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目的未達成

 リン・ウォーテンは悩んでいた。

 鏡の前でごきげんな笑みを浮かべながらも、その心の内側は乱れていた。


 ――私は、こんな生活をするためにここにきたわけじゃない。


 彼女の目的は、この家の長男と結ばれること。今は次男のエリルとばかり一緒にいるが、目的はあくまでも彼の兄であるグレイ・ジェストリアただ一人。彼の中に眠るジルエール家のちからを一族に取り込むために、直系唯一といっていい女児であるリンは、ここにきたのだ。

 急ぐことはない、と祖母は口癖のように言う。

 本来、こういうことに向いていないことをわかってくれているのだろう。

 笑みの裏に本音を隠す術は知っているが、それを駆使して相手を絡めとるなんてスキルはまだ身についていない。どちらかというと、そういうスキルをそれとなく流す方が求められる立場だった。だからといってできるわけではないのだと、リンはため息混じりに思う。

 そもそも苦手なのだ。

 今の自分のようなことを考え、近寄ってくる相手が。

 誰にも言っていないし、どんな相手を前にしても常に涼しい顔をしているから、祖母はもちろんのこと両親も知らないだろうが。だけど本当は苦手だし、嫌悪する程度に嫌いなのだ。

 そんな存在に、自分がならなければいけないというのは苦痛だ。

 ましてや成果がないから、余計に虚しい。

 そういうこともあって、エリルと一緒にいることが多くなりつつある。

 打算も何もなく自然なままにいられる彼との交流は、とても心を癒してくれた。だからこそ買ってもらった服を着れないことが辛くて、食事も無理につめ込まないととれないくらいで。

 そういうこともあって、リンは思い切って召使を全員天界に帰した。

 服もそうだが、彼らがいるとどうしても自分がここに来た理由を忘れられない。

 心がやすらぐ時間がなかなか取れない。エリルの前でだけは、元気です、という演技はしたくなかった。そこまで追い詰められたらきっと、自分には逃げ場がなくなってしまうから。


 ――でも結局、服が原因ですよね。


 自分でもそう思うくらい、内心を無視して表情は明るいものだった。

 今、彼女が着用しているのは天界風のドレスではない。

 丈が短く動きやすい、庶民が普段着として身につけるようなものだ。

 袖も短いし、全体的に布も少なめ。だが細々としたところがかわいいデザインで、例えば膝丈のスカートは花びらのように重ねられたものだし、ふんわりとさせてあって全体的に可憐。

 おそらく、リンはそういうのが慣れている、とエリルが考えてこれを見繕ってくれたのだろうと思う。確かに天界風なので、恥ずかしさはあるが抵抗感はない。あまり会話ができていないが同年代の屋敷の住民――ソフィアとユーリィといったか、あの二人と並んでも普通だ。

 当然、エリルとも。


 ――ただ、ドレス姿のほうが彼と並ぶなら、よさそうではあります。


 思うのは派手な装いを好むらしい、自分のターゲット。ここ数日、どこかに出かけてしまったらしく屋敷にいない。ふらり、といなくなるのは常らしく、誰も気にしていないようだが。

 このことを祖母に言ったら、きっとあれこれ心配させるだろう。

 一族の復興を、何より願っているのは祖母だからだ。

 リンが彼を捕まえられなければ、そこで何もかもが終わってしまう。

 責任は重大だった、すでにわかっていたことだが。

 と、物思いにふけりながら軽く身支度を整えていると、扉がノックされる。

 はい、と答えると、失礼しますっす、と珍妙な口調が返された。続いて扉が開き、姿を見せたのは召使、と思われる服装を着ているが微妙に何かが違う黒髪の少女だった。

「こんちわっす。レイガっすよ」

 びしぃ、と腕を上げてにっこり笑う少女。

 服装は召使のそれと似ているのだが、やはりいろいろと違う。先日帰した召使らもそうだったのだが、この屋敷の召使はくるぶし近くまであるロング丈のエプロンドレスを着用する。

 袖も長くて、丈夫そうな布地であるのは見ていてもわかった。

 だが彼女のそれは袖が短く、エプロンは腰から下だけ、スカート丈も短い。元はこの屋敷で支給されているものなのだろうなとは、何となく名残りのようなものがあるのでわかるが。

「レイガ、さん……ですか」

「そうっす。魔界からきたメイドさんっすよ」

 仲良くするっすよ、と笑う彼女の目は、しかし魔族ではあまりみない碧眼だ。しかもフルネームを聞けば、天界でもそれなりに知られている名家ルクヴァーンシュの名が出る。

 本人は血の繋がりなんてない、拾われ貰われみたいな養女っすけどねと笑っているが、だったらなおさらルクヴァーンシュ家を名乗らせるというのは、それなりの意味があるはずだ。


 ――この屋敷、もしかしてとんでもない人材が揃っているのでは。


 ジルエール血統を強く引く少年に、魔界の名家を名乗ることを許された少女。

 もしかすると、彼女は自分と同じ目的なのではないだろうか。つまり、ジルエール家のちを強く持ったグレイ・ジェストリアを狙って、送り込まれていた彼を手に入れるための駒。

