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ウォーテン家の姫君

 それはある大国宰相の嫡男が、まだ魔界の学校に留学していた頃の話。

 その日、リン・ウォーテンは祖母マーシャと共に、天王宮とも呼ばれる城を尋ねた。少し前を行く祖母はジルエール家――というより、ジルエールを筆頭とした神官家の白き正装で身を包んでいる。分家に嫁いだ現在でもなお、彼女は偉大なる『天帝』の愛娘ということだ。

 今日、二人がここを尋ねたのは、現在ジルエール家の当主をしている祖母の叔父に呼び出されたためである。実際に呼び出されたのはリンで、マーシャは付き添いのようなものだが。

 なぜ呼ばれたのかリンは知らない。

 そもそも、その『祖母の叔父』にあったことすらなかった。

 めったに通らない天王宮の廊下を緊張を抱え、疑問を飲み込んで歩き続ける。祖母は何も言わないから、もしかすると祖母すら知らないのだろうか。孫娘が呼び出されたその意味を。

 しばらく廊下を進んだ先、ふいに内装の雰囲気が変わった。

 この辺りは私的なスペースなのだろう、先程までの白色を基調としたどこか冷たくも感じるものと違い、暖色系が多く使われた温かい雰囲気が満ちる。人の気配も薄れたことから、自分の予想に間違いはなさそうだとリンは思った。だがそれを訪ねる気分には、なれなかったが。


 ――お祖母様は、どうしたのだろう。


 少し前をカツカツと進む祖母の背を見つめ、リンは思う。

 長命の特権として若い見た目を維持する祖母は、リンにとっては憧れだった。こんな女性になりたいと思っていた。そんな祖母が、しかしどこか不安げにしているのに、気づかないほど愚かな孫娘ではないと彼女は自負している。憧れていた眼差しに、僅かな揺れがあったのだ。

 呼び出した相手は身内で、恐れる相手ではないのに。


 ――私に関わることだから?


 けれど尋ねられないまま、祖母はある部屋の前で足を止める。そしてリンが追いついたことを確認すると同時に、扉をノックして、中から声が返ったらすぐにドアノブを握った。

「叔父上、マーシャが参りました」

 いつもより硬い祖母の声を聞きながら、その後ろにぴったりとついて部屋に入る。

 そこには、柔らかそうなソファーに座った少年が待っていた。

 やや長めに揃えた銀髪に青い瞳、背丈はリンより低くとても華奢だ。特筆すべきはその装いで、少年は祖母と同じ正装をしている。誰だろうと思っていると、ふと彼が視線を上げた。

 あぁ、とつぶやきながら、彼は手にしていた書物をぱたりと閉じる。

「よく来てくれたな、マーシャ」

 そう言い、ふわりと笑みを浮かべる銀髪の少年。

 彼こそリンを呼びつけた少年――ジルエール家の当主を務めるクルト・ジルエール。

 すでに数百の時間を生きた、天の民でも『長生き』の部類に入る人だ。

 天の民も魔族も長命で、ゆえに見目が一低年齢で止まるし、意識して特定の年代で止めることもできる。もっとも、幼すぎると面倒なのもあり、大体が二十代で止めてしまうというが。

 数百年は生きている祖母やその兄弟が二十代半ばの見目をしているのに慣れていて、まさかその叔父がこれほど若い容姿だとは思わなかった。人間のような成長をしている自分と変わらない年齢に見えるなど、政治の中枢にいるには少し不利になる幼さではないだろうか。

 いや、とリンは考える。今のジルエールは傀儡にもならないものだった。見目などどうでもいいのだ。どうせ天界を動かしているのは議会であり、その後ろにいる元老院なのだから。

「今日はいきなり呼びつけてすまない」

「いえ、それよりうちのリンに何か御用ですの、叔父上」

 すっとクルトの向かいにあるソファーに座る祖母。

 リンは慌ててその隣に腰掛ける。

「魔界に子を留学させている者から、面白い話を聞いた」

 クルトは本を傍らに置くと、口を開いた。


「銀髪碧眼の、尋常ではない力を使いこなす少年の話だ。彼が使う、おそらくは彼独自の魔術であろうそれはまるで、光を固めたようなまばゆくしなやかな――『鎖』のようだと」


 そこまで言われた祖母が、身体を震わせ息を呑むのにリンは驚く。そっと伺えば目を大きく見開いたままこわばり、嘘でしょう、と問いかけるようにその青い目が叔父を見ている。

 銀の鎖、と言えばすぐに思いつくのは『天帝』だ。祖母の父である彼は、自身の魔力を鎖のような形状にして使っていたと言われている。それを武器として用い、万の屍を築いたと。

