01話:プロローグ
この物語は、《覇》の古具使いから連なる物語です。
また、更新は不定期です。
彼は、必死に駆けていた。もう、自分がどこを走っているかなんて忘れるくらいに必死に走っていた。しかし、決してどこを目指しているかは忘れていない。南方院財閥のビル。そこに、彼の親友が居る。もしくは、既に「居た」になっているかもしれない。それこそ、彼が我を忘れて、必死の形相で街を駆け抜ける理由。
そもそも、彼が何故、このようなことになっているか、と言うことを説明するには、数十分前の出来事を語らなければなるまい。
朝、彼、青葉王司は、いつものように学園に来ていた。三鷹丘学園、それが彼の通う学園の名前だ。私立であり、創立してから随分と時間の経つ名門校である。高等部の生徒総数は六百程度。高等部と言う表現をしたが、別段、初等部や中等部があるわけではなく、付属の小学校、中学校が存在しているだけである。
学園の規模は、大して大きくない。ただ、多くの企業、財閥、財団が手を貸している為、多くの付属小中学校がある。そんな多くの企業、財閥、財団の中の代表的な三つの財閥が【不知火】、【南方院】、【花月】である。
この学園には、様々な部活が存在しており、普通の学校にあるようなサッカーや野球から、明らかに普通の学校に無い魔術部や悪魔部なんてものまである。ちなみに、悪魔部は、悪魔を呼び出そうと日夜研究しているが、一度も成功したためしがなく、実験のたび失敗し、火事を起こしかけて生徒会に怒られるなど、ろくなことが無い。魔術部に関しては、昔の文献などから、真剣に魔術と向き合っていると、学校賞が送られたこともある。新聞部は、校外にも知れ渡るほど有名である。その新聞に掲載される情報の精度と速さに定評があり、地域新聞に採用される記事もあるほどだ。
王司は、そんな三鷹丘学園の二年生だ。所属は二年三組。部活動には所属しておらず、普通の一般生徒である。
「おはよ、王司」
短髪の端正な顔立ちの美少年の様な美少女が、王司に朝の挨拶をした。美少年の様な、と言う表現は、かなり的確で、よく言えばボーイッシュと言う表現になるのだろうか。
「おう、おはよう、真希」
真希と呼ばれた少女。篠宮真希。黙ってジッとしていれば美少年。動けば天真爛漫な無法者。喋れば声の高い美少女。そんな曖昧な表現しか出来ないのが篠宮真希と言う少女だ。
「祐司は来てないのか?」
王司が真希に問いかけた。王司と祐司は、同じ「司」の文字が名前に入っていると言う共通点から仲良くなった友人である。
「新聞部じゃないの?高木先輩が、今の時期は、新聞に載るような記事になりそうな事件が増える時期だって言ってたし」
真希の言葉に、王司が周囲を見渡す。
「そう言えば、ルラもいないがどうかしたのか?」
王司の問いに真希が不機嫌そうな顔をする。
「あたしがルラの事情なんて知るはずないでしょ?」
王司の親友のルラと真希は仲が悪い。犬猿の仲と称すことが可能なくらいに仲が悪いのだ。
「でも、あいつが学校サボるはず無い……と言うかサボれるはずないしな」
ルラとは、南方院ルラのことである。変わった名前であるが、大財閥の一つ、【南方院】の長女である。しかも一人娘なので、家を継ぐ為、厳しい家の仕来りに縛られ生きてきた人間である。
「ふむ、連絡の一つでもあれば分かるのだが……」
考えるような仕草をしながら王司は、自身のスマートフォンを取り出す。ここ数年あまり、あまり大きな変化のない携帯電話である。従来のスマートフォンとなんら変わらない、ただのスマートフォンである。
そのとき、ポップアップ表示で画面にメッセージが表示される。
「ルラからか?」
そのメッセージを見た王司が凍りつく。思わずスマートフォンを手から滑り落としてしまうような内容だった。滑り落ちたスマートフォンを真希が空中でキャッチする。
「何が書いてあったのよ?」
そして、真希がその内容を読み上げていく。
「何?『じゃあね、王司。私は君に会えてよかった』ですって?」
その内容は、まるで、
「まるで遺書じゃん。何よ、これ」
