演者は嘲りを語る
かつん、かつん、と大勢の前に歩み出たグレイは、笑みを深める。
そのたびに、ふわり、ふわり、と外套が揺れる。
いきなり現れた少年に対し、向けられたのは負の感情だった。
グレイ・ジェストリアは『ダメ息子』として、その名を広く知られている。かつては天才少年だ、神童だ、と褒め称えられたが、母親の死をきっかけにすっかり落ちぶれていた。
そう、昔は最高の嫡男だった。
見目も良く、人当たりもよくて、これ以上などありえない息子だった。
勉強も与えるだけ覚え、それ以上を把握して。騎士だった母から剣術も教わり、宰相などが無理だとしても騎士として、いずれは国を支える存在となるだろうと誰もが期待していた。
キオも、そんな息子を愛していた。
魔界に留学させたのも、その見聞を広げてやるためだ。
最高の後継者、そう他者が息子を褒める時の、何とも言えない喜びは忘れられない。
もう、得ることもないからこそ、余計に。
いつの間にか落ちぶれて、まだ十六だというのに遊び三昧。めったに屋敷に帰らず、縁談も片っ端から壊すばかり。弟のエリルが立派に育ったこともあって、キオに取って長男は捨ててしまいたいくらいなのに捨てることができない、どうしようもない『荷物』となっていた。
そんな息子が、この状況で城に来るなど邪魔としか言い様がない。
王に一礼するとツカツカと歩み寄り、その行く手を塞ぐようにして相対した。
「何をしに来た」
「いや? ちょっと話をしにきたんだけど」
「魔界とはどういうことだ」
「お使い――かな? まぁ、その前にこれはヴェルアード公国からの『おみやげ』で、言っておくけど僕が渡された時にはもうこうなっていたというか、まぁ、そういうわけだからね」
いいながら、グレイが父親に投げてよこしたのはそれほど大きくはない袋だ。口を紐で絞るように封じるもので、キオの手の中に落ちたそれの中身は、かしゃり、と金属音を鳴らす。
中身はどうやら金属らしい、それも細かい。
音を聞いてコインかと思ったが、それをここで投げてよこす理由はない。それに大きさが違うし何よりカクカクしているからそもそも違う、となれば選択肢は消えてしまった。
しゅる、と紐を引いて解き、キオがその中身を覗きこんで。
「――」
絶句した。
何も言えない、言えるわけがない。
中身は、時計だった。ただし修復不可能なレベルまで壊され、バラされた。その時計にキオは見覚えがあった。見覚えがなければおかしい代物だった。それが破壊されている、という事実だけが頭の中に入ってこない。わかっているのに、見えているのに理解が追いつかない。
「それが彼女らの答えだよ。それで、これが――僕が魔界で預かったもの」
言いながらグレイは、懐からそれを取り出す。
じゃら、と鎖に繋がれ揺れているのは金の懐中時計。
蓋にこの国の紋章――それも王族にのみ許された形のものが、刻まれた。改めてキオは袋の中身を確認する。グレイが取り出したものと同じ懐中時計、その残骸は二つ分あった。
つまり、国王自身が所有するものを除けば、グレイが持っているものが最後。
彼女らという言葉に、無事に残っている時計の持ち主を知る。
「……何という、ことを」
「今まで大事に持っていてもらっただけ、ありがたいと思えば?」
クスクス、と楽しげに笑う息子を睨みつける。
そんなグレイは、笑みの形を少し変えた。
さっと外套のズレを直し、その視線を真っ直ぐに父親へと向ける。
「さて、ここからが僕の話。僕は街に出ているバケモノの正体を知っている。倒し方も知っているし倒せる人材も知っている。あれは普通の魔物じゃない、向こうがその気にならなきゃ普通の人は見ることすらままならない。そして、普通の武器では殺すことも叶わないものだ」
だけど、とグレイは続け。
「僕はあれをどうにかできる手段を知っている。しかし全員が魔界所属だ。この国に来ることはできないし戦うなんてできやしない。ほら、どうでもいい国同士の外交問題とか軋轢とかがあるからね、女皇帝はそちらから要請がない限りは無視する方針だ。君子は危ういものには近づいたりしないものだから。――さて、父さん、いやティエラ王国宰相キオに問う。その状態であなたは何を選ぶのか。誰に頭を垂れて助力を求めて、国を救うのか。答えてもらおう」
その問いに、キオは言葉を飲んだ。
グレイの言葉はつまり魔界に願えということだ。
得体のしれない魔物、いやバケモノを何とかしてほしいと嘆願しろと。だが、そんなことできるわけがない。この国には騎士団がいる。英雄が作り上げた屈強な剣と盾があるのだ。
国民、市民への示しがつかない。
それに普通の武器では太刀打ちできない、という話を信じることは難しい。姿が見えないという報告は受けているが、所詮はそこまでだからだ。自分より性格的に策謀を巡らせることに向いていた亡き妻と、同じ顔で笑っている元天才少年は、それゆえに侮れないとキオは思う。
