裏側から手を伸ばして
グレイ・ジェストリアは女皇帝の前にいた。
この場にいるのは二人である。護衛の類は人払い済みだ。そもそも、そんなものが必要ないほどに女皇帝リゲルは強い。グレイが知る限り、現在存命であるものでは最強、すでに亡き存在を入れても片手に入る程度後からはある。むしろ、彼女に勝てる相手を探すのは簡単だ。
そんなもの、『月の魔女』や『黄金月の女王』と呼ばれたエナ・カーランカイネルか、彼女と同格の力を持っていたという天帝シエルぐらいなもの。もっとも、エナの方は一応生存しているのだが、公的な書類上では数百年ほど昔に死亡しているという扱いにされている。
彼女の血縁であり、同じ瞳を持つ女皇帝は。
「今回はずいぶん派手にやったようだな」
それで、と彼女は組んだ足を入れ替えながら笑い。
「例のお姫様の具合はどうなんだ? ん? もう手を出したか? 貴族令嬢で生娘相手は大変らしいぞー。知識だけはあるようにみえて、おとぎ話のような程度しかないからなー。あぁボクは平気だったぞ当然だ。あいつはヘタレだからな、据え膳にしても食わんからこっちから食ってやったぞ。かわいかったなー、実にかわいかった……ふふ、あと十人増えても悪くない」
まくし立てるように、たった一息で言い切った。
はぁ、と思わず苦笑と溜息がこぼれる。
何が嬉しくて、人様の夫婦生活と今後の家族計画を聞かなければいけないのか。
とはいえ、直球でいうと苛烈さが増すから、穏便に運ばねばいけない。
「……相変わらず、下世話なことがお好きな人ですね。あとすでに五人もいらっしゃることを忘れたらいけないと思いますよ。そうでなくとも、魔族にとっての妊娠は面倒なんですから」
「ふ……ボクがそんなやわな女だと侮るなよ?」
「いいえ、ぜんぜん侮っていません。僕的に最高に恐ろしい人ですよ、あなたは」
「褒めるな褒めるな。で、お前的にはどういう感じなんだ? そのお姫様とやらは」
問われたグレイは腕を組んで。
「どう、と言われましても」
と、言葉を濁した。
グレイから見たリン・ウォーテンとは、よくも悪くも普通の少女だ。
絵に描いたようなお嬢様で、誇りや気位といったものはそれなりに高い。だが、悪女に離れそうになく、彼女がグレイを籠絡する日は来ないだろう。彼女は確かに王族の末席に身をおく身分ではあるのだが、取引や政略相手として重要な立場にはない。取引する相手として考えるのならば、やはり彼女の祖母のような直系でなければ、繋がりを作る意味は薄いだろう。
それ以外の関係ならば、別に気にしない。
愚かではないしバカでもないから、話をする相手としてならむしろ優良。
見たところソフィアやユーリィとは、それなりに親しい関係が築けているようだ。同年代の少女らと、打算などを介さずに触れ合うことはおそらく少なかったはず。常に気さくで、しかし貴族のしがらみなどを知っている二人は、リンにとっては居心地のいい相手に違いない。
いろいろと考え、しかしやはり自分の伴侶、というのは無いなと思う。
――結局、僕は『一人』しか欲しくないからね。
そう、心の奥で静かに自嘲した。
「ウォーテン家との繋がりは、いろいろと都合がいいんじゃないか?」
「それは認めますよ。ジルエールとの接点にもなりますし。だけど僕個人としては、興味が薄いのでエリルに任せたいところですね。いっそヒューゴとくっつけばよかったんですよ」
「むちゃくちゃ言うな、お前」
「そうすればティエラのうるさいジジィも、少しは静かになりますしね」
それなりに気を使って仕込んだ毒は、しかしグレイが思ったほどの効力はなかった。例のうるさい連中は未だに健在、いずれまたあれこれと口を出してくるのは火を見るより明らかだ。
そうなる前に、今度こそ息の根を止めたいと思う。
国内は若干慌ただしくなるかもしれない、だがあの手の輩は邪魔だ。国にとって、人々にとってこの上なく邪魔だ。だから早いところヒューゴには、婿に行ってもらいたいと思う。
そうすれば、少なくとも直接手は出せない。
向こうのカードにニカという彼女がある限りは、まだまだ気を抜けない。
しかしヒューゴは、ちゃんとした騎士になるまで結婚は愚か婚約すらしないという。
自分からちゃんとプロポーズするんだ、とか何とか言っていた。
だがグレイからすると、成長を喜ぶ声よりも嘆きの方が大きく響く。こちらが重ねた苦労も知らないで、と裏で手を回してきたことを伝えてもいないくせに詰りたくなってしまった。
今まで言っていないことを、今後口にする予定もないので、無言でいるが。
「まぁ、ヒューゴが幸せそうなのでいいですが。それより問題はルイさんでしょうね。貴族社会では噂になっているでしょうし、婚約済みとかそういうのも気にせず、今頃娘の出荷先を変更している家も少なくないのではないかと。天界も、当然目をつけるでしょうしね」
「ほぅ……とはいえ、だ、今の天界に年頃の令嬢などいたか? 王族に嫁ぐとなれば、それなりの身分が必要となるはずだが、唯一ボクが知るのが例のリン・ウォーテンだぞ」
「あるにはありますよ、一応は」
その気はないでしょうが、とグレイは続け。
「例えば天界の、四つある――いえ、四つあった神官家の一つ、最後の当主の孫娘にあたる令嬢だけが残っている『フィルツレーグ家』なんかは、その令嬢が確か二十代前半の若さでつりあいます。もっとも、こちらは本人にまったくやる気がないでしょうけどね」
