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英雄の後継者

 ヒューゴ・ベルフェームは、魔術がまったくと言っていいほど使えない。補助端末に、グレイ特製の術式をいろいろと組み込んでもらって、初めてどうにかこうにかという有り様だ。

 魔物に有効である魔術を一切扱えないという欠点を、ヒューゴはその補助端末を使ってカバーしている。例えば普段相手をするような魔物が、彼の近くに出現した時に知らせるアラーム用の魔術などだ。壁役を担当するため、少しでも早く対応したいという思いからである。

 ニカと別れ、とぼとぼと家路についていたヒューゴは、その彼にしか聞こえないようになっているけたたましい鐘の音に、びくりと耳と尻尾を震わせた。音の大きさはそう大きなものではないのだが、耳障りな、というかゾワゾワするような音にしてあるので顔が引きつる。


「――って、嘘だろ、これ」


 その音の『種類』に、ヒューゴは絶句した。

 魔物にはいくつか系統があり、音もそれぞれで使い分けてある。中には目当てだという場合でもない限りは回避推奨、なんていう魔物もいるからだ。だが今ヒューゴの耳に飛び込んで反響しているのは、どこにでもいるような魔物の出現を知らせる類のものではない。

 異界獣、という――魔物と一緒になどできない、バケモノの出現を知らせるものだった。

 嘘だろとヒューゴがつぶやくのも当然で、異界獣が人間界に姿を見せることは、そう多いものではない。ましてや音は複数がひっきりなしに重なって響いていて、出現数が一つ二つではないことは明らかだ。あまりにうるさくて、思わず魔術を手動で停止させたほどである。


 ――まずい、な。


 ヒューゴはわんわんと未だ消えない音の名残りに、顔をしかめたまま思う。

 数が尋常じゃない、これだけの音を、ヒューゴは聞いたことがない。

 異界獣が出現する第六階層でも、せいぜい出てきても一回につき片手で足りるほどだ。耳が痛くなるほどの音が重なりあうなんて、考えたこともない。聞いたことすらない。

 いや、数なんて問題ではなかった。

 グレイがいるし、自分もいる。

 だけど――ここは魔界じゃない、ティエラ王国だ。

 ここは異界獣の存在なんて知りもしないし、説得する時間もないだろう。連中はどちらかというと死者の領域に入るものだという。そしてここには、死者が好む生者が腐るほどいる。

 放っておけばあの数だ、尋常じゃない被害がでるだろう。

 そこまで考え、ヒューゴはひとまず走りだした。

 あの魔術で感知できるということは、おそらく姿を晒している個体が多い。

 だから、見つけ次第片っ端から切り捨てていくしかない。

 走りだしてすぐに、小型の異界獣を見つけた。獣、とあるように基本的には二足歩行するクマか何かのようなずんぐりとした身体で、鋭く大きな爪をむき出しにしたまま徘徊している。

 きぃん、という澄んだ音と共に、ヒューゴの手の中に愛用の武器が出現した。

 身を低くして走り続け、背後から接近する。

 足音に振り返るより先に、その胴体に右の剣を深く突き刺し、それを軸にするようにくるりと回りながら左の剣で腕と頭を切り落とす。相手の胴体に剣を残したまま、一度離れ、剣を構えなおして体当りするように突っ込んでいった。向こう側に切っ先が出るほど突き刺したら。

「お……っ、りゃあ!」

 さっきから胴体に残していた方を掴んで、異界獣を足で思いっきり蹴り飛ばした。ずる、と肉々しい感覚が手に伝わり、前のめりに異界獣が崩れ落ちていく。地面に倒れ伏すより早くその姿は黒い、灰に水か何かを混ぜて練り上げたような物体へと変わっていった。

 獣らしい姿はそのままに、それを構成する物質だけが変じる。

 はぁ、はぁ、と乱れた息を整えつつ、ヒューゴは次の相手を目で探した。

 この異界獣は、しかし系統的には『ザコ』の範疇である。大きさも二メートルかそこら、小型の部類だ。過去には、一軒家を超えるほどの個体が確認されているという。

 だが大きいから強いとも、小さいから弱いとも言えない。そういう傾向はあるが、中にはあの女皇帝とサシでやりあったヒトと変わらぬ程度の大きさしかなかった異界獣もいたという。

