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それはまさに青天の霹靂

「いきなり叩くことないじゃん!」

「うっせぇ! ユーリィが泣いてるだろ! お前は加減ってものを知らんのか!」

「だって! 早い方がいいじゃん!」

「だから早けりゃいいってわけじゃねぇだろうがっ」

 ぎゃいぎゃい、と港に響く賑やかな声。

 茶髪の少女と赤毛の少年が顔を突き合わせ、怒鳴り合っている光景があった。少し伸ばした柔らかそうな髪を、後頭部の高い位置で一つにまとめてリボンをつけた少女の名はソフィア。

 男女からくる差異こそあるが、実によく似たヒューゴの双子の妹である。

 彼女が抱えている宝石――魔石を打ち込んで飾り立てた箒は、魔術をかけて空をとぶことができる代物である。ソフィアは魔術オンチ、つまり魔術の才能にまったく恵まれなかったわけなのだが、補助用の道具を使えば魔術を発動することができる程度の魔力は持っていた。

 箒に打ち込まれた無数の魔石は、そのためのものなのである。

 当然空をとぶので、ソフィアの格好はどこか少年のような感じだ。スカートの下にはレギンスを装着し、万一に備えてある。とはいえやはり女の子なので、アクセサリーは忘れない。

 さて、双子だが、地上に降り立ったソフィアをまずヒューゴがしばいた。頭をすっぱーんといい音を立てるように。数秒の後にソフィアが応戦、なにすんのよっ、と足を蹴り飛ばした。

 そこからは現状の体制にはいり、ひたすら言い争っている。

 一方、そんな双子の恒例行事を横目に、ソフィアの後ろにいた小柄な少女の頭を撫でているのがグレイだ。双子のケンカが盛り上がった頃にやってきた屋敷の使用人に、荷物を持って先に帰るように伝え終わったのだが、未だに終わりそうにないのでもう一人をかまっている。

 ユーリィ・ラディエールという彼女もまた、グレイやヒューゴ、そしてソフィアとは血の繋がった従姉妹だった。年齢は三人より一つ下の十五歳、ふわりとしたワンピースなどを好むおとなしい少女で、それゆえに常日頃からソフィアあたりに振り回される被害者でもある。

 今日も爆速で空をかける箒に、ほとんど強引に乗せられたのだろう。

 ソフィアはしょっちゅう飛んで慣れているが、ユーリィはそうではないのだ。

「よしよし、泣いていいんだよユーリィ」

「な、泣いてないけど……ちょっとこわかっただけだもん」

 ちょっとだけ、と言いながら青い瞳は涙に濡れている。あの速度で、あの高度を飛ばれれば誰でも怖いだろうなと、ぎゃいぎゃいと騒ぐ妹をしばきながらヒューゴはため息を付いた。

 だが、そうなった理由もわかっている。

 基本的にヒューゴはヴェルアード公国を出ない。だから妹といえど、会う機会はそう多いとはいえず、有り体に言うならソフィアは『寂しい』のである。双子の片割れが遠いことが。

 ましてやティエラ王国にいる限り、人々の口には英雄殺しの話題が上る。

 銅像まで立てて崇め奉った、その若き英雄の死を嘆く。

「まぁ、そろそろ家に帰らないといけないから、続きは屋敷でね」

 ぽんぽん、と睨み合う双子の頭を叩くように撫でるグレイ。

 むぅ、と同じような顔で二人はグレイを見上げ、しかし付きあわせていたもろもろを引っ込めてくれた。基本的に仲の良い兄妹なので、屋敷に戻る頃には楽しげにじゃれあうだろう。

