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在りし日の肖像

 二人に『お願い』があるの。

 この子の、お兄ちゃんになってあげてね。



   ■  □  ■



 とある国の、とある街の、とある真新しい屋敷。

 黒髪に紫紺の瞳が鮮やかな青年が、ふんわりとした椅子に腰掛けた女性を見ている。彼と同じような艶やかな黒髪に、月のような金色の瞳をもった女性の、その腹部は大きかった。

 命を育む腹を撫でながら、彼女は困ったように微笑む。

 朝、起きるなりいきなり『肖像画を描くよ!』と言い出したのは数時間前の話。朝食もそこそこにこのアトリエに引っ張りだされ、暖かい格好しなきゃね、とさほど寒くもないのに厚着をさせられて椅子に座らされた。椅子はふっかふかで、身体を包むように沈み込ませる。

 少し離れたところでは、画材を引っ張りだした青年が作業を開始したところだ。

 どうやら、家族が増える記念らしいのだが。

「別に絵にしなくてもいいのよ? だってもっとたくさん産むもの」

「それはありがたい言葉。先生がおっけー出したらすぐにいちゃいちゃいしょうね。だけどこれは僕の趣味だから。ほら、じっとして。今の君を僕に描かせておくれよ」

「はいはい」

 青年は絵筆を手にキャンバスの前に立ち、うーん、と唸りながら色を乗せる。今はまだぼんやりとしたシルエットが描かれているだけで、完成するのはだいぶ先になるのは間違いない。

 その頃には生まれてそう、と彼女は目を細めて微笑む。

「お父さんは変なところで凝り性ですねぇ」

 よしよし、と腹を撫でながら。

「……あ、もしかしてハルキは大きいお腹ふぇちなのかしら」

「リズー? 自分のダンナさんに対してそれはちょっとひどいんじゃない? 僕はね、どんな姿の君も愛しているんだ。だからこうして、絵にして残しておきたいというだけなのさ」

 それに、と青年は続けて。

「第一子を身ごもっているリズは、今そこにしかいないしね」

 と、やけにきざったらしく片目を閉じて言った。

 そして再び、真面目そうな顔で絵を描くことを再開した。

 そういうものなのかしら、よくわからないわ、と女性――リズは、いつものように首を軽くかしげそうになり、しかしすぐに椅子に身を預けるような楽な姿勢に戻る。せっかくハルキが描いてくれると言っているのだ、できた肖像画を自分も見たい。だからじっとする。

 ハルキとリズの二人は、結婚して一年ほど経ったばかりの新婚夫婦だ。元々幼なじみだった流れで交際が自然と始まり、二人で稼ぎ倒してこの広大な敷地を持つ屋敷を買ったのである。

 とにかく広い屋敷は、将来的には大勢で暮らすことを目的としたものだ。

 たくさん子供を作るのが夫婦の夢。

 そして、子供達の配偶者と、彼らの間に生まれる子供達と、賑やかな家族を作って平和に暮らしていくのが目標だ。そのためにお金をためて、こんな屋敷を作り上げた。二人はここで家族を作って暮らしていく。長く長く、いつまでも幸せでいられる繋がりを未来に伸ばす。


「わたし、とても幸せなの」


 絵筆をせわしなく動かす夫に、リズは言う。

「だって、わたしの夢が叶うんだもの……あなたが、叶えてくれたんだもの」

「リズ……」

「この家に、たくさんの子供達が暮らして、毎日が賑やかで。わたしは、それを眺めてにこにこしながら生きるの。当然ハルキも隣にいるのよ? 子供や孫に囲まれて生きていくの。それってすごく幸せなことだと、わたしは思ったの。みんなが笑顔になれる、素敵な世界よ」

 腹を撫でながら思い浮かべるのは、とてもとても楽しい光景だ。

 いろいろあって、一人ぼっち同士になった過去。いろんな問題を乗り越えて、こうして二人で生きていける未来を掴んだ今。ここから二人で描いていく未来。この先にあるのは、笑顔にあふれた日々なのだと、リズは確信している。そうなるよう、がんばるからだ。

 そのための、最初に踏み出す第一歩。

 授かった命を生み出す日は、もう間近に迫っていた。

 きっとその日は、とても賑やかだろう。友人やその子供達も来てくれる。とってもかわいい双子の男の子達だから、だからリズには一つ、彼らにお願いしたいことがあったのだ。


 もし、もうじき生まれる子が男の子だったら――。



   ■  □  ■



 ざく、ざく、と草を踏みしめる。

 この日、ラウディス・ベルフェームは手ぶらのまま、散歩のついでにその場所に足を向けていた。特に理由があったわけではない、ただ、何となく立ち寄ろうと思っただけのこと。

 とはいえ明確に向かう場所を認識すると、手ぶらというわけにもいかない。そう思って最寄りの店で買ったのは小さな花束だ。白い可憐な花でまとめた、彼女が好むシンプルなものを。

