44話:王司の母
王司の母。その見た目は王司も定かではない。ぼんやりとしか思い出せないのだ。幼い頃の記憶の中に断片的にその姿を見ただけで、あまり一緒に居た記憶がない。それこそ子供の頃は旅行に行ったこともあるくらいだから、一緒に居たのだろうが、授業参観には一切参加せず、世界各地をあちこち回っているらしいので、所在がつかめない上に、家に居た記憶がない。ただ、幼少の頃でも料理等は、誰かがしてくれていたはずなので、その辺が王司自身にも謎が多い。
「あ~、そう言えば、写真を見たときにも『母さん』とは言わなかったものね」
その写真とは、旧生徒会の写真のことである。そして、その写真の中に王司の母はきちんと写っていた。
「写真……?」
王司は、それでも思い出せていない。王司の母の顔を。だが、頭の中にいるサルディアが示す。王司の記憶の断片を探り、「王司の母」と思しき人物を王司に思い出させた。その容姿は、茶色の長髪。優しげな笑み。王司の父・清二のことを「青葉君」と称す丁寧語の女性。ただし、時より呼び捨てや親しげな呼び方を二人きりのときにしていたようであることまで王司は思い出した。
「普段は、まだ、家の関係上別姓を名乗っているけれど……。まあ、有名な家にはそれなりに名前の価値と言うものがあるのよ。天龍寺然り南方院然り」
そう、それは王司の母の家も同じだった。天龍寺家とも繋がりがある……正確には、当主同士が先輩後輩の関係にあったため交流があっただけだが。政財界にも精通し、かなり有名な家柄。その上、その実態は、古くから龍を祓う龍殺しの一族。
「青葉美園……いえ、立原美園さん。それが王司君のお母さんの名前よ」
秋世のその声には少し棘があるように感じられた。王司は、秋世は母の事が嫌いなのだろうか、と少し疑った。
「あれ、それって、《刀工の龍滅刀》って《古具》を持ってて、さらに《龍滅の剱》って《聖剱》を持っているって言う人?」
真希が珍しく冴えたことを言った。それに対して紫苑は、少し「う~ん?」と首を傾げている。
そんなところに、不意に、ソファの横に扉が現れた。まるでそこに存在していたかのように、急に現れた。そして、謀ったかのようなタイミングで、ガチャリと扉が開いて、二人の女性が入ってくる。
肩くらいまである黒髪を揺らしながら数冊の本を抱えて乱雑に扉を足蹴にする女性。その黒い瞳は、まるで漆のように深い黒でその中に綺麗な光がある。大きな胸が歩くたびにたゆんと揺れる。纏っている雰囲気からは、お嬢様っぽい雰囲気がする(清二談)。
もう一人は、長い茶髪をサイドポニーテイルにしている女性。先の女性よりは大きくないが、それでもたわわに実った胸。少し鋭い雰囲気を持っている。
そして、それらの女性を見て二人が……王司と秋世が同時に声を上げる。それぞれ見ていた対象は違うのだが。
「か、母さん……?」
「ね、姉さん……?」
二人の声に二人が振り向く。王司と秋世の声に、女性二人が、と言う意味であり、最初の二人と後の二人は別の人物を指している。そのため、自分達で声を出して振り向いていると言う間抜けな図を示しているわけではない。
「え?王司……」
「あら、秋世」
向こうも向こうで二人が同時に言った。そして、サイドポニーの女性が、王司に駆け寄る。三十過ぎとは思えないほどの美貌。まるで高校生だ。と言うのも、この空間に居る時間が多いからだ。体内の時間が狂いだしている証拠であり、あまりいいこととは言えない。
「お、王司ぃ」
むぎゅっと抱きつく女性。王司の母、青葉美園である。
「あ、ああ、っと母さん……。その久しぶり」
王司が一応言う再会の言葉。そのとき王司の中のサルディアが、震えた。おぞましい気配を突如別の方向に感じたのだ。
「敵……?!それも、かなり力の強い。いいえ、これは、【黒い悪】ですわ……。私たちとは真逆の存在の気配ですわ」
その言葉に、瞬時に王司と紫苑の意識が切り替わる。目の前に居る美園や彼方よりも気にしなくてはならない危険因子。
「王司、どうかしたの?」
普段の美園からは考えられない甘い声。その様子に普段の美園を知っている彼方と秋世、龍神が不気味なものを見るような目で美園を見た。
ふと、紫苑が感じ取る。因果の狭間の中で、異質な気配。先ほど、紫苑や王司が居た【空白】の方の気配なような気がし、その旨を王司に思考で読んでもらう。紫苑が王司の思考を読むのには読みにくいが、王司は、いたって普通に紫苑の思考が読めた。しかし、その場合、その思考はサルディアも読んでいることになるのだが。
「まずいっ、来ますわ!!」
サルディアの叫びとともに、空間が割れる。そして、そこから黒き魔神が現れる。そう、その魔神こそ、かの――バロール――である。




