彼らの憂鬱
ティエラ王国の城、その外廊下を、外套を揺らしながら赤毛の男が歩く。結える程度に伸ばされた髪は、軽く外に跳ねるような癖があった。それが、歩くのに合わせてゆらりとする。
男は仕事の合間の、ちょっとした休息時間を迎えていた。
だが特にすることもないので、中庭で剣でも振るおうかと思っていたのだが。
「――っ」
無言で歩き続けていた彼の耳に、若い青年の叫びが聞こえる。
直後、すぐそこの部屋の扉が勢い良く開かれ、飛び出してくる影があった。それは扉を乱暴に閉じたかと思うと一瞬男を見て、だがそのまま背を向けてどこかに向かって走りだす。
遠ざかっていくその姿を、赤毛の男――ラウディス・ベルフェームは、左右で色を違えた瞳を細めて見送った。あれは確かフィメリの次男坊で、名はエヴィル。若い世代の中ではそれなりに有望な騎士の一人だ。彼ほどの年代は今は亡き英雄フィルに憧れた世代であり、それだけ人材の層が厚かった。貴族の長男すらも、親の制止を振り切って騎士になるほどである。
エヴィルは次男なのでそういうパターンではなかったが、英雄と呼ばれたあの青年を慕う心は誰よりも強かった。それは憧れや慕うといった段階を超え、狂信や崇拝と言えるほど。
だがそれは彼の強さになり、若手の中では片手で数えられる位置についている。
そんな理由で記憶に残っている一人の若い騎士が、しかし驚くほどに狼狽した様子で飛び出してきた部屋というのは、彼が立ち寄るとは思えない用途で使われている場所だったのだ。
それは宰相キオ・ジェストリアの執務室。
通常、一介の騎士でしか無い彼が立ち寄る理由のないはずの部屋だった。
それも一応こちらを視界に入れて、だが反応もしないで去るなどありえない。なぜならラウディスはティエラ王国騎士団の長、つまり団長と務めている。ましてや左右で色の異なった目といい鮮やかな赤毛といい、別の誰かと見間違えるなど絶対にないはずである。
そのラウディスを無視したということに、違和感と不信が芽生えた。
何やら嫌な予感がして、ラウディスはキオの執務室の扉を叩く。どうぞ、という聞き慣れた声に、ゆっくりと扉を開く。部屋の主は書類に囲まれ、ペンをひたすら走らせていた。
彼の名はキオ・ジェストリア。ラウディスにとっては同僚で、幼なじみで、ほとんど兄弟同然に育った関係である。城仕えだった両親を揃って失ったラウディスとその兄を、キオの亡き父が引き取ってくれたのだ。その前から交流があり、生まれて間もない姿もよく知っている。
かつ、こつ、と赤い髪を揺らし、ラウディスは机のそばに向かう。
キオはまだ来訪者がラウディスとは気づいていないようで、黒髪の向こうの紫紺の瞳は文字を追いかけ続けていた。この様子では、さっきの彼の話もマトモに聞いたか定かではない。
「――キオ」
声をかける。
ぴく、とその手が小さく震えて止まった。チラリ、と視線が上がる。
「どうかしたのか、ラウディス」
「騎士が飛び出していくのが見えたから。何かあったのか?」
「……いや、特には」
ただ、と続く声はずいぶん疲れているように聞こえる。手を止めた彼は長めに揃えてある前髪をさっと書き上げて、椅子の背にもたれ掛かった。どうもだいぶお疲れの様子だ。本来だったら彼の補佐として誰かしらいるべきで、彼にはその筆頭となるだろう息子が二人もいる。
しかし上も下も、なぜか父の手伝いはしたがらない。下は本当に忙しい時に雑用ぐらいはしているが、上はどこ吹く風。かれこれ半年ほど音信不通になっている。
彼らの子供の間では連絡を取り合っているようで、一応死んではいないようだが。
ラウディスとキオは、共に息子に関して悩みを抱える同士だ。それもすぐには解決しなさそうな問題で、特にラウディスの方は解決など不可能ではないかとさえ思っている。だから彼はヴェルアード公国にいる兄のもとに、その息子――次男のヒューゴを預けているのだ。
こちらにいても彼が幸せになれないから、それを守ってもやれないから、少しでも穏やかな場所でいてくれればと願って。キオの場合はほったらかしている感じだろうか。見捨てたわけではないのだろうが、二年も自由にさせているその真意は口にされないためにわからない。
互いにワケありの子を抱え、手元に置けない父親同士。
ラウディスは仕事を再開した『義弟』を、しばらく眺めていた。
■ □ ■
さて、本題に入ろうか。
自分は何も彼の仕事を見物しに来たわけではない。あまり気にも止まらなかったのか、向こうからも話が繋がってこないし、ここは直接話題を差し出して話を聞くしかなかった。
「一ついいか、あの騎士は――」
何をしに来たのだ、と続けようとした時だ。
「キオ、いるかぁ? 例の海賊なんだけど――」
ノックもなしに扉が勢い良く開き、二人の男が入ってきた。黒髪に深い緑の瞳が特徴的な騎士と、銀髪に青い目をしたローブをまとう魔術師。二人は先客であるラウディスを見て驚く。
