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求婚

 遠くから異界獣が倒される音を聞きながら、ヒューゴは息を吐く。

 おせぇよ、とその方向で戦っている仲間の姿を思った。

 だがいろいろ面倒なことでもあったのだろう、ということはわかっている。ここは魔界ではなくて人間界で、親はそれなりの立場があるがそれゆえに動きにくい可能性もあって。だけど倒されている音が聞こえているということは、そこら辺はどうにかなったらしい。


 ――じゃあ、もういいか。


 人々が恐る恐る覗き込む広場の中、ヒューゴはようやく緊張の糸をゆるめる。

 結局、あらかた広場の異界獣は彼が倒してしまっていた。それほど大型が集まっていなかったこともあって、どうにか彼の課題でもある少ない体力が切れる前に何とかなった形である。

 年齢的にもこれから、と言われてはいるが。


 ――まだまだ、足りないよな。


 例えば師でもあるギルディアはもっと動けるはずだ、その弟子だったフィルも当然。父や兄だっていける。自分だけが、この程度でみっともなくバテてしまっている。それにグレイならこの程度は簡単に片付けるはずだ。自分はまだ弱い、上の高みが見えないくらいに弱い。

 もっと早く動けるようになりたい。もっと強くなりたい。

 これから、では遠すぎた。

 今すぐでなければいけないのだ。

 剣を片付けながら、ヒューゴは思う。

 深くため息がこぼれ、足元がふらついた。

「だ、大丈夫、ですか……?」

「へーき、ちょっと疲れて、だから」

 だいじょーぶ、と言いながら、しかし意識がぐるんと回る。これはマズイ、倒れる、と目を閉じ――しかしヒューゴを襲ったのは硬い衝撃ではなく、柔らかくて優しい温もりだった。

 ぼふん、と彼の身体を受け止めたのは、ニカだった。

「……おにいちゃん、だいじょうぶ?」

 と、涙声で話しかけてくるのは見知らぬ子供。

 ニカが抱きかかえて、異界獣から守ろうとしていた子供だ。彼女からすればいきなり人が目の前で倒れたのだ、これまでのこともあるし相当に怖いと感じているだろう。大丈夫、と小さな頭を撫でてやると、よかった、とぎこちないながらも笑ってくれた。


 ――笑っていて、か。


 思い出すのはフィルのことだ。笑っていてと言い残した、英雄のことだ。彼も自分と一緒にいる時は、こんな気持だったのだろうか。笑ってくれるだけで嬉しいと思えて、心が満ちる。

 やってよかった、守れてよかった。

 あの人も、あの瞬間に、そう思ったのだろうか。

「やっぱ……俺は、騎士になりたいなぁ」

 ニカに身を任せたまま、ヒューゴは言う。

「あの人みたいに、誰かを守れる騎士になりたいなって。それくらい強くなって、悪いやつと戦って人を守って……あの人に恥ずかしくない、あの人が誇りに思えるような騎士に」

「……はい」

「今は……まだ、わからないんだけど、でも」

「――大丈夫です」

 大丈夫ですよ、と重ねるようにニカが笑う。

 見上げれば、泣きそうな顔をした彼女が、優しい顔で笑っていた。


「立派な騎士になれますよ、あなたなら」


 優しい声とと共に、頭に触れてくる手のひら。

 その暖かさに、ヒューゴは。

「そっか……じゃあもっと、がんばる」

 半分寝入った声で答え、ふにゃりと笑い、そして目を閉じた。

 今は、とても無理だと思うのに、それでも彼女が大丈夫と言えば何とかなるような。剣を握っているだけで強くなった気分になれたあの頃のように、じゃあ安心だな、なんて思った。



   ■  □  ■



 異界獣に関することは、すぐさま議題として取り上げられた。

 ニカは、異界獣を目撃した者として、普段は立ち入ることのない議会場にいる。実際に戦ったのはヒューゴなのだが、彼はあの時の無茶がたたって今日もベッドの上で絶対安静らしい。