 目の前で『死んだ』その異界獣がザコだと、そう言えるのは単に倒せたからだ。

 強いものは剣だけでは倒せない。接近することすらままならないから。だからヒューゴ一人で倒せたからザコ、そういう判断を少なくとも彼はしている。できれば大きいだけのザコばかりだったらと願ったが、それでもこの国にとってはこの上なく恐ろしい脅威だが。


 ――俺が倒せるだけマシだ、その方がいい。


 ぐ、と剣を握り直したヒューゴは走る。

 気になったのは、あの異界獣がどこかを目指しているような雰囲気だったことだ。彼らには獣程度の意思すらなく、ひたすら捕食本能のみで生きていると言うのが定説だ。そんな彼らに秩序など存在しないから、複数で出現しても連携などあったものじゃない。

 だから、何かの意思を感じさせる行動などとらないはずなのだ。

 しかしあの異界獣は、周囲を無視してどこかに向かおうとしているように見えた。そんな話は聞いたことがないし見たこともない、だけど二体目、三体目、と片付けていくうちに疑念は確信に変わっていく。腰を抜かした格好の獲物を、無視していく四体目の背を見た時に。

「何か、エサ……がある、のか?」

 そんなもの聞いたこともないが、まるでそんな感じだと思った。

 エサに誘われ、ふらふらと向かっているような。

 だから、異界獣は市民にはほとんど見向きもしない、とか。


 ――まさかな。


 浮かんだ考えを、しかしヒューゴはすぐに否定した。そんなものがあるなんて聞いたこともないからだ。もしかしたら、という可能性を探るよりも先に、現状を何とかするべきだろう。

 連絡手段として使っている魔術を起動するも、特に誰の反応もない。グレイはどこかふらっと出かけているとしても、オウギやリーゼ、ルミはここを離れていないはずだ。それとも屋敷の近くには出現していない、ということなのだろうか。しかし確認しに行く余裕はない。

『異界獣出現、気づいたらすぐに来てくれ。おそらく場所は――』

 誰か、どうか早く気づいてほしい。

 願いながら文字を打ち込んだ。



   ■  □  ■



 異界獣が目指しているのは、町の中央にある広場。

 公園のように整備されたそこは、ヒューゴの記憶にあるそれとは違っていた。

 多数の異界獣が蠢き合う、第六階層を超える悪夢が広がっていた。人々は逃げ惑い、しかし彼らを守る剣は一つとして存在しない。騎士はおろか、巡回をしているはずの兵士すら。

「何やってるんだよ、父さん達は……っ」

 手近な一体を切り捨てながら、ヒューゴは広場へ躍り出る。

 中にはかなりの大型がいて、そのおぞましいビジュアルに思わず息を呑んだ。

 小型の部類は、獣など見知った形を模していることが多い。だが大型は、まるで子供が描いた悪夢をそのまま引っ張りだしたかのように、そう、一言で言うならグロテスクなのだ。血管のようなものが盛り上がり肌の上を走り、無数の足で地面をうぞりと這いまわる。

 翼のように広がっているのは、ありていにいうなら触手というやつだ。当然飾りではなく動いているし、それを突き刺すようにして攻撃を加えてくる立派な『武器』でもある。

 大型は、それゆえに個人での討伐が難しかった。

 特に剣を使うとなると、基本的には接近戦を強いられる。だが近づけないのだ、あの触手などの攻撃を避けながら間合いに入る、というのはかなり難しいために。だからこそそういう場合はあえて囮に徹し、壁として守りを貫き、魔術師がその間に一撃必殺の魔術を放つ。

 しかし、この場にいるのはヒューゴだけだから。

「く……っ」

 歯を食いしばって、肌を浅く引き裂かれながらも突っ込んでいくしかなかった。

 一体、二体、と始末していく中、見覚えがある姿に気づく。何かを抱きかかえた、騎士の衣服を身につけた女性だ。長い金色の髪と、遠目にもわかる整った容姿、意思の強い青の瞳。


 ――ニカ、さん?