基本的によほどの用事がなければ、ラウディスがここにこないことを知るからだ。
「っと、ラウディス、お前いたのかよ」
「いて悪いか」
「悪くはねぇけど……」
珍しいし、とどこかバツが悪そうにする騎士の名はシュリツ・ラディエール。騎士団の副団長を務めている。とはいえ、彼がすることは騎士団と外を繋ぐ窓口で、宰相を筆頭とした文官などとの連絡も基本的にはシュリツを通じてすることになる。秘書のようなものだろうか。
基本、ラウディスは前線担当だ。
だから、その彼がここにいることに驚くのは無理もない。
もっともいないはずがない、ということもないため、驚きは大きくないが。
部屋に入ってすぐのところで立ち尽くすシュリツに目を向け、ラウディスが腕を組む。
「シュリツ、海賊がどうかしたのか?」
「あぁ、そうそう、それなんだけどさ。ほい、これが現場から上がりたての報告書」
お前のぶん、とシュリツはキオとラウディスそれぞれに紙切れを渡す。その顔に浮かぶ年齢に合わない無邪気な笑みに、なんとなくラウディスは悪寒のような、妙なものを感じていた。
にんやり、という感じの表情には、若いころ――もとい、幼いころにさんざん迷惑をかけられたある三姉妹がかぶって見えて仕方がない。まぁ、シュリツはその三姉妹の三番目と双子の姉弟なので、笑った顔が姉らと似ているのは至極当然のことではあるのだが。
ともかくその笑顔は、実に嫌な予感しか感じさせないものだ。だが見ないという選択肢は選べない――そもそも選択肢自体が存在しないので、ラウディスはおとなしく紙に目を向けた。
そこには定められた形式で綴られた報告書が、淡々とまとめられている。
「ほら、最近各国との航路を荒らしてる海賊がいたでしょう?」
紙切れに目を通し始めた二人に、銀髪の魔術師が声をかけた。
シルフ・クラインといい、宮廷魔術師の筆頭で一応は彼も騎士団の所属になる。魔術がまだ根付いているとは言いがたいので、ほとんど次代を担う人材の養育が仕事になっているが。
全体的に白い彼は、服も白を基調にしてある。見るからにずっしりとした重みのあるローブは特殊な繊維で作られたもので、生半可な攻撃ではびくともしない強度を誇っている。
彼にかぎらず、現在ティエラ王国騎士団に配備されている防具は、こういう特殊繊維を用いたものが中心になっている。手入れや身に付けるのが楽で、まとめて注文すると安いからだ。
ただ、一般にも広まった結果、それを悪用する輩も出てきた。件の海賊もその類で、海の上にいるということもあって手を出しにくく、現状は警戒情報を出す程度しかできないでいる。
「あれをね、片付けてしまった二人組がいるらしいんだ」
すごいよねぇ、と笑うシルフ。
ローブに縫い付けられた無数の魔石が、しゃらり、と音を立てる。
「その二人が、どうも騎士と揉めたらしくって」
「揉めた?」
「うん。背格好からして、たぶん若い騎士とね」
「……となると、やはりエヴィルか」
だがなぜ、と思いながらラウディスは文面を何度か読み返し、その原因を知る。
ヴェルアード公国の貴族の依頼で護衛として船に乗っていたその二人組は、あっという間に海賊をすべて倒して捕まえたという。一人は見目のいい銀髪の、派手な装いの少年。そしてもう一人は赤毛の、獣の耳にしっぽを持って――左右で色の異なる瞳を持つ少年だという。
彼らは騎士の一人と何かを言い合っていた、とのこと。
それは現状を見る限り、エヴィルと見て間違いないだろう。
言い争った相手が、ラウディスの予想通りなら。
面倒なことになったと思いながら、ラウディスはキオの様子を伺う。椅子に座ったまま同じように繰り返し目を通していたらしいキオは、きつく目を閉じ、手にしていた紙を投げた。
シュリツも、そしてシルフも同じように複雑な顔をする。
どうやら、この場にいる四人は全員、同じ答えに行き着いたらしい。
そういえば、とキオが口を開く。
「エヴィルといったか、あの騎士に尋ねられた。銀髪に青い目をした息子がいるのかと。詳しく尋ねたら心底性格の悪そうな生意気な、十代半ばの少年で。それがもう一人を大層ご丁寧に庇い立てた上に、自分――つまりエヴィルに謝罪しろなどと言い、私を父と呼んだそうだ」
「……考えるまでもなく、それはグレイ君だよね」
彼らしいなぁ、とシルフが笑う。
あぁ、とキオは頷いて。
「だからそれは確かに私の長男だというと、真っ青になってそのまま出て行った」
よくわからなかったが、なるほどこういうことか、とキオは小さくつぶやく。頭を抱えるように天井を見上げ目元を指で抑えながら、疲労感に満ち溢れた声でため息混じりに言った。
「どうやら当家のバカ息子が、半年ぶりに帰ってきたらしい」
よりによってこのタイミングで、と。
まるで呪詛のように響く声に、三人は慰めも何も言えなかった。