王司が思ったことを真希がそのまま言った。王司は、真希からスマホをひったくるように奪うと、もうじきホームルームだと言うのにも関わらず、勢いよく教室を飛び出して行った。すれ違い様に教室に入ろうとした月丘祐司が王司に驚いて思いっきり扉に顔面をぶつけていた。
「イッタタ~、王司の奴一体どうしたんだよ。な~、真希?」
祐司の問いかけに真希が祐司を蔑むような目で見た。
「え?何で?」
特に理由は無いため、真希にも何故かは分からない。
「とにかく、あれは王司に任せるしかないようね」
真希は、静かに溜息をつくのだった。
こういった経緯から、王司は、街を必死に駆けていた。そうして、ようやく、南方院財閥のビルの見えるところまで来た。そして、視力の良い王司の目は、はっきりと見えていた。ビルから足を踏み出し、空中から落下してくるルラの姿が。その瞬間、王司の中の何かが蠢いた。そして、――カチリ――と枷が外れるような音が、王司には聞こえた気がした。
「何でもっ、何でもいいっ!あいつを、あいつを助ける力が……欲しいっ!」
それは、純粋な覚醒だった。もしくは「開花」と言ってもいい。
「俺は、俺はっ……」
その瞬間、王司の体は、後ろから突風に押し飛ばされるかのような加速感に襲われる。脳裏に過ぎる、一つの単語。
「……《古神の大剣》?」
その呟きと同時に、強まる加速感。そして、そのまま、走り抜ける。丁度、ルラの落下点に滑り込む様に割り込んだ。
そして、眩い銀朱の光に包まれたのだった。
◇◇◇◇◇◇
彼女は、ビルの屋上から一歩踏み出した。恐怖は無い。嘘ではない。この世でただ一人、別れを告げたい相手にも、直接ではないにせよ別れの言葉を告げた。心残りはもうない。だから、彼女は、迷い無い動作で飛び降りた。
一気に重力と言う見えない力に地面へと引っ張られる。腕を広げる。すると、空気の抵抗で、若干の浮遊感に包まれる。重力と空気抵抗の戦いをその身で体感しながら、彼女は地面へひたすら向かう。
ある程度のところに来て、手を体に引き付け、気をつけの様な姿勢をとる。それにより、空気抵抗が減り、勢いは増す。そのまま、地面にぶつかろうとする。
「うふっ」
思わず、笑みが零れた。彼女、南方院ルラの、死の間際の笑み。それは、彼女のこれまでの人生において、最も彼女らしい、いい笑みだった。
その笑みの意味は、決して簡単なものではない。複雑な笑みだ。自分を縛っていた仕来りからの解放。厳しい父親からの解放。卑しい母親からの解放。人生からの解放。南方院家からの解放。その他様々。
そして、悲しげな顔をする。
「王司……」
悲しげな顔の理由は、王司だけ。青葉王司、南方院ルラが、世界で唯一愛した青年。それをルラが意識した途端、ルラの中で何かかが蠢いた。そして、――カチリ――と枷が外れるような音が、ルラの耳に響いた。空気のゴウゴウと鳴る音の中でもはっきりと、その音は響いた。急に浮遊感が強まる。脳裏を過ぎる、一つの単語。
「……《古神の大鑓》?」
その声に呼応するように、体が軽くなる。そして、下に誰か飛び込んでくるのを、ルラが視認した瞬間、銀朱の光に包まれる。
◇◇◇◇◇◇
彼女は、不穏な気配を感じ、気配のする方へ飛んだ。転移と言っても差し支えない、彼女の能力。《銀朱の時》。
長い黒髪を首元で縛っているツインテールだ。母親譲りの赤みがかった瞳。色白の肌は、まるで白磁の様だ。三十歳とは思えないほどに、艶と張りのある肌。みずみずしく、まるで十代の少女のもののようだ。皺も無く、二十代前半と言っても嘘だと思われるほどに「若い」。
「『開花』の時が……。それも、二人も」
驚きの声と共に、運命の二人を少し高い建物の屋上から見る。一人は、ビルから真下へ落下していく。もう一人は、ビルへ向かって駆けて行く。
「あれは、危ないわね」
そう言いながら、《銀朱の時》を発動させた。運命の二人、南方院ルラと青葉王司は、銀朱の光に包まれる。そして、彼女の元に、瞬時に移動する。神が夕暮れに、天に帰るために造ったとされる力。
「うおっ?!」
「きゃっ!」
青葉王司が南方院ルラの下敷きになる形で彼女の前に現れた。
