天帝の三兄妹
天帝シエルには、最愛の妻エルノアがいた。
二人の間には男の子が二人、女の子が一人授けられた。
早くに両親を相次いでなくした三人を育てたのは、天帝シエルの実弟クルト。現在天界の全権を握っている立場である。本人は、あくまでも自分は中継ぎでしかないと言い続けるが。
彼にとって、天帝というものは象徴だ。
天界がより輝くための、宝石のようなものなのだ。
しかし、だからこそこだわらなければいけない。より輝ける原石を見つけ出し、それを時間をかけて丁寧に磨き上げる。そのためだけに、暫定当主という椅子に座り続けて数百年。
幼い容姿のままという弱点を抱え、ひたすら国を背負ってきた。
かの偉大な人が亡くなった時、クルトの周りには『誰もいなかった』から、ひたすら歯を食いしばっていたと思う。おかげで笑い方を本当に忘れそうになったし『叔父上は怖い』と三人にはよく言われ、この前もマーシャの孫娘にずいぶんと緊張させてしまったように思う。
そんな彼は今、ひどく困り果てているのだ。
怒りに近い無表情が常であるその顔を、ふにゃりと困り顔にしていた。
天帝シエルの三人の子供達。
長男ヴェールに、次男のウロス。そして長女のマーシャ。
基本的に、この三兄妹は仲がいい。それぞれ趣味も好みも違うのだが、やはり何かと苦労したこともあってか、ここぞという時の団結力は強い。特に気が強いのがマーシャで、彼女がもしも男であったならば、クルトは後継者に指名していたかもしれない。感情的になるところが欠点といえば欠点であるのだが、国のことに興味の薄い上二人を見ると目をつむれるだろう。
いや、上二人が彼女に比べてダメかというとそうではない。
どちらも充分に才覚が備わっているし、見目も性格も良い方と言える。
ただ、それらを活かそうという気が無いだけのことだ。
中継ぎならば、と暫定当主となったクルトが未だにその座を降りられないのは、見目も性格も才能も持っているはずの彼らが、そのどちらも政治に関わろうとしないせいだった。
遊びまわっているが天界に在住しているヴェールなどまだいい方で、ウロスなど一人の弟子を連れて魔界に住まいを構えて以来、そこに引きこもるようにしている始末である。
結果、マーシャ一人が奮闘するという構図になったのだが。
「……はぁ」
前述の通り、クルト・ジルエールはとても困っていた。
二人の甥と一人の姪の、すっかり恒例になりつつある争いを、今日はどうなだめようか考えることに心身ともに疲れ果てていた。半目で眺めるのは、よく似た三人の口論の風景。
髪を綺麗に結い、華やかな装いをしているのがマーシャ。今日は落ち着いた緑色のドレスを纏っている。正装するのは王宮に来る時で、郊外にあるクルトの自宅にはラフな格好だ。
それでもまだまだ若いつもりなのか、身だしなみには余念がない。
だが、すぐにでも夜会に出かけられそうな彼女は、整えた髪を振り乱すように叫ぶ。
「ですからっ、お兄様方がさっさと結婚なり愛人を孕ませるなりしないから、わたくしがこんなにも困り果てているのです! 男なんて仕込めばそれで終わりなのですから、そこら辺にどっさりとお作りなさいまし! このマーシャが責任をもって、立派な紳士淑女に致します!」
叫ぶ相手は二人の兄だ。
ジルエール家にふさわしい銀髪碧眼。一歳違いの兄と弟。一人は市民の中に混じっても違和感がないラフすぎるほどラフな格好をしていて、もう一人は重たい色のローブを重ね着だ。
ラフな方がヴェール、もう一人がウロス。
どちらも身体を妹に向けず、今すぐにでも帰りたい雰囲気を隠さなかったが。
「お前それでも女かよ! 同性をその扱いでいいのかよ!」
「……最悪だ」
さすがの言い方に、揃って反応を示した。
大声で怒鳴り帰したのがヴェール、控えめに反論するのがウロスである。
「つーか仕込めば終わりって、完全に種馬扱いじゃねぇか!」
「そう扱われたくないなら、結婚なさったらよろしいじゃありませんのっ」
「相手がいねーよ!」
「……探してすらいないがな」
「ヴェールお兄様、ウロスお兄様!」
ばぁん、と机を叩いて立ち上がるマーシャ。あぁ、茶が溢れるな、とクルトはそっと自分のカップを手にとって退避する。ああなったらもう手が付けられないから、ほっとこう。
離れたところに移動して、茶を飲みつつ思案する。
そもそものきっかけは、人間界にいかせているマーシャの孫娘が、首尾よくことを運べていないらしいというところにあった。リンというその少女には、とても重要な役目がある。
