宰相家のダメ息子
ジェストリア邸の応接室。
そこにはウォーテン家の令嬢であるリンと、離れたところに座って足を組み、手元を動かしているグレイがいた。正確には、二人はその部屋に閉じ込められている、と言えるだろう。
宰相キオ・ジェストリアが帰宅するまであと数時間。
ふらりとグレイがどこかにいかないよう、部屋に閉じ込められているのだ。
リンが同席しているのは、彼女の希望である。
そんな彼女は、自分に見向きもしないで手元を動かすグレイを不審げに見ていた。屋敷の前で出会った時には凝視されたのに、今はほとんど無視されているに等しい。それがリンからすると少し不気味で、異質で、あの時と今とで何が違うのだろうという疑問が膨らんでいく。
思わず睨みつけてしまう相手は、ひたすら手を、指先を動かしていた。
まるでピアノを引くような動作だが、彼に音楽の経験はなかったはずだ。しばらく眺めてみるが何をしているのかわからず、リンは思い切って口を開く。
「あの……何をなさっておられるのですか?」
「知り合いとダベってる」
見るかい、と指で弾くような動作をグレイはした。直後、リンの目前にぶわりと四角く半透明の黒い板のようなものが表示される。これは、とリンはつぶやき、グレイを見た。
その間にも、板には何かの文字が次々と表示されて流れていく。
「あぁ、これはただの補助端末を使った『魔術』だから」
と、グレイが右手首を上げて揺らす。
細い手首できらりとするのは銀色の腕輪だ。彼の瞳に似た色の青い石――魔石が幾つか埋め込まれていて、それがただのアクセサリーでないことは明らかだった。
「端末を使ってちょっと特殊な魔術を組んであるんだ。リアルタイムで文字をやりとりする魔術でね。供物は人間界でも空気中の魔素で賄える、かなり軽量級の『儀式型』魔術だよ」
儀式型、と言われてリンは言葉をすぐには思いつかなかった。
魔術には大雑把に分けて二つ種類があり、一つは術者が単体で組み上げることができる簡易的なもので、もう一つは魔術陣というものを必要とする大掛かりなものだ。
彼が補助端末とよんでいるそれは、天界でも広く使われている後者の魔術、つまり儀式を必要とする魔術のために作られた道具である。あらかじめ登録してある魔術陣を表示し、魔術を構築するための手伝いをさせる、そのためだけの機能しかないもののはずだった。
だが、儀式型、と呼ばれる魔術には供物が必須である。
それは魔石だったり、血肉だったり。
術者自身が保有していないかもしれないほどの、桁外れの魔力という場合もある。
すべての世界に自然と混ざっている魔素だけで賄える『儀式型』など、リンはこれまで一度たりとも聞いたことがない。むしろそれのどこが『儀式』なのかと首を軽くひねり不思議そうにしていると、グレイが肩を揺らしてリンの方を見た。うっすら笑みが浮かんでいる。
「僕のオリジナルだからね。知り合いがあちこち散らばってるから」
魔界でも天界でもやりとり可能だよ、と笑うグレイ。本人は何てことはないように語って笑っているが、魔術の専門家でもないリンでも、その魔術の万能性と有能性はわかる。
世界の壁すら超えるなど、恐ろしいほどに使い勝手がいい。
「この、黒いのは」
「魔術陣を表示するための『画面』だね」
「……魔術陣、の」
「元はそのための補助端末だし。使えるものを流用しただけだよ」
言いながら、グレイの手元が何やら動いている。リンの場所からはよく見えないが、あの動きが文字を表示させているらしい。目の前の画面の文字は、上から下へ早く流れていく。
ダベる、と言っていたように、文面は確かにそんな感じの他愛のない雑談だ。
主にグレイ自身の状況を、気遣ったり笑ったりという内容である。
『じゃあグレイって今は応接室にいるの? 缶詰? ごしゅーしょーさま』
『おねえちゃん、かわいそうな人にそういうのよくないよ?』
『相変わらず、クライン姉妹のリーゼじゃない方は性格悪いな』
『あーらウェルトさぁん? あんまりナメたことぬかしやがると、この天才的錬金術士のルミ様のスペシャルな技術で、スーパーかわいいネコミミボーイにしてやるわよ? ん?』