「ル、ルラ?!お前、よかった、間に合ったぜ」
「お、王司。貴方、どうして……」
王司とルラが話しているところに、申し訳なさそうに、彼女が話に割って入る。
「少しいいかしら、貴方達」
その黒髪が、王司の目には、眩しく映る。白い肌と黒い髪のコントラストが、非常に美しく思える。そうして、ボーっと彼女を見つめる王司をルラが思いっきり叩いて正気に戻す。
「痛ぇ?!」
王司の悲痛な叫びに、ルラは見てみぬ振りで、陽気そうに口笛を吹いて誤魔化す。
「はぁ、それで、聞く準備はいいかしら、二人とも?」
彼女の呆れた声。王司とルラは、彼女の方を見た。
「では、まずは、自己紹介からね。私は天龍寺秋世よ」
王司が、名前の最後が「よ」でその後に「~よ」と言う表現は、とても言い難いのではないかと言う的外れなことを考え、ルラが天龍寺と言う家について、驚きを表す。
「天龍寺と言う家については、まあ、それなりに有名だから知っているわね?」
秋世の言葉に、ルラが口を開こうとしたが、先に王司が口を開いた。
「かなり古くからある名家だろ?【南方院】財閥とかと並ぶくらい有名な。確か、【花月】財閥……【花月グループ】とも繋がりがあるんだっけ?現在は、天龍寺深紅さんが当主で、ってゆーか、もう百年ぐらいあの人が当主でもおかしくないと思うが……。何の話だっけ?」
王司は考えていることを適当に話していたら、何の話だったか分からなくなってしまった。
「王司ってば、詳しいのね」
ルラの感心したような言葉に、王司はさも当然と言うかのごとく言う。
「当たり前だろ?それくらい普通に知ってる」
その言葉に違和感を覚えたのは秋世の方だ。
「それって……?貴方達、名前は?」
自分が思っていた以上に、【天龍寺】について詳しそうな二人に秋世が思わず、名前を聞いた。名前を聞くのは、話を終えてからにしようと思っていたのだが。
「俺か?俺は青葉王司だ」
「私は南方院ルラよ」
二人の名前に、秋世は目を丸くした。予想外の名を聞いたからだった。それにしても自分が王司のことを知らなかったのは何故だろう、と秋世は少し考えたが、留学していた時に、全然連絡を取らなかったからか、と自分を責めた。そして、南方院の方も厄介だ、と思った。
「そう、王司君、ね。清二さんの、息子の」
秋世の言葉に、王司が少し意外そうな顔をした。
「まあ、そりゃ、天龍寺家なら、親父のことを知っててもおかしくないか……?」
王司の言葉に、秋世は、軽く笑う。
「まあ、昔、清二さんには、私の護衛をしてもらってたから」
その言葉で王司が納得したように頷いた。
「護衛、ね。そう言えばそんな話を聞いたことがあったかもしれない」
ルラは、そんな二人の様子が気に入らない様で不機嫌そうに王司の足を蹴った。
「そんなことより、何が起こったのか教えてくれないかしら」
ルラの不遜な態度。その態度に、秋世が、ふっと息を吐き出して、微笑んでから言いだす。
「そうね。それが重要ね。先ほど、貴方達は、そこのビルの下で衝突するところでした。それを私の《銀朱の時》でここに飛ばしたのよ」
聞きなれない言葉に、王司とルラが訝しげに眉根を寄せたが、その反応が当たり前と言うような表情で秋世が説明を始める。
「この世界には、《古具》と呼ばれる力が存在しているわ。私の《銀朱の時》のような、ね。それも、かなりの数が存在しているわ」
その言葉に、王司がその先を推察する。
「もしかして、この世界のお偉いさんや大成功した企業家は、大抵《古具》を持ってるって言う感じか?どこのラノベだよ」
その言葉は、秋世のツボにはまる。思わず笑いそうになったのを秋世は何とか堪えた。
「王司君って、本当に、清二さんにそっくりなのね?」
王司が、王司の父とよく似た言動をしたので、秋世は思わず笑ってしまいそうになったのだった。
「うげっ?やめてくれ。それよりも、この展開上、あれか、この街は、《古具》が発生しやすいとか、目覚めやすいとか、そう言う感じかよ」
冗談交じりで王司がそれを言ったが、秋世は、その通り、と頷いた。
「この街は、《古具》使いが生まれやすく、《古具》も《開花》しやすいのよ」