「まー、仕方がないからこのソフィア様が一緒に地べたを歩いてあげる」

 ふふんと箒を手に、先に歩き出した三人の横に並ぶソフィア。

「……ソフィア、魔力使いきったって素直に認めた方がいいよ?」

「う、うっさい! だいたい半年もほぼ音信不通とか、グレイこそ何やってんのよ!」

「僕? そこは秘密だね」

「けちー」

 ぶぅぶぅ、と唇を尖らせるソフィアは、しかしころりと表情を変える。感情の起伏と切り替えが早いのが彼女の長所であり、時としてどうしようもない短所ともなる部分だ。


「でさ、あの荷物って何?」


 おみやげかな、とキラキラした目をする妹に、兄は何も言えなかった。真実を口にする代わりに、にやにやと意味深に笑うグレイの足を、黙ってろと軽く踏みつけるぐらいしか。

 痛いよー、とわざとらしく言うのを無視して、屋敷への歩みを早める。

 目指す場所は、四人とも同じだ。

 この四人――正確には三人、もしくは二人が暮らしているのは、一等地にある宰相家の屋敷である。つまりグレイの実家の屋根の下、四つある家族が一緒に暮らしているのである。

 そもそものきっかけは、ヒューゴとソフィアの父親が両親を失ったことにある。城で騎士と魔術師をしていた双子の祖父母にあたる夫妻は、辺境に現れた魔物と刺し違えてこの世を去ってしまった。当時十歳ほどだった双子の父とその兄を、グレイの祖父が引き取ったのだ。

 その後、同じように親をなくした三姉妹と弟、という四姉弟が引き取られ、さらに天界から二人が下宿という形でやって来た。それがそのまま、同じ屋敷で暮らしているのである。

 三姉妹の長女は、ヒューゴとソフィアの母だ。

 三女がグレイの母で、その双子の弟になる長男がユーリィの父である。ちなみに次女も当然ながら結婚していて、四人より少し年上の姉妹を授かっている。その他ユーリィと双子にそれぞれ兄がいて、グレイには弟がいて――子供世代だけでも結構な大所帯となっていた。

 まぁ、お陰で寂しいと思ったことは一度もない、とヒューゴは思う。

 同年代に固まっていたために、いつでも遊ぶ相手がいた。幼なじみも他にいるし、いつだって楽しかった。楽しくなくなってしまったのは、やはり十年前のあの悲劇からなのだろう。


 ――ソフィアは、まだ気にしてるかな。


 ヒューゴが屋敷を飛び出して、悲劇を招いた原因は妹とのケンカだ。もはや原因を思い出せないほどに些細な、あんな悲劇を招くなど思いもしないくだらない内容に違いないケンカ。

 そのことを、妹は気にしていた。

 自分が兄をこの国にいられなくしたんだ、と。

 ヒューゴとグレイの少し前、ユーリィと楽しげに談笑する姿からは憂いは見えない。だが見えないからといって、それが消えたとは限らない。なぜなら、ヒューゴも同じだからだ。同じように笑って何もないようなフリをして、だけど胸の奥にはまだ黒く鋭い棘が突き刺さって。

 いつまで経っても、抜けそうにない。

 息苦しく、痛く、じくじくとうずく傷跡。

 ヒューゴは今も覚えていた。あの日、抱きしめられたことを。大丈夫、と耳元で聞こえたかすれた声を。そして泣きながら、謝りながら、抱き返した自分の腕が赤く染まったことを。

 忘れられるわけがない、誰に責められずとも忘れるなんてことはない。

 だけど、だからこそこの街に帰ることが、怖くて。

「――ヒューゴ、大丈夫?」

「え、あ、いや……あんまり変わんないなーって思って、さ。懐かしくて」

 見え透いた強がりが口から出る。

 変わっていない、それは嘘じゃない。何も変わっていない。自分を見る目も、英雄を望んでいる人々の音にならない声も。何も変わっていない、懐かしいくらいに、変わらなくて。

「有象無象の声なんて、無視すればいいよ。所詮は罪だ罰だと言いながら、その手で断罪しようともしない腰抜けどもの、そよ風にもならない程度の言葉だ。君が傷つく価値もない」

「……グレイ?」

「それにヒューゴが悪なら、僕はその上をいくだろう」

 低い声で続ける。

「悪の上、災禍、災厄。僕はそういう存在にしかなれない。だからヒューゴはまだ大丈夫なんだよ。僕が『大丈夫』にしてみせるから。くだらない妄執を、全部殺してあげるからね」