 そうして手に入れた花を持ち歩く道の前方、見知った少年が歩いてくるのが見えた。

 晴れた空にさらされた、赤い派手な上着が目立つ。


「――あれ、ラウディスさん?」


 珍しいですね、と問うのは銀髪の少年。数日前まで一部を引っ掻き回して、いつの間にか我関せずと言わんばかりに後ろに引いていたグレイ・ジェストリアだ。お前が元凶なのだから最後まで付き合えと、本音としては言いたいところではあるが――今回は、言わないでおく。

 この少年が投げ込んだ石が起こした波紋は、ラウディスの息子ヒューゴを救った。

 根本的な解決には遠いとはいえ、悪い方へ転がるばかりだった流れは確かに変わった。

 グレイがそうしなければ、今頃ヒューゴはヴェルアード公国に戻っていただろう。騎士になるなどということは、永遠になかっただろう。だから今回ばかりは、ラウディスは彼にとても感謝している。下手に立場がある身では、助けたくても助けられなかったから。

 今、ヒューゴは騎士となるべく日々修行中だ。

 修行中の前に『花婿』がつくことは、見ないことにする。

 まさか一人娘より先に嫁ぐとは思わなかった。

 嫁ぐ、というと機嫌を悪くするが。

 ラウディスも見ていた、王などの前で行われた公開プロポーズ。グレイはあの日の夜、それってただの公開処刑だよね、などと言って、腹を抱えて笑っていた。なお、それを見たヒューゴが試合という名の決闘を申し込み、遅くまで派手にやりあっていたようである。

 あの次の日から、ヒューゴはレウラディーネの屋敷に移っていた。そこで貴族としての最低限のあれやこれをニカや、なぜか頻繁に遊びに行っているらしいグレイに教わる日々だとか。

 予定では半年ほど先をめどに、まずは騎士の位を授かる。それから慣れた頃を見計らって正式に婚約し、結婚し、という流れだ。未だフィメリ家があれこれとうるさく、予定は最悪数年ほどズレこむ可能性もある。だが所詮は他家のこと、いつまでも口出しはしてこないだろう。

 かくして騒動はひとまず落ち着きを取り戻し、ラウディスは久しぶりに休日を得た。

 それでここにこれた、というわけなのだが。

「ラウディスさんも……誰かの墓参り、ですか?」

 訪ねてくる声は、ほとんど確認に近い。

 むしろ、この前にあるのは無数の墓石が並んだ共同墓地だ。

 あの街の市民が、余程の理由でもなければ人生の終わりにたどり着く場所。周囲に遮るものがないあの高台は海風が強く、しかし眺めがいいので墓地にしては明るい雰囲気が強い。


 この先には、例えばラウディスの両親が眠っている。

 そして――グレイの母、クリスも。


 優秀だと褒め称えられていた彼を決定的に変えた義妹は、この先の、特に見晴らしのいい場所で静かに眠っている。命日はだいぶ前になるが、その頃グレイはまだこちらに戻っていなかった。更にヒューゴ関係でごたごたして、今になってやっと、というところだろう。

 ともかく、墓地がある場所に向かうのだから、当然墓参りと決まっている。

 まぁな、とラウディスは短く答えた。

「ですよね。僕もです。ちょっと遅れたけど、母さん怒ってなきゃいいな……」

「手土産と元気な姿があれば、小言程度ですむだろうさ」

「その小言が嫌なんだけどなぁ……ま、いいや」

 と、グレイが苦笑交じりにラウディスの横を通り過ぎる。その目立つ赤い姿が下り坂の向こうへ消えるまで、特に意味もないが見送っていた。見えなくなってから、ラウディスも目当ての場所を目指して歩みを進める。さく、と草を踏む音を重ね、辿り着いたのは墓地の外れ。

 まるで隠すように、ひっそりと佇むとても小さな墓石。

 ヒューゴにとってのフィルのような、そんな存在がここに眠っている。

 そういうことにしている、絶対に言えない秘密が眠っている。

 墓石には、ただ、リズ――と、名前だけが刻まれていた。苗字はない。傍目には旅人かなんかが行き倒れた果てのように見えるだろうし、おそらく、そう見えるよう作ったものだ。

 膝をついて、薄汚れてしまった墓石を指先で撫でる。

 花が好きな人だった。

 とにかく華やかな人だった。

 何をするにも騒がしく、だけど明るい人で。優しい人で。現状を、少し悲しそうに笑いながら受け入れるような、凛とした強さを確かに持っている人で。だからこそ彼女を、語る言葉を得てはいけないという戒めが苦しい。四十年経った今も、まだこんなにも痛いほど苦しい。


「俺は、いつまで」


 いつまで口をつぐんでいられるのだろうか、と。

 ここにいない半身にしか言えない声を、今日も彼は飲み込んでいた。

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