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昼行灯のはかりごと

 レイガ・ルクヴァーンシュという自称メイドの少女は、当然ながらごく普通の少女でもなければメイドなどでもなく、そして正しい意味での名家の令嬢というわけでもない。

 彼女本来の目的は、このジェストリア家の監視だ。

 正確には、ジェストリア家に近寄る天界の勢力を監視して、そのことを『依頼主』に報告するのが仕事内容である。レイガ・ルクヴァーンシュという名前も実は偽名であるし、ルクヴァーンシュ家当主の養女になっているのは事実だが、ほとんど書類上のもので実態はない。

 グレイ・ジェストリアの容姿は、天界の王族ジルエール家を象徴するものだ。さらにその一族特有の力も有している。そんな存在を、後継者すらまともに決まらないジルエール家が見逃すわけがないだろう、というのがルクヴァーンシュ家当主、並びに女皇帝の意見だった。

『この優良物件の存在を見逃すほど、クルト殿はまだ耄碌なさっていないはずだぞ?』

 などと言って笑う女皇帝は、各種書類を用意してレイガを令嬢に仕立てあげた。

 そして、レイガに屋敷に来るよういった張本人は。


「リン・ウォーテンの様子はどうだい?」


 ふらり、とレイガの前に現れて笑う、かの一族に狙われているグレイ本人であった。

 屋敷にめったに戻れないから、という理由でここに行くよう言われて二年ほど。頼まれるままに内情はグレイに、それこそ逐一知らせてきた。彼が戻ってきたのは、気まぐれだったとか誰かに呼び戻されたわけではない。レイガが入れた報告から、戻るべきと判断しただけだ。


 ――そろそろ天界が例の孫娘を差し向けてくる。


 そうレイガに伝えられて、ならばとタイミングを合わせただけである。

 もちろん従兄弟に頼まれれば、海賊退治の手伝いはしただろう。だが国に帰ってくることはなかった。街に入らず港にとどまり、すぐにでも別の国に旅立っていたに違いない。

 そんな彼が父親からの、何とも言えない視線をのらりくらりとかわしながら、それでも滞在を続けている理由はひとつ。先日から屋敷に身を寄せているリン・ウォーテンの動向である。

 兄と弟、どちらが彼女と結婚するのか、結論はまだ出ていない。

 エリルは兄の思うままに、というスタンスで、父親の宰相は当事者に任せてある。つまりすべての決定権を握っているのはグレイで、しかし彼は乗り気ではないことをアピール中だ。

 そして、残るもう一人の当事者たるリン・ウォーテンは、グレイを狙っている。

 だがグレイは別の用事で忙しく、彼女のことはほったらかしだった。

 いや、最初からどうでもいい相手なので、用事がなくとも放置していただろうが。何をどう言われようと、グレイが彼女を受け入れることはおろか、手を出すなどということはない。

 弟に彼女を押し付け、数日。

 その余波を、エリル以外で盛大に受けたのがレイガだった。

 彼女は自称ではあるがメイド、つまり召使という立場を使って、彼女に近づきたくないグレイや異性であるがゆえにエリルでも知り得ないことを探るように言われていたのだが――。


「つーかてめー、無茶ぶりもたいがいにしやがれっすよ。リン・ウォーテンの周囲は、彼女の子飼いで固められてて、わたしどころか先輩方さえ近寄りもできねーって状態っす。とても動向を探るなんてのは無理っすよ。近寄れもしねーのに、話なんてできるわきゃねーっすよ!」


 むがぁ、と頭を抱え叫ぶレイガと、腕を組んで薄ら笑いを浮かべるグレイ。

 ジェストリア邸の五階の書庫、めったに人が来ないこの場所は、こうして人には言えない相談をしあうのに便利な場所である。見つかればアウトだが、そんなドジはどちらもしない。

「うーん、そこをなんとかするのがメイドさんじゃないの?」

「わたしは自称っす!」

「じゃあさ、ルクヴァーンシュ家の名を振りかざせばいいじゃない」

「カーラーやカイネルなら使いようもあるっすが、ルクヴァーンシュだけじゃ……」

 難しいっすよ、とレイガが気まずげに言う。

 ルクヴァーンシュは名家といえど、あくまでも魔界、魔族限定での話だ。天界で名が通っているのはカーラー、すなわち女皇帝を筆頭とした王族であり、その分家たるカイネル家だ。

 どちらも目立つ金色の瞳を持ち、だがルクヴァーンシュ家は紫の瞳だ。魔族によくある典型的な見た目であるし、最近は政治的な権力から遠ざかっているため、天界での知名度はない。

 まぁ、それはともかくとして、とレイガは腕を組む。

「お前はこれからどうするつもりっすか。ウォーテン家とティエラの騎士団を相手に、二つの問題抱え込んでお前はアホっすか。身内大事なのはわかるですが、限度があると思うっすよ」

「……手厳しいなぁ」

「笑ってる場合じゃねーっすよ、オイコラ」

 片方は油断ならぬリアルタイムの問題で、もう片方は根が深い。片手間に片付けられる問題でないことは、当事者ではないレイガでもわかる。いや、だからこそわかる、というべきか。