 だとしたら――油断は、できない。

 そんな相手が、なぜか自分を凝視しているとリンは気づいた。

 正確には、リンというよりも――服を。

「あの、何か?」

「その服、グレイが買い与えたっすか? それともエリル?」

「エリル様、ですが」

「あー」

 なるほどなるほど、と一人腕を組んで納得するレイガ。

「あいつの趣味モロわかりっすね。なるほど、こういうのが好みってわけっすか。さすがあの派手好きだけどセンスだけはいいグレイの弟っす、すごくリンに似合ってると思うっすよ」

「そ、そうですか……?」

「スカートも若い子向けの人気ブランドのだし、上だってそうっす。しかもいくつかあるパターンで一番個人に似合うものをチョイスとか、好かれてるっすねー、ひゅーひゅー」

「べ、別にそういう訳じゃ……」

「素直に喜んで自慢して勝ち誇るっすよ。グレイだけじゃなく、エリルだって人気あるっすからねー。とはいえ、さすがにこれだとあまりにも『かわいいかわいい』しすぎっすから、ちょっと首か手首にアクセサリーでもつけるっすか? 大人っぽい感じに。髪留めでもいっすね」

 どうせいろいろ買ってあるっすよね、と言われたリンは頷くしかない。

 この服にはこれが合うよ、という言葉とともに、首飾りとブレスレットを数点、髪留めなどは結構な数が揃えられた。どれもシンプルだがデザインのいい、リンの好みの物ばかり。

 いつの間に好みが知られたのだろう、と少し驚きつつ。

 そのことが、なぜか嬉しいと、思ってしまった。



   ■  □  ■



 再び鏡――鏡台の前、リンは丁寧に髪を整えられていた。

「結う方が好きっすか?」

「いえ……」

「そんじゃ、軽くまとめるだけにするっすね」

 好みのを選ぶっすよ、と言い、レイガは櫛を丁寧に通していく。細いっすねぇ、と漏れたのはリンの髪への感想らしい。人と比べたことがないのでわからないのだが、よく人からは髪を褒められることが多かったように思う。まぁ、それなりに手間暇と金をかけているのだ、それくらいでなければ何の意味もない。着飾り花となるのが貴族の子女のつとめ、当然のことだ。

 とはいえ、それがまったく通じないのがあの少年である。

 綺麗であるだけではいけない。

 だけど、何をすればいいのかわからない。

 最終的には既成事実を、とすら考えているのだが、それはやはり最終手段としてまだ残しておこうと思う。それをすることによって、きっと自分で自分が嫌いになるし、何より。


 ――エリル様には、きっと軽蔑されてしまう。


 こんなによくしてもらった相手に嫌われるというのは、想像するだけでも心の底が凍てつくようになって恐ろしいものだ。現実にしたくない、それしか手段がなくなるまでは。

 その時――背後から声がかけられる。

「髪留め、決まったっすか?」

「あ……はい」

 アクセサリーを入れた箱を覗きこんだまま、ついぼーっとしてしまった。

 少し大振りの、赤い花をあしらった髪留めを渡す。ずっとリンは、自分は青が似合うと思っていた。目の色もあるし、個人的に白には青、という認識がとても強かったからだ。

 しかしここに来て意外と、自分には赤も似合うのだと気づいた。今着ているスカートも鮮やかさを抑えたような濃い目の赤で、上のブラウスが持っている白との相性がいい。普段、与えられるままに服を着ていたのを、今更ながらに痛感する。少しは自分で考えようと思った。

 受け取った髪留めを、レイガはテキパキと髪につけていく。うつむけば顔の頬に掛かる位置の髪を左右から掬うように取り、後ろへ回し、髪留めを使って一つにまとめているのだ。

 ただ、あまり得意な作業ではないらしく、何度かやり直している。

「さらっさらのドまっすぐストレートだから、やけに難しいっすね……」

 小さく聞こえるぼやき。

 普通、召使というものはそういう言葉は口にしないものだろう。思ったとしても、涼し気な表情のまま口を閉ざすもの。そもそも、あんな馴れ馴れしいとも言える口をきくわけもない。

 最初の印象通り、やはりこのレイガという少女はただの召使ではなかった。服装からして何もかもが違っているし、おそらく本職ではない。だが世話をする手つきは、慣れたものだ。

 聞けば二年ほど前から、ここで暮らしているのだという。

 元々はリンと同じく客人で、今は趣味で手伝いをしているらしい。

「髪は、自分のいじってれば慣れるっすよ。ユーリィのも長いっすし」

 これだけは慣れてるっすよ、とふふんと笑うレイガ。

 言うだけあって、先程から痛みがほとんどない。召使らも上手だったが、彼女もかなり慣れている。まぁ、長さだけを見ればリンと左程変わらないほどだ、慣れもするだろう。

 リンの髪質のせいで若干手間取っているが、手つきは確かなものだ。

 つまり。


「私も……いつかは慣れるのでしょうか」


 これまでのように、誰彼に任せっぱなしではいけない。

 なけなしの知恵を絞って、グレイがそういうお嬢様が好きではないらしい、ということはわかった。だから少しでも自分で、できる範囲でいろいろとやっていこうと思っている。

 日々の着替えぐらいは、当然のことだ。

 髪を整えるのも、結い上げるのでなければ自力でするべきだろう。

「そうっすねぇ……やる気があれば、どうにでもなるんじゃないっすか?」

 どうにでもなる。

 ずいぶんと投げやりな言葉だと、以前なら思っただろうが。

 今は、嬉しい響きがあるように感じられた。

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