『ヒューゴで我慢しろ。てかオウギ、お前の嫁だろ、さっさと回収しろよ』
『すでに膝に乗られているんだが……』
『嫁の重みに恍惚とするオウギってまじエロい。あ、でも見せないしあげないから』
『いや、いらないし』
『オウギとルミは相変わらず仲がいいねー。うらやましいなー』
くす、と笑みが溢れた音がする。
見ればグレイが目を細めて、自分の前に表示してある画面を見ていた。
そして手を動かし。
『エリィ、ノルマはちゃんとした?』
『うぐ……やるよー、今からー』
『今日は帰れないから、ちゃんとやっておくようにね』
『はぁい』
『そんなわけで僕はそろそろ落ちるね。また明日』
そんな言葉を最後に、リンの目の前から画面は消失した。
グレイの前にあったものは残っているが、それもすぐにぷつんと消える。
先ほど見えていた範囲だけでも数人の名前が入り乱れ、まるですぐそこで会話しているかのように文字が踊っていた。その砕けた文字の雰囲気から察するに、全員が全員とかなり親しい関係にあると思って間違いはないだろう。どういう関係かは、さすがにわからないが。
「……この方々は」
「僕の身内だね。ていうか、従兄弟と弟」
多いんだよ、とリンに視線を向けないままグレイは言う。
言われ、そういえば、とリンは事前に訪ねておいた彼に関する情報を思い出す。三姉妹と男一人という四姉弟を中心にしているこの屋敷の住民は、それぞれに数人ずつ子供がいるのでとにかく大所帯なのだという。従兄弟であるなら確かに気心はしれているし話も弾むだろう。
だが、そんな相手と文字とはいえ談笑したということは。
「私と話す気はないということでしょうか」
「……わかってるじゃないか、その通りだよ、リン・ウォーテン」
僕は君と個人的に慣れ合うつもりは微塵もないよ、と。グレイは語り口を閉ざす。
そして、今度こそ応接室は静まり返った。
■ □ ■
さて、とキオは半年ぶりに相まみえた息子を睨んだ。
誰に似たのか、トラブルメーカーの気質のあるこの長男は、むすっとした様子で頬杖をついたまま視線を顔ごと横に逸らしている。その不機嫌の原因は先ほど告げた、縁談のせいだ。
相手となるのはリン・ウォーテン。他の国、他の世界ではそうそう並び立つものがない名門中の名門。血筋だけを見れば王族にも名を連ねる、由緒ある令嬢だ。王家の血がなくとも比類なき家柄に生まれた彼女は、それこそ本来ならば宰相家ではなく王家に嫁ぐべき身分なのだ。
しかしティエラ王国には王子がいない。
国王夫妻は、子宝に恵まれなかったのだ。
次期王の問題はいずれ片付くとして、王族ではすぐには結べない縁を任されたのがこのジェストリア家なのである。なぜなら次期王となるのは親類となり、貴族としての格も低い。
とてもこの姫君を娶れるだけの家柄ではなかった、残念なことであるが。
そうして選ばれたのが、放蕩息子と呼び声高きこの『ダメ息子』だったのだ。
半年ぶりに帰ってきたかと思えば、恐ろしいほど高価な荷物を持ち帰り、挙句騎士と揉め事を起こすなど本当にどうしようもない息子である。今もやたら華美な上着――のようなものを羽織ったまま、リン・ウォーテンには見向きもしないどころかそっぽを向いている。
態度が悪いとかいう以前の問題で、キオはずきりとする頭痛を感じた。
「お前は私の息子だ」
「不本意ながら」
「お前には、ちゃんとした相手との婚姻をする義務がある。それは貴族として生まれ、人より良い世界を歩いてきたお前の定めだ。人に傅かれ、何をせずとも世話をされるための代金だ」
「いらないけど、っていうか基本自分のことは自分でしてきたし」
「彼女は身元も気立てもしっかりしている」
「だから?」
「――グレイ」
諦めろ、と告げれば、その目が睨む形をとってキオに向けられた。基本的に人前では行儀が良かったはずの息子だったが、今は自身を取り繕うだけの余裕もないのかもしれない。
だが、それでも断固拒否の意思は揺るがないようだ。
思わず出そうになるため息を、キオは飲み込む。