 建物に寄り添うように、何かを抱えたニカがいた。何か、というのはどうも子供で、だから小型の異界獣に迫られても、戦うことはおろか動くこともできないらしい。

 ヒューゴはとっさに走りだした。

 視界の中央、彼女らに迫る異界獣が腕を振り上げる。

 振り下ろされかけたそれを、地を蹴って飛び上がった勢いで切り落とす。異界獣を蹴りつけて体制を変え、ニカに背を向ける形で地面に降りた。剣を握りなおして構え、こちらを的とみなしたらしい様子の相手を睨みつける。背後、驚いたような声が、小さく聞こえた気がした。

 だから、大丈夫だと、こいつは自分が片付けると。

 振り返らずに伝え――ヒューゴは、未だ動く異界獣に向かって走る。右で攻撃を受け止めながら左で切りつけ、あるいは両方で防いでから足で蹴り飛ばし、できた間合いを切り裂く。

 頬をかすめるつめ先を軽く避け、まずは一体。すぐに次へと斬りかかる。

 息はだいぶ上がって、苦しいけれど引くことは考えなかった。

「あなたが」

 ひぅ、と息を吸い、ヒューゴの後ろにいるニカが。

 あなたが、あなたが、と震える声で。

 どうしてと泣きながら。


「あなたがこの街の誰のために、戦う義務があるというの……っ」


 異界獣の注目をあつめるように立ちまわるヒューゴに、叫んだ。

 聞きながら、また一体、ヒューゴの剣が異界獣を切り伏せて屑に変える。その動きに乱れはなかった。一つ倒せばさらに次、と異界獣を片っ端から黙らせていく。

 それをニカが泣きながら見ていた。それ以外が怯えた目でじっと見ていた。

「誰も感謝なんかしない! その死を悼みもしない! あなたが誰かを守って死んでも、誰も感謝なんてしてもくれない! むしろ喜ぶのに、なのにどうしてあなたは戦うの……っ!」

「ニカさん」

「あなたは、あなただけは! この街を見殺しにしたって許される、そうでしょう! だってあなたは騎士じゃないっ、義務もない! この街は、人は、今もあなたを傷つけるばかりだったじゃないの……っ。見なさい、誰も加勢しようとしないわ、あなたは死んでもいいから!」

 ヒューゴなら死んでもいい、それは確かにあるだろう。

 だって英雄じゃないから、英雄を死なせた――殺したやつだから。だから、せいぜい騎士団が来るまでいい囮か何かになってくれたら、その程度の価値は見出してやらないこともない。

 誰もがそう思っている、とはニカも言わないだろう。

 だけど、住民の多くがそう思っていることはヒューゴだって知っている。それだけ彼を守って死んでいった英雄は偉大で、今の自分はその損失を補填しうるだけの力がないのだ。

「ニカさん、俺は守られたんだよ」

「ヒューゴくん……」

「俺は守られて生き延びた。その恩は一生返し続ける。開き直りで結構、居直り上等。だけど俺はずっとこう思ってきたんだ。あの人に守られたことを『誇り』に思って、生きようって」

 伯父のところに身を寄せて、剣の手ほどきを受けて気づいたことがある。フィルに教わっていた剣術の基礎の基礎、それはベルフェーム家の独特なそれの基礎でもあった。ティエラ王国ではあまり使われない片刃の剣。ヒューゴの周辺では、フィルしか使っていなかったと思う。

 だから教えられたものもそうだった、と人は言うかもしれない。

 だけどヒューゴはこう思った。だからそのまま教えたのだろうと。


 ――あの人はきっと、俺をギルさんのところに連れて行くつもりだったんだ。


 城での仕事が忙しかっただろうに、小さな子供のために時間を作っていろいろ教えて、話をして、そこまでしてくれたのは期待されていたからだ。少なくとも、ヒューゴはそう思った。

 自分の師の元へ、つれていけると思われる程度にはきっと。

 だからヒューゴは振り返って、見えた泣き顔に笑みを向けた。

 すぐにまた前を見て、呼吸を落ち着かせ、じりじりと目前に迫るひときわ大きい身体を持っている異界獣を、下からじろりと睨み上げた。ずるり、べちゃり、と肉の音が響く。

「俺は、俺はね……ニカさん」

 身体を低く、身構え。


「あの人に、胸を張って誇れる『俺』になるんだ!」


 きっとここで逃げ出しても、あの人はすべてを知っていたら怒らないだろうけど。笑って前を向いて生きていけと、そんなことを言い残したあの人を裏切ることをするくらいなら。

 生きている意味が無いのだと、あの日からずっと思っていた。

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