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《勝利》の古具使い  作者: 桃姫
九龍編
56/103

56話:黒き炎の棘森

 王司は、目を覚ますと、空が黒くて驚いた。そう暗いのではなく黒いのだ。そして、周りを囲むように、黒い炎が轟々と燃え立っている。


「んっ、ここって。確か、あれだな。昔も、一回……」


 そうして、王司は、辺りを見回した。


「ここは、もしかして、あれか。【黒き炎の棘森(ヒンダルフィヤル)】か」


 ヒンダルフィヤル山。そこは、ブリュンヒルデがジークフリートに救われた山の名前である。


 そもそも、ブリュンヒルデと言う存在のことを知っているか、と問われると、王司のような人間以外が、知っていると答えるかどうかは微妙である。


 ブリュンヒルデ。それは、北欧神話に登場するヴァルキリーもしくはワルキューレの名前である。兵士の魂を【ヴァルハラ】へと導く戦乙女で、オーディンの命令で、彼女を含むワルキューレは、戦場を、鎧を着て馬に跨り駆けていた。そして、兵士の魂を【ヴァルハラ】へ導くと言うことは、戦争を自在に左右できる存在であると言う意味である。


 そして、ワルキューレは、オーディンの命令に逆らうことをしないと言われている。しかし、ブリュンヒルデは、とある戦いにて、オーディンの命令に背いて戦争の片方の家の娘(ジークムントの子であるジークフリートを身籠ったジークムントの妹・ジークリンデ)を保護し逃がしてしまうのだった。そのことにより片方の家が勝ってしまう。


 その事がオーディンの怒りに触れ、ブリュンヒルデは、「神性」を奪われて、ワルキューレとしての能力、力、格を全て失ってしまう。そして、「恐れることを知らない男」と結婚させられることになる。


 そして、その「恐れることを知らない男」が現れるまで、炎の中で眠ることになる。

 その後、ジークフリート、即ち「恐れることを知らない男」がヒンダルフィヤル山に来た時、そこで眠っていたブリュンヒルデを保護し婚約するのだった。


 さらにその後、ジークフリートが陰謀や策略に巻き込まれて別の姫と結婚してしまうことやその他諸々あるのだが、割愛させてもらう。しかし、結局のところ、ブリュンヒルデと言う存在は、火葬されたジークフリートを追って、ともに炎に焼かれて死ぬのである。つまり炎と言う概念は、ブリュンヒルデを形成する重要な概念になっている。そのため、この空間には、炎が多く存在しているのだろう。


 要するに、だが、【黒き炎の棘森(ヒンダルフィヤル)】には、ブリュンヒルデが眠っているはずなのだ。まだ見ぬ「恐れることを知らない男」の現われを待って。


「そうなると、たぶん道を進めば、ブリュンヒルデが眠っているはずなんだけどな」


 そう言って、炎の道を探索しながらまっすぐに、奥へと進む。どちらが奥なのか、と言うのは、なぜか王司は本能的に理解していた。


「しかし、俺は、何故、昔来たんだったかな……。と言うか、現実に、こんなところに居るのはおかしいから夢と言う線が濃厚なんだが」


 そう呟いてから、肌に触れる風の感触、場の淀んだ空気、炎から時折感じる熱気。それらは紛れもなく本物であって、決して夢や幻覚ではないと思わされた。


「夢じゃないとすると、異世界か……。はたまた、別の……」


 そう、この世界は、異世界とはまた違う概念によって形成されている。彼らの言うところの異世界と言うのは、別の世界と言う意味であり、その異世界には、必ずと言って良いほど「因果」が付きまとう。しかし、王司が現在居る世界には、「因果」は存在しない。何が起きたからどうなると言う概念はなく、何が起きても不思議ではない場。【不可侵神域】と同じ神醒存在の棲む領域。


「考えても仕方ないか、なら、俺は、俺の出来ることをすべきだな。あいつとも通じてないみたいだし、無論携帯は圏外だな」


 あいつとは、無論、王司の相棒のサルディアのことである。携帯とは、無論、携帯電話を意味する略称語であり、ここで指すのは王司の持つスマートフォンのことである。


「しかし、ブリュンヒルデの逸話だとすると、炎に阻まれない俺は、ジークフリートの役と言うわけか?それはそれで何か変な気分だが」


 そう言って、王司は、微苦笑する。


「そもそも俺が持っているのは、『グラム』でも『ノートゥング』でもないしな。神話系統からして違うだろう。ブリュンヒルデの起源は北欧神話なのに、俺の持っている《勝利の大剣(フラガラッハ)》はケルト神話だからな」


 北欧神話の系統は、九つの世界があったり、巨人が居たり、神は黄金の林檎を食べて生きていたりするものである。ブリュンヒルデたちのようなワルキューレなどが登場するのも特徴である。


 一方、ケルト神話の系統……、その中でもアイルランド神話系統の太陽神ルーが持つ武器がフラガラッハやブリューナクなどである。


 神話系統が違えば、神の種類から神の数、天使の形、武器、役割など、完全に違うものになってしまう。


「それにしても、何故、ブリュンヒルデなんだ?」


 素朴な疑問であるが、これに関しては、この世界がブリュンヒルデのものであるからなのだが、それを王司が知る由もない。


「ん?道が開けてきたな」


 徐々に道幅が開けて、炎が一部地域を避けるようなっている。


「この先が、終着点か?」


 そう言って王司が足を踏み入れた。戦乙女の写し身が……、呪われた少女が眠る地へと……。

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