 ケガというケガはないようなのだが、後で見舞いに行こうと思う。

 そんなことに頭を使うぐらい、彼女の前で行われているそれは無意味なものだった。


 現在、議会は真っ二つになっている。

 宰相を筆頭とした、魔界の助力を常に得られるよう、話をするべきだという派閥。異界獣というものの脅威を前にして、今は無理でもいずれは自国で対処できるようになるべきで、そのためには魔界から専門家を招くなりするべきだというのが、彼らの主張である。

 ニカはこちらに賛成だ。

 実際に目の当たりにして分かった、あれを普通の魔物の亜種だと思うのは危険だと。何人か兵士が挑んだらしいのだが、結局傷ひとつとして負わせることができないまま、通りかかった銀色の髪の少年が片っ端から片付けてくれたらしい。言うまでもなく宰相の長男グレイだ。

 あのバケモノが、今後も出ないとは限らない。

 今回は偶然にも戦える人員が揃っていて、だからどうにかなっただけで。かつて魔術師の育成を兼ねて、それまでなかった宮廷魔術師という位を作った時のように何かしなければ。

 それが宰相や、騎士団の上がだした答えだ。


 逆に、そこまで魔界に頼るのは国の恥だと言う者もすくなくない。

 今回は緊急回避として頼ったが、次は避けるべき。よって自力で対処するべきだと。

 素人が聞いても無謀としか言えないその声を、誰より高く上げているのはフィメリ家を筆頭とした貴族達だ。ティエラ王国は王政ではあるが、貴族による議会のような、話し合いの場所を設けている。王はそれによる討論を聞き、国の政を動かしていくという仕組みだ。

 いっそ王が独断で決めればいいのに、と思ってしまう。

 目の前の、何の実りもない話し合いを見ていると。

「だから魔界に頼るようでは、この国はいつまでも対等とはなれぬ!」

「しかし、あのバケモノが出現するとなれば、何らかの対策は必要でしょう。ここは魔界に助力を求めるしか……それか、彼らを騎士や宮廷魔術師として、城で召し抱えるしか!」

「だが一人は英雄殺しだぞ!」

「お前達はあのバケモノを見ておらぬから、そんなくだらないことに目を向ける! どちらにせよ魔界の技術を持ちいらねば、あれに対抗できないとすでにわかりきったことなのだぞ!」

「くだらないとはなんだ! 英雄殺しを召し抱えれば、市民から反対が……っ!」

「そこは特例を……騎士団長のお子でもありますし」

「ふん、ばかばかしい」

 そこで声を上げたのは、フィメリ家の当主。――いや、前当主だ。つまりはニカの伯父に当たる男で、すでに若き息子に家を任せているはずの、ここにはいるべきではない男だ。

 だが肝心の息子の姿はない。

 ニカの従兄弟にあたる彼は温和な人だ。こういう場では、おそらく一言も発せないままになるだろう。だから、かつては宰相の座に近かった伯父が、代理として出てきているのだろう。

「もっと簡単に英雄殺しを選択肢から外す、よい方法があるではないか。あの子供は『英雄殺し』で、しかも貴族ではない。そのようなものに『特例』など! それに魔族にできることならば天の民にもできましょうぞ。ここはウォーテン家を通じ、天界に助力を求めるべきだ」

「それは、確かに……」

「宰相殿のところに、そういえば……」

 その一言が場の流れを変えていくのを、ニカは冷ややかに見ていた。

 結局、伯父は天界との繋がりを求めている。政敵とも言える宰相の家にウォーテン家の姫君がいることを、苦々しく眺めていたことは想像に難くない。この話し合いを利用し、より天界に近づこうという腹づもりなのだろう。その結果、この国に生まれる損害などを無視して。