キオの本音としては、エリルの方との縁談を進めたかった。最悪、エリルを婿に出す覚悟もしていた。だが実際にやってきたリンは、グレイの方を気に入ってしまったのだ。放蕩三昧で屋敷によりつかぬ、自身でも勘当しないのが時々不思議に思ってしまうダメ息子などを。
勘当しないのはそこまでするほどのことをしていない、というのもあるが。
――あれがこうなったのは、クリスのせいだろう。
クリス、というのはキオの妻で、二年前にこの世を去ったグレイの母。彼女の死が、二人の息子に大きな影響を及ぼしているのは知っている。例えばよく言えばおとなしいが悪く言うなら男らしさというものにかけていた次男エリルは立派に育ち、父親の手伝いなどもしている。
そしてそれまで天才だ、神童だ、と褒め称えられ、そのことを誇りに思い立派な嫡男として生きていたはずの長男は見る影もない。二人がそうなったのは、母の死がきっかけだ。
人のせいにすんなバーカ、という懐かしい幻聴を払うように頭を振る。もし彼女がここにいたらきっと息子の側に立ったのだろう。彼女は政略を嫌っていたから、必ず反対しただろう。
だが、ここで引いたらグレイはいよいよ落ちぶれる。
這い上がることもできなくなる。
周囲には見目の違いから、拾われた子だ不義の子だと散々言われるが、目の前にいるこの少年は間違いなくキオの息子だった。髪や目の色の差異など、問題と数えるまでもないことだ。
――最愛の妻が、私の子だというのだからそれでいい。
だからこそ、その大切な息子には、幸せになってほしいと願うのだ。今のままではグレイにとってよくないと思うから、これが最後のチャンスだと考えて。なのにそれは伝わらない。
いや、伝わっているのに受け取ってくれない、が正しいだろうか。
「グレイ、これは重要な縁談だ」
「重要、ねぇ」
天界との縁談がねぇ、と嘲りの色を宿す声がくる。
むすっとしていたはずのグレイが、ふいにキオを見返してきた。
「だったらエリルにでも回したら? 父さんさ、最近になってエリルにあれこれ、仕事のこととか仕込み始めたんでしょう? だったらそれでいいじゃない。エリルに任せちゃえば」
「だがお前が嫡男だ」
「知ってる? 僕が一番嫌いな自分のパーツは、それなんだけど」
宰相の家に生まれ、双子として生まれ、兄として生まれ。自然と父の後継者となるために育てられ、育って、その結果が自分の従兄弟を『ゆるさない』人々の平穏を守る道。そのために自分すらも削りながら生きることを、生まれながら与えられた立場が決めつけて命令する。
それが嫌いなんだと、グレイは吐き捨てるように言って。
「十歳にもならない子供をさ、罵倒して、その程度で満たされる自尊心しかない国民なんかを守らなければいけない義務を僕は感じられない。あえて言おうか。この国のどこに、僕が自由を捨ててまで守らなければいけないものが存在する? どこにいるとも知れない誰かなんてどうでもいい。僕はそれよりも、非業であるのに非難され続ける従兄弟の方が大事だ。彼を傷つける存在のために命をかける気はないし、そのための政略なんて反吐が出る、屈辱的だ」
「だがそれは」
しかたがないことだと、繰り返した言い訳を口にしかけるも。
「忙しいからもう行くね」
グレイは話すことはないと言わんばかりに、さっさと立ち上がって戸口に向かう。応接室の扉を少し開いてから、自分を見ている父親の方に目を向けて。
「もうさ、いっそ勘当してもいいんだよ? そもそもさ、こんなこと考えているこの僕に宰相なんてお仕事が務まるわけがないじゃない。だからいっそのこと廃嫡とかして、エリルに全部任せる方がいいんじゃないの? 落ちぶれた神童より、優秀な次男の方が喜ばれるよ」
「グレイ!」
「まぁ、ともかく僕は縁談に乗るつもりはないから。こんな放蕩息子と結婚させたら、それこそお姫様がかわいそうだしね。僕のことは捨て置いて、エリルと一緒にしてあげるべきだよ」
じゃあね、とグレイは軽く手を降って応接室を出て行く。
残されたキオは深くため息をこぼし、リンは膝の上で手を固く握りしめる。だが、遠ざかる足音に弾かれるように立ち上がり、彼女はキオの声を無視して部屋を飛び出していった。