――彼女は、こういう時にはったりをきめる。
父より母を慕った息子は、時々亡き面影を強くした。
どこまで信用すればいいのか、まずはそこを探ろうと言葉を連ねかけた時。
「あ、タイムリミットは……ヒューゴが生きている間だけだから」
あっさりと、グレイは砂時計をひっくり返して残り時間を指定してきたのだ。
それもよくわからない条件で。
「どういうことだ、なぜ彼の名前が出てくる」
「街の中心部で、ヒューゴが一人で戦っているからさ。彼が生きている限りは、僕はこの問い掛けへの返答を受け付ける。だけど僕は、従兄弟を見殺しにする国は大嫌いだから、彼が死んだらそこでジエンド。あとで泣いて喚いて哀願懇願してきても、僕は何もしないからね」
「お前は……っ」
「あのね、この国は魔界に『お願いする側』だって忘れちゃいけないよ?」
へりくだってお願いしますって言わなきゃ、と笑う声。
ワザとか、と言いたくなるほどに、その見下した態度は露骨だった。腕を組んで、青い瞳を細めながらグレイは笑みを絶やさない。その目はまっすぐに、キオを見ていた。
「あ、ちなみにヒューゴにもしものことがあれば、これを砕いて構わないと言われておりますのでご了承の程を。もしも、は命の有無にかぎらず、ヒューゴが例えば生活には不自由しないけど、二度と剣を握って戦うことが叶わない身体になったりした場合も含みますから」
その上で答えをどうぞ、とグレイ。
キオはその言葉に、思わず舌打ちしかけた。
――つまり、タイムリミットなどあってないようなものじゃないか。
今すぐに答えを出せというのだ。一人の少年の命と一緒に、この国の未来を賭けて。
この親子の会話を、すぐに理解できたのはおそらく数名だけだろう。
事情を知っているシルフやシュリツ、ラウディス。そして当事者でもある国王。
彼ら共通の疑問は、誰にも口外されていないはずの秘密を一人の少年が握り、今は亡きその母を思わせる意味深で酷薄な笑みを浮かべ、淡々とこの国を脅迫しているという事実。
そう、これは脅迫だ。
わかるものにはわかる、明白な強迫行為。
彼の手元には『毒』がある。
この国に緩慢なる死を与えられる、遅効性であり即効性でもある毒。
その毒の名は――この国で、唯一の『王子』の存在だった。だがその存在を知るのは、本当に一握りの人間だけである。国王夫妻は子宝に恵まれず、次期国王は親類から選ぶというのがこの国の未来だった。少なくとも国民は誰もがそう思っている、思っていた。
しかし本当は王子がいるのだ。
国王の甥にあたる王子が、実は一人だけ存在している。
かつて、この国には一人の偉大な騎士がいた。
名はギルディア・ベルフェーム。
ラウディスの双子の兄で、英雄と呼ばれるフィル・ベリルエットの師でもある。
当時騎士団長を務めていた彼は、一人の少女と身分違いの恋をした。現国王の妹姫と、深い関係になってしまったのだ。当然誰も認めるわけがない。他国の王族との縁談も纏まりかけていたのだ、いくら偉大な騎士とは言え、彼らの関係は国にとっては醜聞でしかなかった。
そう、だから『捨てた』のだ。
若い王女が人知れず育み、産み落とした騎士の子を捨てた。
何も知らない騎士が遠征へと出かけている間に、すべて片付けようとしたのである。正確に言うなら貴族の一部が口裏を合わせ、子供を死産ということにしてしまったわけなのだが。
それに烈火のごとく怒った姫の護衛騎士が、若かりし頃のクリス、つまりキオの妻でグレイの母に当たる女性だった。彼女は当時は幼なじみでしかなかったキオを脅しあげ、子供を一端教会で保護してもらい、事情を知ったギルディアを支援。彼はすでに当時から王であり、幼なじみとも言える国王の横っ面に辞表を叩きつけ、そのまま子供らを連れて出国した。
そして、それから数週間後。長く意識が朦朧としてた王女も、回復すると同時に彼らの手を借りて国を出て行ってしまったのである。当然、兄に何を言い残すこともしないまま。
生まれたのは双子の姉弟。今となってはこの国の王族にいる唯一の王女――となるはずだった母親に似た面立ちの女児と、今は一応王子を名乗れないこともない父そっくりな男児。
数年経ってから、ヴェルアード公国で暮らしていたギルディア一家の元に、彼の弟の名義で届けられたのが例の時計である。王族である証の、金の懐中時計。それは暗に『王族として戻ってきてほしい』という、都合のいい願いが含まれたものだったのだが、彼らはずっと保管するだけで使おうともせず連絡もとらなかった。つい先日、グレイが話をするまでは。