 ニカと同じく、証人として呼ばれていたグレイは言った。

 この異界獣に関して、天界は肉壁と囮程度にしか役には立たないと。

 少なくともティエラ王国との接点を求める程度の家では、おそらく壁はおろか囮にすらならないと。彼はそれだけを言い残し、あとは関係ないと言わんばかりにすでにここを去った。


 ――これでもまだ天界に頼ろうとするなら、裏から手を回さないといけないな。


 最後、そんなことを心底面倒臭そうに言い残して。

 少なくとも彼は、異界獣というものをこの国の誰より知っている。

 その彼が天界は役に立たないというなら、それはきっと正しいのだろう。

 それでも伯父は、魔界を拒否する。起きていない災害の対策などどうでもいいのだ。結果的にもう一度魔界に頭を下げて、それを決断するまでに被害が出てもお構いなし。

 ヒューゴという少年に適当に理由を並べて、この場における『最善策』を無視する。

 なぜなら、彼らがヒューゴを『気に入らない』からだ。息子に恥をかかせ、目をつけていた都合のいい物件、英雄を死なせた彼をまるで親の敵か何かのように憎悪しているのだ。


 ――英雄殺しというレッテルは消えない。


 それは二度と消えることはない。彼を守ってフィル・ベリルエットが死んだことは、すでに変えようのない過去の事実だ。死者が蘇ることがあったとしても、最初の死は固定される。

 だが貴族というのは、今からでも何とかなるのではないか。

 そう、例えば貴族の配偶者となってしまえば。

「彼が貴族であれば、特例を許すと?」

 証人用の椅子から立ち上がり、前に出て、ニカは伯父を睨む。

 そうだとも、と響く『邪魔者は下がっていろ』と言わんばかりの声に。

「貴族の後ろ盾が必要なら――いいでしょう、私がなります」

 にやり、と笑いそうになる顔をこらえながら、そう言い放った。

 レウラディーネは貴族だ。ニカが騎士でいなければ失いかねないほど、ちっぽけなものではあるが貴族だ。そして唯一の直系はニカ。彼女は未婚で、縁談の類もまだ決まっていない。

 もっとも、伯父はニカをエヴィルの嫁――そういう名前をした『息子を飾り立てるための付属品』にと考えていたようだが、幸か不幸か正式な話ではなかった。だから彼女はフリーで。

 そんな彼女の配偶者は、レウラディーネ家の当主となる。

 つまり――元がどういう立場であれ、彼はその日から貴族の仲間入りいうことだ。

「ラウディス団長」

 絶句と驚愕が満ちる中、ニカは王の傍らに立っていた彼の方を見た。

 一歩歩み出て。深々と頭を下げて。


「息子さんを、このニカ・レウラディーネにください」


 婿として、と鋭い声で言い切ってみせた。

 かくして彼は、本人が思った形ではないルートで騎士となったのである。



   ■  □  ■



 余談となるが、このことを彼女は後で悔いた。

 少なくともこの瞬間のニカは、これは政略結婚だと思っていたからだ。

 彼という優秀な人材をどうでもいいようなくだらない妄言で潰すことはできないから、守るために申し出た取引だと。彼は騎士になれるし、自分はフィメリ家から離れることができる。

 まさに取引、政略的な婚姻関係。

 この時は、そう思っていた。

 しかし、この王を前にした求婚劇は、演劇や小説などの題材になるほど有名な話になってしまった。というのも、このことを城の侍女らが脚色を加えつつ噂話としてしまったためだ。

 あの広場でヒューゴが、ニカを守るように戦っていたのも悪かった。それを見ていた人々にまで噂が回ってしまったことで、二人が恋愛感情から結ばれたのだと思われてしまったのだ。


 身分差を超えた真実の愛。

 年下の王子様に愛される勇ましい姫君。


 などなど、いろんなオプションまで追加された自身の話。言った記憶も聞いた記憶もない歯の浮くような甘いセリフの数々に、当事者――特にニカは言葉も失い真っ赤になるばかり。

 その後、数日ほど部屋に引きこもるように寝込んだという。

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