎さんって、割と中二な方……」
祐司が思わず引いてしまった。しかし、八千代は首を横に振る。そして、祐司をひとまず放置し王司に問う。
「何故、こんなところに。そもそも、剣帝の血筋は……」
王司は、八千代も只者ではないのか、と溜息をつく。そこにサルディアが、おそらくですが、と王司に伝える。
(【八咫鴉】のリーダー一族が烏ヶ崎と言う名だったはずですわ。日本名なので曖昧ですけれど)
なるほど、と王司が頷いた。そして、暫し、思考をしてから、八千代に聞き返す。
「俺も【八咫鴉】のリーダー一族である君がここにいる理由が分からないんだが……って、まあ、日本だから、と言われてしまえば、それはそれで納得なんだがな」
王司の言葉に祐司と八千代に同様が走った。王司は、祐司も聞かされていたのか、と思い、祐司は、八千代の言っていた事が本当だったのを確認したのと同時に王司が昔から関わっていたものの片鱗を見た気がした。
「そこまでご存知で?」
八千代の問いに、王司は、笑った。悪人の様だ、と言われる、あの笑みで。
「あいにくと、小さな頃から天使と共同生活なもんで」
王司の言葉の意味が分からない祐司とは違って、八千代はすぐに分かる。【八咫鴉】には、サルディアと同じ超高域の【赤紫色の仲介者】・ヴェーダ・ルムバヨンが所属をしているからだ。
「シンフォリアの住人を宿しているのですね……。流石は、月丘先輩のご友人だけ有られる」
その言葉に、祐司が、「うわ~、なんか買いかぶられてる気がする」と思う。実際買いかぶられているのだが。
「まあ、祐司はある意味で凄いからな。俺や真希、彩姉に囲まれて、あれだけあわせてこれたんだから……って、何で泣いてんだよ?」
祐司は気づけば泣いていた。王司に認められていた、その事実に涙が溢れていた。
「い、いや、泣いてねぇし」
祐司は慌てて否定した。
「まあ、シンフォリアとは同盟を結んでいなければ、家の敵だったのですが……」
と、八千代が物騒なことを言う。と言うより八千代の家が物騒なのだ。王司が、溜息をつきながら、秋世の方を向いた。
「まあ、とりあえずは、俺の正義とは何の関係もなさそうだから、どうでもいい。帰るぞ」
秋世が慌てる。それもそのはずだ。本来、保健室に来た目的を何にも果たしていないのだから。
「ちょ、王司君、備品点検終わってなっ……。あ~もう、分かったわ。明日やるわよ」
祐司と八千代を見て、秋世は今日やることを諦めた。そして、保健室を出る。去り際、王司は祐司に向けて言う。
「どんな運命だろうと愛してやれよ。お前は、周りを幸せにできるって言う、他に無い才能があるんだから」
王司が去ったのを確認して、祐司はとうとう、泣き出した。零れ落ちる涙。八千代は、状況が分からないけれど、祐司を優しく抱きとめた。
「月丘先輩……?」
「ゴメン、もう少し、このまま……。いいかな?」
祐司は、八千代に甘えるように泣きじゃくった。嬉しくて、嬉しくて、泣きじゃくった。自分が役に立つのだと、泣きじゃくった。自分は、目標を持っていたのだと泣きじゃくった。
◇◇◇◇◇◇
王司は、悟っていた。この祐司と八千代の一件は、自分達では片付ける事ができないと。これに関しては、祐司に預けるしかない、と。
「ヘラ……」
「え?」
王司の突如の呟きに秋世が聞き返した。へらと言われて秋世が咄嗟に思いついたのが農具であった。
「ギリシア神話にて婚姻を司る神。ヘラ。ローマ神話で言うユノ。プライドの高い嫉妬深い女神だと言われている」
「あっ、それなら知ってるわ。主神ゼウスの妻でしょ」
へーラー(長母音を略してヘラとされる)。司るのは、結婚や母性などであり、婚姻の女神として名高い。また、嫉妬心が強いとされるのは、ギリシア神話に登場する男性の神のほとんどが浮気性であるからだ。特に、ゼウスは数多の愛人が居り、ヘラは、その愛人や愛人の子らに復讐するなど、その嫉妬深さがよく分かる。また、ゼウスが単独で生み出したアテネが、自分の生んだヘーパイストスより有能で腹を立てるなどと言う描写も見られ、プライドが高い事が良く分かる。
「で、それが何の関係があるのよ」
秋世の問いに、王司は閉口するだけであった。




