プロローグ
学生生活を円滑に過ごす為のコツはいくつもあるが、その中でも例を挙げるならばこのどちらかが確実だろう。
―――味方を作るか、敵を作らないか。
理想をいうならばこのどちらも実行できるのがベストだが、それが気軽にできるようならば、この世には真の世界平和が実現していることだろう。
社会に出る前のミニチュア社会とでもいうべきこの環境は、ふとした、何気ないことで孤立してしまうことが多々ある。
たとえば誰かの不興を買っただとか、女子に人気の男子の告白を断っただとか。嫌われる本人からしてみれば思いもしない理由でいじめられることになるのだから恐ろしい。ミニチュアでさえこれなのだ、実社会はどんな魔窟なのだろう。
かくいう俺も、前の学校ではあまりの空気の読めなさに腫れ物に触れるように扱われた経験があるものだから、今度こそ人気者……なんて贅沢は言わないから一般生徒Aぐらいの待遇になれるよう努力するつもりだった。
そしてその為には選択が必要である。―――即ち、味方を作るか、敵を作らないか。
……熟考した末、後者を選択する。
普通に考えれば前者を選択する方がより楽しく過ごせると思うのだが、
俺が孤立した原因は空気が読めないというあまりにも大きなマイナス要素を抱えていたからだ。ならば、まずはそのマイナス要素を取り除く必要があると考えたのだ。
物事には順番がある。それを守るのがまともな人間のありかただろう。 ならば、後者を選択するのはまともなことの筈だ。
毒にはならないが、薬にもならない人間。
言葉にするとなんとも悲しくなってくる話だが、マイナスよりに思われるよりはマシだと思う。だからこそ、できることからコツコツとやっていって、今度こそ波風立てない学校生活を送ろう。
……少なくとも、転校初日昼休みの校舎裏に来るまではそのつもりでいたのだ。
「カツアゲはよくない」
我ながら、短い決意だったと思う。三日坊主も裸足で逃げ出すような破戒振りだ。
「あぁん? なんだテメエ」
そんな漫画に出てくるような不良のテンプレートともいうべき言葉が、やはりテンプレートのような不良顔の生徒から向けられる。のだが、フィクションで見るのと実際にガンをつけられるのでは大違いで、ドスの聞いた声が耳朶を通して頭の中で響いてくる。ものすごくおっかない。
「おいおい、黙ってないでなんか言えよ? ……言えっつてんだろうが、おい。殺すぞ?」
「あー、洋ちゃん、コイツびびってるんじゃねえの?」
「ははっ、だっせえのな!」
正直に言えば今すぐ背を向けてなかったことにしたいぐらいの恐ろしさである。人の悪意というものは何度向けられても慣れるものじゃない。
しかし、決意を破ってまで行ったことを覆してしまっては、何のためにこんなことをしたのかわからなくなってしまうし―――それに。不良の傍にいる不安げな表情の男子生徒を見捨てて逃げ出すなんて出来る筈もないだろう。
「カツアゲは、よくない。聞こえなかったかもしれないし、意味を理解できない言葉だったのかもしれないからもう一度言おう。カツアゲは、よくない。悪いことだという意味だ、わかるか?」
だからこそ、俺は恐れず退かずもう一度その言葉を言った。相手がよく聞こえなかったらから聞き返してきたという可能性も考慮して、言葉を繰り返したうえで相手にとって理解しやすい言葉に直すことも忘れない。
それだけの配慮を伴った発言はしかし、
「よし、わかった。死ね」
「馬鹿にしてんじゃねーぞ、ボケが!」
非情なまでの宣告と共に襲い掛かられるという形で報われることとなった。
不良たちの顔は真っ赤になり、絡まれていた男子生徒は真っ青を通り越して真っ白になる。
「待て、話せばわかる」
何故だろう。言葉と配慮を尽くせば尽くすほどに、反比例した無残な結果が返ってくる。
俺の人生はそれの繰り返しばかりで、その原因がわからずいい加減嫌になってくる。
しかし今は陰鬱な気分に浸っている場合ではなく、現実に襲い掛かってくる脅威を撃退しなければならない。悩むのはそれからでも遅くはないだろう。
彼らはこういったことに慣れているのか、なんの躊躇もなく拳を握りながら走ってくる。このまま十メートル程の距離は二秒もかからずに詰められ、攻撃を受けることとなるだろう。
暴力は好きではないのだが、己の身が危険に晒されている状況では抵抗せざるを得ない。
「…………」
やんわりと握りしめていた拳の形を緩め、不良へと突き出す形で前に向ける。
「調子こいてんじゃ、」
不良は俺が迎撃の姿勢になったのが気に食わないのか、表情を歪め、拳を振りかぶり、
俺もその攻撃に合わせて掌を突き出し、
「ね―――ええぇぇぇェェェッ!?」
そのまま一人の例外もなく真横に吹っ飛んでいった。
「…………」
……よし、状況を整理しよう。
不良達は誠心誠意込めた俺の静止に何故かいきり立って襲い掛かってきた。
そして真横に吹っ飛んでいった。
……よし、何がなんだかわからない。むしろ整理したことで、一層の混乱を招いただけのような気がする。
俺の知りうる一般常識で人間が真横に吹っ飛ぶ現象なんてそれこそなかった筈なのだが。
「……え、あ」
ふと聞こえた声の方に視線を向ければ、先ほど不良に絡まれていた男子生徒―――どうやらブレザーの襟元のパッチを見る限り同学年らしい―――が尻餅をつきながら、何やらあらぬ方向へ驚愕の視線を向けている。
つられて俺も視線を向けて―――
そうして、俺は彼女と出会った。