 同じ力を持っているものは、存在しないと言われていたはずだ。

 あれは彼固有の能力で、類まれな力を持っていた彼にのみできた芸当。

 そう、長く言われていたはずだったのだ。

「私も嘘だと思った。だが先日あった魔界の女皇帝との謁見の時、見てしまった」

 息を小さく吐き出して、クルトは語る。

 それは魔界の王城を歩いていた時だったという。女皇帝が別件で城におらず、少し散策をなさってはと言われ、女皇帝の側近二人を連れて中庭へと向かっていたクルトは彼と出会った。

 城の傍らにある『学校』の、実技に使っている敷地から『飛んできた』少年と。

 実践形式の試合をしていたところを、うっかり飛び出してきたらしい彼は、じゃらり、と音を立てて床に着地した。クルトのすぐ目の前で、両腕の肌から伸びている鎖を揺らしながら。

 彼はすぐに敷地へと戻っていったが、その時にちらりとクルトを見たのだ。

 クルトにとっては兄である、偉大な王の若かりし頃に――彼はとても似ていた。本人かと錯覚して名を呼びかけるほどに彼は、グレイ・ジェストリアという少年はそっくりだったのだ。

 鎖を使った戦い方も、クルトを見た瞬間にふわりと浮かべた笑みも。

 失って久しい兄そのものだった、そのものだったのだ。


「あれは本物だ。あの少年は、間違いなく兄上と同じ力を持っている」


 思い出して語りながら、クルトは自然と手を固く握りしめていた。少女のように小さい体に似合うその指は、傷ひとつ無い白いもので、思わずリンは自分のそれと比べてしまう。

 日々習い事などに明け暮れている彼女の手は、それなりに荒れているからだ。祖母の叔父相手にこう言ったら失礼だとわかっているが――自分より、彼は貴族の令嬢のようだと思った。

「――では、まさか」

「あぁ。年齢も近い。リン・ウォーテン、君にはその少年に嫁いでもらう」

 こうして本人を他所に、彼女の運命は定められた。

 相手となったのはグレイ・ジェストリア、ティエラ王国宰相の嫡男。しかし申し込んだ時には彼という確約はもらえず、そのまま二年も経って、ついに本人が乗り込むことにしたのだ。

 同じ家で暮らせばどうとでもなる。

 最悪、既成事実という強行手段すら辞さない覚悟で。

 そして到着直後、偶然にも彼と出会うこととなったわけだが。


 ――すごく、綺麗。


 思わず、その見目に息を呑んでしまう。

 あぁ、なんと美しい髪だろう。なんと美しい銀色だろう。

 まばゆいばかりの銀色――いや白銀の髪に、美しい澄んだ青い瞳。

 それが意味するのは、天界を収めるジルエール家だ。魔界の王族が黒髪に金色の瞳を持っているのと同じように、天界にも容姿だけで血筋がわかる家がいくつかある。魔界に留学していたなら、自分の容姿がどういう意味を持つかを知らないわけがない。気づいていないとはとても思えないから、その上で以前は断ってきたのだろうかと、リンはそんなことを思った。

 あるいは、そうすることで可能性を否定したかったのかもしれない。

 けれどどうあがこうと、目の前の彼はジルエール家を象徴する容姿を持っている。

 祖母やその叔父と同じ、美しい銀色の髪と青い瞳を持っている。

 クルトが彼に嫁げ、と言った意味を理解する。この見た目にあの力があるなら、彼はただそこにいるだけで力を発揮する『武器』だ。祖母らが憂う天界を変える武器になる存在だ。

 リンは、名門貴族であるウォーテン家の姫君として生まれた。

 誇り高きジルエール家の分家であり、その尊き血を引き継ぐ姫なのだ。

 これは、そんな彼女に託された千載一遇の好機。

 四つあった神官家、その血を引く者のほとんどが大昔に消え去り、ジルエールすら消え去らんとしている現状を打破するために、必ずやこの少年を一族の末席に加えなければいけない。


 ――そうして、もう一度ジルエール家の再興を。


 誰に言われるでもなく、リンはそう誓う。

 天界は、今こそ各種議会によって政治を動かす国であるが、元々は魔界のように王族をトップに据えた専制君主制だった。四つの神官家があり、その頂点にジルエール家があり、当主が天帝などと呼ばれ玉座に座って世を統べる。そんな時代が確かに、天界には存在していた。

 最期の天帝の名はシエル。

 美しい歌姫を妻として、三人の子に恵まれた名君。

 誇り高き王の再来を、天は今も望んでいる。

 そこにもし、ジルエール家の見目を持ち天帝シエルと同じ力を持つ若者が現れれば。貴族が幅を利かせすぎて彼らの私利私欲の場と化した議会も、それを裏で操る元老院も、民意の名のもとに黙らせることもできるだろう。そのためには彼を天に迎えなければいけないのだ。

 リンは自らの役割を知り、王家の末席に立つものとしての覚悟を決める。

 必ずこの少年を――グレイ・ジェストリアを夫にするのだと。

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