「――で、話をしてたらカリンさんブチ切れちゃって、でっかい金槌持ちだしたかと思うとそれでばっかーんって。いやぁ、さすが母さんに唆されたとはいえ一人で城を飛び出すアグレッシブな人だなって改めて思いましたね、えぇ。あ、ちなみにシェリルさんは普通に竜族な旦那さんに踏みつぶしてもらってました。あぁ、はい結婚済みですよ、ルイさんは婚約中ですが」
さらりと明かされる向こうの事情と、すでに終わった事象。
あいつ変わってないのな、と呆れ気味につぶやくのはシュリツだ。無言のラウディスは、もしかするといろいろ知っていたのかもしれない。だがそれを尋ねることに意味はないだろう。
もはや秘密は秘密ではなくなった。
知っていて黙っていたことを、責めている場合ではない。
一部以外の人間はきょろきょろと視線を彷徨わせ、まったく落ち着かない様子だった。
それも仕方がない話で、国王の妹姫といえば聖女のように扱われている、文字通りの深窓の令嬢――いや姫君だったからだ。子供を産んだなどという話どころか、生まれつき病弱で今も遠方で静養している。そういうことになっていたのだ、少なくとも知らない者の間では。
それを洗いざらいぶちまけながら、グレイは静かに微笑む。
場に生まれた動揺を織り込んで、彼は言葉を作り上げてキオに差し向けた。その手の中でころりころりと揺らされ転がっている金の懐中時計に、時々意味深な視線を落としながら。
同じように視線を向ける、キオの後方にいる国王をちらりと見る。
「それで、これがルイさんの、えぇ、この国の『王子』の懐中時計です。さっきも言った通り何かあれば壊して構わないとのことです。そもそも壊してないだけありがたいと思い、感涙を流して這いつくばって感謝するべきですけどね? 死んだことにして寒空の路地裏に捨てられたというのに、一応、この国の、どの程度価値があるのかわからないそこの椅子に、座ってやらないこともないと言ってくださっているんですよ? お優しいじゃないですか。自分と姉を殺そうとした国のために、面倒な荷物を背負ってやらないこともないなんて。僕なら――」
くす、とグレイはそこで目を細め。
「腐り落ちるさまを、嘲笑って見殺しにするのに」
■ □ ■
そして――謁見の間は沈黙に包まれた。
ひそひそ、と小さくささやかれる声すらない。誰もが絶句し、そして宰相を見た。この場で決定権を与えられたのは宰相だ。国王は、固く口を結んだまま目を伏せている。
キオは、目を閉じてひたすら考えていた。
彼が息子を天界の王族と結ばせようとしていたのは、国王に子がいないからだ。天界との縁を掴むために、ジェストリア家以外も天界の貴族との縁談を結んでいる。
そんな現状で魔界に助けを求めるなど、うかつには行えない。これまでの積み重ねがすべて消える可能性すら考えられる。どこまでグレイが告げた情報が正しいか不明な現状、その提案を受け入れることはとても難しいことだ。いや、本来なら一考するまでもないだろう。
何より、ヒューゴは『英雄殺し』と呼ばれ、どうにもならないほど立場が悪い。騎士団長を務めている父がいるからこそ、国外に逃げる程度で騒動はとりあえずだが収まったのだ。
ここで再び彼を表舞台に出すことは、何より彼のためにはならない。
――なぜ、それがわからない?
傷つくのはヒューゴ自身だ。それがわからないほど、グレイは愚かだったのか。無論、だからといって彼を見殺しにしようとは思わない、助けられるなら当然助けたい。
血の繋がりこそ無いがヒューゴは甥のようなもので、つまりは自分の家族なのだから。
「彼を助けたいなら、お前個人が助けに行けばいい。見殺しにしたくないだろう」
「そうだね、僕だってヒューゴを死なせたくなんかないよ。彼を非難する誰かが何人死のうとどうでもいいとは思うけど。だからお伺いを立てに来たんだよ? ……あとさぁ」
かつん、とグレイが前に出る。
……じゃらりという、鎖の重い音が聞こえたような気がした。
「見殺しにするのは僕じゃない。それは――父さんだ」
あなたが彼を見殺しにし、それに『王子』が怒る。金時計は破壊されて、そしてこの国はたった一人の後継者を永遠に失うことになる。ただそれだけのことだとグレイは笑った。選択肢はすべてキオに丸投げ、というつもりなのだ。当然、選択した結果生まれるすべてを含めて。
親に向けるものとはいえない、酷薄で嘲るような笑みをグレイは浮かべる。
「僕は親友でもある彼の力を誰よりも信じているけれど、彼の勝利が『絶対』ではないともわかっている。さぁ、そろそろ『答え』を出していただこうかな。ご機嫌取りは早めにね?」
肩を揺らして笑うグレイに、キオは静かに息を呑んだ。
バカ息子、道楽息子、どうしようもない嫡男。この二年間、周囲から散々悪しざまに言われてきたはずの自分の息子は今、この国を殺す即効性の毒を目の前で揺らし、脅迫をしている。
その毒を奪うだけのことを彼も、そして誰も言えなかった。