 だから大丈夫なんだよ、と。

 そう言う従兄弟の、親友の横顔は別人のようだった。



   ■  □  ■



 屋敷が見えた頃、四人はそれに気づいた。

 普段は静かな街並みの中に、やけに騒がしいものがあったからだ。何事かと思えば、それは四人が目指している屋敷の前で起こっている。見慣れない装飾が施された馬車と、屋敷の召使ではない複数の人影。そしてそれらを見てオロオロする、ジェストリア邸の召使達である。

 その中で、真っ先に四人に気づくものがいた。

 祖父の代から屋敷にいる老執事である。

 経験の長い彼をもってしても、この状態には混乱している様子だった。

「グレイ坊ちゃま、おかえりなさいまし」

「ねぇ、これなにかあったの? 僕の荷物じゃないよね」

「実は――」

 と、執事が何か説明を始めるのと同時に、やたら豪華な作りをした見慣れない馬車の扉がかたりと開く。同じ家の召使であることを示す揃いの衣服を着た男女が、恭しく馬車を取り囲んで何かの台を並べたり跪いたりした。そして、ぎしぎしと馬車が小さく左右に揺れる。


「皆の者、ご苦労様でした」


 そう言いながら馬車の中から出てきたのは少女だった。

 白と青で構成された、ゆったりしたワンピースタイプのドレスを着た、銀髪の。

 そして、まったく見覚えのない青い目の少女だった。

 彼女は召使の男に手を取られ、台から降りて地上に足を揃える。

「……あなた、が」

 小さく呟く声と共に、少女はヒューゴらの方を向いた。

 どこかグレイに似た容姿をした彼女は、銀色の髪を揺らしながら近づいてくる。宝石のように青く煌めく瞳が、まっすぐにグレイを見上げていた。身長は小柄なユーリィと変わらない程度しかなく、グレイからすると頭半分と少し小さい感じだ。腕は細く、あまり肉はない。

 そこに佇むのは、誰がどう見ても『美少女』と表現すべき、見目麗しい少女。

 ここでの暮らしやヴェルアード公国での仕事柄、それなりに貴族令嬢というものとの接点があるヒューゴだったが、それでもここまでの美少女はお目にかかったことはない。ましてやうかつに声もかけられないほどの威圧、気品、並大抵の立場ではないのは何となくわかった。

「君……は?」

 グレイがわずかに困惑した、ゆらぎのある声で尋ねる。

 それは、彼には珍しいことだった。彼が普段、他人相手には必ず使っている仮面――俗にいうポーカーフェイスが、完全に崩れて消えているからだ。その異質さたるや、ソフィアはぽかんと口を開けたまま絶句するし、ユーリィも目を見開いてグレイを見上げて困惑している。

 ヒューゴは、グレイから普段の顔を奪った少女を凝視した。

 見るからに彼女の容姿は天界の民のそれだ。だが、どうしてこうもグレイに色調が似ているのだろうか。いや、これはこのドレス姿の美少女がグレイに似ているというよりも、むしろ。


 ――グレイが彼女に似ている、か?


 グレイの見目は、完全に天界に住まう民のそれだった。青い瞳、銀色の髪、顔つきだけは両親に似ていると親世代はいうが、髪や目の色だけを見れば家族の誰ともかぶってはいない。

 身内である自分達より、彼女の方がグレイに似て見えた。

「はじめまして、天界のウォーテン家より参りました、リンと申します」

 自分に注がれる視線など気にならない様子で、少女――リンが一礼する。

 その目はヒューゴやソフィアらをぐるりと見回し、最後にグレイに向けられた。


「あなたが、グレイ・ジェストリア様ですね?」


 青い瞳を細め、グレイを眺める銀髪の少女。

 彼女が天界の王族であるジルエール家の縁者であり、グレイの婚約者となるべく人間界まではせ参じたウォーテン家の令嬢、つまりは王家の一員であるリン・ウォーテンであることを。

 その彼女がこの場において、完全にグレイを『見初めた』ということを。

 彼らが知るまで、もう少しだけ時間がかかった。

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