「詳しいな」
「これでも貴族なもので、それなりに社交界の噂は知っていますよ」
ものぐさのあなたとは違います、と笑みを浮かべるグレイ。
件の令嬢――レティシア・フィン・フィルツレーグは、常に自分の工房に閉じこもっていると噂の『死霊使い』だ。天界の民でありながら死霊、つまり霊界に属する術を会得している彼女の瞳は、天上の月とも称される色をしている。要するに、女皇帝と同じ血筋なのだ。
金色の髪に同じ色の瞳を持つ彼女は、しかし社交界には興味が無い。
分家にして『元婚約者』であるイオ・フィルツレーグを矢面に立たせて、グレイからすると生贄として捧げるような形で、ひたすら自身の研究などに明け暮れているという。
とはいえ、リンを除けば天界の名家のうち、王族に嫁げるだけの家柄を持っている唯一の未婚女性ではある。警戒するに越したことはないだろう、とグレイは判断していた。
何より。
「最悪の場合、リン・ウォーテンを出すことだって可能だ。そもそも王子がいないからうちにまわってきたのでしょうからね、向こうがどういう手に出てくるか、よく考えないと」
グレイの言葉に、女皇帝は小さく、ふむ、と唸って目を伏せる。
天界の動向とティエラ王国の現状を、女皇帝に細かく伝えるのは、どうしても争いだけは避けてほしいと思うグレイの一存だ。天界はジルエール家暫定当主クルトを筆頭に、魔界、そして魔族嫌いの民が多い。クルトのそれは個人的なものだと言われているが、ともかく昔からやたらと争いの多い種族なのである。女皇帝が即位してからは、一応は収まってはいるが。
だがグレイは、最近ティエラ王国に天界が手を出してくるのが気がかりだった。リンとの婚約騒動もそうだし、それ以外でもだ。市民は天界への親近感や好感度を高めつつあるが――。
「あの国ほど、あの国のトップ周辺ほど、あてにならない統治者はいない」
グレイの小さなつぶやきは、誰に咎められることはない。
彼の懸念は一つ。
ティエラ王国を介した代理的な争い。
冗談ではない、無関係な国民にはいい迷惑だ。だが、このまま行けばむしろ喜んで彼らの企みに乗っかりかねない。どうにかして、それだけは回避しなければいけないと、彼は思う。
そのためにも、あの国の未来を背負うルイ・ベルフェーム――ヒューゴの従兄弟で、国王の甥に当たる彼に天界の民を沿わせてはいけないのだ。何が何でも、それだけはよくない。
人間界は、人間界でなければ意味が無い。
天界の統治下にはいるなど、あってはならない。
――あいつらは何も学んでいない。昔からいつだってそうだ。
思い、これからのことを憂いながら思案する。
「一難去ってまた一難、難儀なことよ……」
ふぅ、と女皇帝はため息を付き。
「とりあえずルイは、しばらくボクの手元に置いておこう。幸い、まだ国王は甥の存在を明らかにはしていないからな、ボクがそれを知らないと思っているだろうし、手は出さんさ。仮に出してきたならば、それ相応に対処する。……できれば、そこまで愚かでないと祈りたいな」
「そうしていただけると幸い。僕ではさすがに王族には手が出ませんので」
「まぁな。……そうだ、これを機に父の仕事を継いだらどうだ?」
「ご冗談を」
「本気で言っているんだがなぁ。お前が政治の相手なら、何かとやりやすかろうに」
その言葉に、グレイは曖昧な笑みだけを返していた。
■ □ ■
謁見の間を出てすぐ、遠くからばたばたと走ってくる足音が響く。
グレイがそちらを見れば、黒髪の少年が手を振っているのが見えた。全体的に薄着で動きやすそうな格好の、大振りで細身の剣を抱えた小柄な少年だ。その向こうからは、おそらく歩くような速度で近寄ってきている、髪が短い少年。こちらも小柄で、なおかつ華奢だ。
「おーい! グレイーっ!」
彼は一度は足を止めていたが、すぐにまた走って。
そして、勢いよく飛びかかってきた。
後頭部できゅっとしばった黒髪が、しっぽのように揺れている。グレイを押し倒さんばかりに飛びかかっていた少年は、鮮やかな緑色の瞳を大きくし、そして同時に輝かせて。
「おかえりなさいっ」
「ただいま、元気が有り余っているようで何より」
「へっへーん。僕だってちゃーんとがんばってるんだからっ」
「ん、偉いね」
わしわしと頭を撫でてやれば、嬉しそうに目を細めた。
だが、手を止めるとふとグレイの様子をうかがうような目をして。
「グレイは大変? ティエラのこととか」
「そう……だね。だけどまぁ、この程度なら平気だよ」
「ごめんね、僕がまだダメダメだから、グレイだけに全部任せちゃって」
ウェルトにも迷惑かけて、と少年はもう一人の方を見る。そこにいたのは左右で瞳の色が違う少年――ウェルト・ルクヴァーンシュだ。彼は頭を軽く指先でかくようにしながら。
「別に、気にしてない」
ぶっきらぼうな言い方だが、これがこの少年の常だから仕方がない。
「うぅ、ごめんねー」
「謝るなら甘味奢れ。それでチャラにしてやる」
「お、いいね、僕も実はすごく疲れてるから甘いのがほしいなー、ほしいなー?」
「うー、 僕のお小遣いが少ないの知ってるくせにぃ……」
ひどいひどい、と喚く声に、笑い声が一つ重なり、呆れたようなため息が続く。
そうして三人は、どこかへと去っていった。