ティエラ王国の宰相キオ。彼の息子は、家族の誰とも異なる容姿がある。そしてクルト自身も目撃した力。それらがもたらす答えは彼が、何らかの要因で『ジルエール血統』を強く引いて生まれてきたということだ。俗にいう先祖帰りだろうが、見逃すには惜しい逸材だった。
魔界留学中に通っていた学園では剣術を筆頭にいくつかの科目を専攻し、魔術以外ですべて主席という素晴らしい成績を治めている。今はあちこち歩きまわっているようだが、これはクルトにとっては好都合なところだ。優秀な跡取りなら失えないため、リンを嫁に出すことになるのだが、そうでないなら次男に後継を任せ、長男を政略に……そんなことも提案できる。
ともかく、リンには彼を何としてでも落としてもらわなければいけない。
だが、それを受け入れたはずのマーシャは、一人異国に旅だった孫娘が心配なようで。
「リンはまだ幼い子なのです、なのにお家のためにとがんばって……最近ではドレスを脱がされて、庶民のような装いまでさせられているとか! あげく、連れて行った召使を、全員こちらに帰してしまうなんて! あぁっ、あんな優しい子が苦労しているかと思うとわたくしっ」
マーシャはそう嘆き、顔を手で覆った。
■ □ ■
一方その頃、人間界のティエラ王国、宰相の屋敷。
鏡の前に立っている銀髪の少女と、その横に黒髪の少年がいた。
「リン、いいね。似合ってるよ」
「そ、そうですか……?」
「うん、すごくかわいいと思う。よかった、これであちこち連れていける」
「あ……ありがとう、ございます」
恥じらうようにうつむく少女――リン・ウォーテン。
その服装はティエラ王国の、いや三つの世界すべてにおいて、ごく普通の庶民の少女が丈が短くて動きやすいものだ。これまで天界から持ち込んだドレスばかりで、当然実家でもずっとそうだったので、こういうものに袖を通したのは初体験。何とも足がすーすーすると思う。
「でもよかったの? 召使の人達を、全員天界に帰しても」
「はい。こっちにいる間ぐらい、自分のことは自分でしたいですし……それに」
「それに?」
「エリル様に頂いた服も、ちゃんと着たかったですし」
彼らには申し訳ないと思うが、やはり買ってもらった服を着ない、という罪悪感には耐えられなかった。……いや、そんなものはただの言い訳で、本音としてはとても簡潔なもの。
彼が見繕ってくれた服を、着たい。
たった、それだけの、騒動のような思いからだった。そんなかわいらしいと誰もが思う思いからの行動が、だいぶひん曲がり、ねじれた形で祖母のもとに届いているなど当然知らない。
異国の彼女は幸せだった。
少なくとも、祖母が思う以上には。
■ □ ■
「きっと今頃、着たきりスズメでかわいそうなことになっているのです……」
どこからかハンカチを取り出し、目元を拭うマーシャ。
それを見て、ヴェールが隣の弟に耳打ちする。
「なぁ、相手ってビンボー?」
「大国宰相の息子だ」
「じゃあ服ぐらい買えるんじゃ……」
「あの子に似合う服が、人間界にあるわけがないでしょう! これだから独り身は! お兄様達はそこらへんの藁や葉っぱでもいいでしょうが、あの子は乙女なのですよ、わかります?」
「いやよくねぇよ?」
「あんなにかわいい子が、苦労しているかと思うと、わたくし、わたくし……」
あああ、と孫娘を思い嘆きだした妹を、呆れ気味に眺める兄二人。それをこの世の終わりのような目をして眺め、ため息を呼吸のように繰り返している叔父。そばに控えている、クルトお抱えの召使にとっては、これもわりと見慣れたよくある一家の風景だった。
お茶を、とその召使にからになったカップを渡す。静々と近寄った召使――長い髪を結い上げた女性は、それを手に離れたところにある茶器の前に向かう。その見慣れた後姿をしばらく眺めていたクルトはひときわ大きく息を吐き、腰掛けた椅子の背もたれに体重を預けた。
先ほどから、もういっそ隠し子でいいから作れ、という主旨の言葉を延々と兄に向かって吐き出している妹は、しかし普段はそんなむちゃくちゃなことを許さない潔癖な心な人間だ。
良くも悪くも箱入り娘。
さて、そんな祖母に『立派な淑女となるように』と育てられた少女は、こちらの思惑通りにあの少年を見事に魅了して見せるのか。それともうまくかわされて、フラれてしまうのか。
前者であるならばよいが、もしも後者であるなら。
「なにか手を、打たねばいけないかもしれないな……」
ぎゃいぎゃいとうるさい声を背景に、クルトはいくつかのプランを思い浮かべていた。




