50話:おもひで
これは、青年と女性の思い出。はるか昔の記憶のお話。或いは、とある約束を交わしたあの日の「おもひで」。
夏。少年は、一つ年上の少女と、一夏を過ごしていた。夏休みに、彼女の母の別荘へやってきていた。いや、正確には別荘ではなく、少女の母の義理の息子、要するに義理の兄だか弟だかの実家であるのだが、もはやその家には誰も居なく、所有権も義理の母である少女の母に移っているため別荘と言っても過言ではない。まあ、厳密に言えば、その別荘の元の家主は、少女の母と親戚に当たるため、遠縁の親戚関係にあるわけなのだが。その辺はややこしいため、割愛させてもらう。ちなみにややこやしいと言った場合は名古屋弁だ。
純和風建築の長屋。大きな家で、少し山中にある。廃れている、とまでは言わないが、滅多に使わないため、少し荒れているだろう。今の此処の家主である少女の母、九龍綾花。かの【時空間の詐欺師】九龍沙綾の娘である。沙綾と雨月幽魔の間に生まれたのが、綾花である。そして、その雨月家こそ、この長屋の元の持ち主だ。綾花の義理の息子は雨月無限と言い、由緒正しき雨月流剣術の正統後継者である。現在は、放浪の旅に出ているが、時折綾花の元へ顔を見せることもある。
そんな純和風の長屋に、少年、こと青葉王司は来ていた。歳は、まだ十歳になっていないころ。小学校の頃のことだ。小学校の先輩であり、近所の面倒見の良いお姉さんであった九龍彩陽とともに、長屋に泊まっていた。
「彩陽ちゃん、私、少し用事があって出かけてくるので、王司君と仲良く待っていてくださいね」
そう言って、綾花が出て行った後、王司は縁側で、空を見上げていた。正確には星空を見上げていた。この言葉だけを聞くとスターゲイザーと言う表現が王司に適用されそうだが、スターゲイザーは、あくまでリューラ・ハイリッヒ・ステラのことである。
「王司ちゃん」
そう言って王司を後ろから抱きしめる彩陽。小学校の四、五年生は、性差を意識し始める年齢であり、この時点でこういった行動をする彩陽と言うのは、実は王司に好意を抱いているわけなのだが、それを王司は、気づいていない。
「なんだよ、彩姉」
彩姉とは「彩陽お姉ちゃん」の短縮語である。抱きしめられているにもかかわらず、王司は、素っ気無い態度だ。
「もぉ、もっと照れてくれないと、お姉ちゃん拗ねちゃうぞぉ~」
そう言って王司の頬を指でつつく彩陽。それが鬱陶しいので王司は、指を押さえる。しかし、逆の手でまたも頬をつつくので、終いには王司が怒り、両腕を掴んで、押し倒した。
「きゃっ❤」
そんな甘い声が彩陽の口から出た。その状況に、彩陽は、頬を真っ赤に染めて、潤んだ瞳で王司を見ている。
「何やってんだか……。はぁ。アホらし」
そう言って、王司は、彩陽を放した。その小学生らしくない言動に、彩陽は、「ぶぅー」と頬を膨らませる。
「王司ちゃん、素っ気無さすぎぃ~。もぉ~」
そう言って、縁側をゴロゴロと転がる彩陽。すると、王司は、その横に寝転がった。そして、再び空を見上げる。
「瞬く銀の雨」
ふと王司が流れ星を見て呟いた。
「一つ、二つと流れる」
言葉を紡いでいく。
「それは、宙の泪」
その言葉を口にしたのは王司だが、かつて、それを王司に言ったのは、サルディアだった。
「王司ちゃん、詩的で素敵!あっ、お姉ちゃん、今うまいこと言った!」
一人で立ったり座ったり転がったりと騒ぐ彩陽を尻目に、王司は、空を見続ける。満天の星空に手を伸ばす。と、王司の手にむにゅと言う妙な感触があった。
「ひゃっ、ひゃぁあ❤」
どうやらはしゃぎまわっていた彩陽が王司の近くを通った時に偶然手を上げてしまい、胸を鷲摑みにしてしまったらしい。
「お、王司ちゃん……。お、お姉ちゃん、まだそう言うのは早いと思うんだ!で、でも、王司ちゃんがどうしてもって言うならお姉ちゃん、……いいよ❤」
はらり、と着ていたワンピースの肩紐をずらして脱ぎ始める。はだけた小学生。それを見て、王司は、「はぁ」と溜息をついた。
「なぁ、彩姉……」
「なぁに?王司ちゃん」
脱ぎかけの服を王司に無理やり戻されながら、王司の声に彩陽が問い返した。
「なぁ、この世界には、不思議なものってどんくらいあると思う?」
王司の急な問いに、彩陽は、きょとんとしてしまう。しかし、すぐににっこりと笑って、屈託の無い笑顔で王司に言った。
「王司ちゃん、世の中にはねぇ、不思議なものがい~っぱいあるんだよぉ?それは、目に見えないだけで、常にいろんなところにあるの……」
そう言ってから、彩陽は、言葉を一度切る。その顔に陰りが見えた、様な気が、王司はした。
「――ねぇ、王司ちゃん……」
少し沈んだ、真剣な彩陽の声。
「なんだよ、彩姉……」
彩陽は、寂しげなえみを浮かべて、王司に聞く。
「もし、お姉ちゃんが、何かに襲われたり、化け物になっちゃったら、助けて、……くれる?」
王司は、そのとき、彩陽の目に涙が浮かんでいるのを見逃さなかった。
「なんだ、そんなことか」
だからこそ、王司はあっけらかんと言った。
「そんなことって、王司ちゃん……」
少し悲しそうに言う彩陽に、王司は、満面の笑みを見せる。
「だって、お前が襲われてたら助けるに決まってるし、化け物になっちまってもお前はお前じゃん。だから、ぜってー助ける。だって、それが【正義】だろ」