そう言って、懐かしむような目をした。
「でも、それが私達と何の関係があるのかしら?」
ルラの言葉に、秋世が答える。
「貴方達二人には、《古具》が眠っているわ。いえ、もう、眠っていない。さっき《開花》したはずよ」
その言葉に、ルラと王司は、ハッとなる。そして、先ほど、自分達の脳裏に過ぎった言葉を発する。
「《古神の大剣》」
「《古神の大鑓》」
似た響きの言葉を唱え、そして、現れる。
王司の手には、眩い光を放つ一本の大剣が現れる。その剣は、銀色で樋のところにルーンが刻まれている。全長は、王司の手に馴染むほどの長さで、一般的なバスターソードと同じくらいのサイズだ。
ルラの手には、黒い歪な造形の一本の槍。槍の先端には、一際大きな突起とそれに付属する小さな四つの突起がある。かなり長く、ルラが持つには、少しきついサイズだ。こちらも同じくルーンが刻まれている。
「エンシェント・ブレードとエンシェント・スピア。古代の剣と古代の槍?」
秋世が悩ましげな声を発する。ニュアンスは近いが、漢字の表記は違う。しかし、それを指摘はしない。
「それが貴方達の《古具》……《アーティファクト》よ」
その言葉を聞いて王司が答える。
「アーティファクトって、あれか。古代の遺物の中でも人の手が加わっているもの。そん中でも技術力が高くて、その時代では到底作れないものがオーパーツと呼ばれるんだったか。今では転じて魔法道具のことを指すこともある」
その説明に、秋世が、ボソリと言う。
「…………歩く図書館二世」
その声は、ルラと王司には届いていなかった。
「まあ、概ねその通りなんだけど、今言っているのは、人智では成し得ない力のこと。古くから存在していると思われる力だから《古具》と呼んでいるのよ」
秋世の説明に、ルラは納得できない様子だった。
「本当にそんなものがある、と言うのは、にわかに信じられないわ」
ルラの言葉に、王司が言う。
「だが、ルラ。現実に、俺とお前は、こうして、よく分からない、銃刀法違反に間違いなくなるような物騒な代物を持っているわけだ。それもさっきまで持っていなかったはずなのに」
銃砲刀剣類所持等取締法では、剣は勿論槍の穂先まで刀剣に含まれる。そして、明らかに規定を超えている。
「それはそうだけど、王司は、この状況を素直に鵜呑みにするの?」
ルラの言葉には、信じるなと言うような意思が籠もっていたように王司は感じたが、自分の考えに素直な王司は、普通に答える。
「ああ。鵜呑みにする。いや、せざるを得ないと言ったところか。天龍寺の成り立ちは俺もよく知っている。そんな天龍寺の人間が言うのだから、間違いないだろう」
成り立ちと言う表現にルラは違和感を覚えたが、それどころではなく、王司が鵜呑みにすると言うほうが問題だった。
「どう言う意味よ?」
ルラは、不機嫌そうに王司に聞いた。
「別に、この世界に不思議な力があったっておかしくは無いだろ?それに、この街の警備体制がおかしいのには、お前も気づいてただろう?」
警備体制がおかしい、と言う言葉に、秋世は感心したように「へぇ」と声を洩らした。
「え、ええ。確かに、普通の警備じゃないと思っていたけれど……」
「ああ、普通じゃない。無駄なところに力が入りすぎている。それに、いくつか事件がもみ消されているしな。その辺を考えると、この街自体が、《古具》に関して深く関わっているんだろ?警察、情報機関を含めて」
王司の言葉に、ルラは意外そうに、秋世は感心したように、表情を変化させた。
「やはり、そう言ったところには、目聡いのね」
秋世の言葉。
「王司って、意外と博識で、いろいろなことを考えていたのね」
ルラは、王司の目聡さに意外だと言う風に感じていた。学園に居る時の王司からは考えられないほど、聡明で、鋭かった。
「そうか?」
そう言いながらも、王司は口元が上がっていた。そう、笑っているのだ。
「何か、悪い笑みを浮かべてるよ、王司」
王司は、「おっと」とわざとらしく言いながら、普段の笑みに戻した。
「俺はただの一般的な思考しかできない普通の子供、さ」
王司は、そう言って、自身のことを韜晦するのだった。