 前者の方はいい。不本意に終わっても、ウォーテン家と縁戚関係になれるのは、損益になるようなものでもない。リン・ウォーテンの性格も、融通はきかなさそうだが悪くはないし。

 だが後者は、あの少年にまつわる因縁は。

 レイガが以前聞いた限りの計画では。

「……例の計画、失敗したらマジで命取りっすよ」

「ま、そうだねぇ……だからちょろい方を手早く片付けようかな、と思うんだけど」

 手伝ってくれるかな、という言葉と音に。

 レイガは、ぞわりとした悪寒のようなものを感じた。



   ■  □  ■



 深夜。

 ジェストリア邸の五階、書庫に二つの影がある。

 一人は黒髪を長く伸ばした少女で、もう一人は美しい銀色の髪の少年だ。

 銀髪の少年――グレイは、細かく指先であるものを操作している。

 その指先が触れているのは黒い、半透明の板。魔術を補助する道具が、本来なら魔術陣を表示するためのものだ。今は全世界共通で使われている言語を構成する文字が表示されている。

 さらにグレイの視線の先には、手元のものより一回り大きい同じ板がある。

 こちらには謎の数式が、流れるように次々と表示されていて。

「――これでよし、と」

 そんな彼の言葉と共に、すべての画面がぷつりと消える。グレイは傍らに置いてあったシンプルな銀色の指輪を手に取ると、それを壁に寄りかかっていた黒髪の少女に投げた。

「これで『例の魔術』を使えるようになったよ。ついでにちょっと中身の方も調整もしておいたから。少しはメンテナンスとかした方がいいんじゃない? 自分に合うようにさ」

「うっせーっすよ、よけーなお世話っす」

 彼女――レイガ・ルクヴァーンシュは、その指輪を太めのチェーンに通して、手首にくるくるっと巻きつけて固定した。ちょうど手の甲の側、その真ん中の位置に来るように。

 調整した、という言葉通りに、彼のとっておきの魔術以外にも手が加えられていた。

 この魔術を補助するための端末は、基本的に自分でカスタマイズするものであるのだが、レイガの場合はほとんどアクセサリーとして使っていて、何もいじっていないのが現状だった。

 しかしさっと見ただけでも、いろいろと改良が施されているのがわかる。

 どこで調べたのか、知ったのか定かではないが、レイガが基本的には使わない類の魔術陣を削除したり、補助を必要としないものも削除したり、逆に頻繁に使う類の魔術陣を追加など。

 削除関係はともかくとして、追加されているものは地味に嬉しい。

 あとで魔界洞にでも潜ってみて、魔物相手に試運転でもしようと思う。

 そして、涼しげな顔のまま短い時間でいろいろやってくれた、グレイを見た。


「……今更っすけど、お前って本当に『天才』なんすね」

「照れるなぁ……褒めても何も出ないよ?」


 笑いながら、グレイは再び黒い画面を二つ表示した。それを見て、同じものをレイガも表示させる。そして画面には触れないように、彼女は見よう見まねで指先を軽く動かしてみた。

 こんなもんっすかね、と小さく呟きながらの行動を、グレイは静かに見ている。

 だが、すぐに彼も自分の手元にあるそれを、指先で軽く叩き。

「さて、始めようか――」

 みんないるかな、という文字を、目の前に浮かべた。

 これは同じ書庫内にいるグレイ・ジェストリアの言葉だ。音を伴わない声。魔術を用いて文字だけをやりとりするもの、とレイガは聞かされているのだが、これは尋常ではない代物だ。

 そんな簡単に用意できるものじゃない。

 いつから使っているのかは定かではないが、おそらくここ一年か二年の間だろう。


 ――散々落ちぶれただの何だの言われてるっすが、泥で汚れても宝石は宝石。ましてや自ら泥沼に沈んで自分を汚したなら、それを綺麗にすることなんて簡単。そういうことっすか。


 この屋敷の子供世代は、基本的にこのグレイ・ジェストリアを中心に構成されているとレイガは思った。すべての中心には彼がいる。そう言っても、けっして過言にはならないだろう。

 現に、この集まりもそうだ。

 レイガは詳しいところを聞いてはいない、ただひとつ頼まれただけだ。彼女にしか行えないことではあるが、それゆえに少々どころではなく危険なことを。だがこの二年、彼女とて無駄に窓ふきなどをしてきたわけではない。彼がそんな賭けに出るに値するものを目にしている。

『先に言っておくけど、僕はもう限界なんだよね』

 あぁ、だからか、とレイガは流れていく文字を見ながら思う。

 要約すれば他愛もない。

 堪忍袋の緒が切れた――ただ、それだけのことなのだ。

『それはいいが、先に一つ尋ねたい――ヒューゴはいないのか?』

『あ、僕も気になる。なんでヒューゴいないの?』

『ってゆーか、ヒューゴが当事者じゃん。さすがにそれをハブるのはちょっと問題あるんじゃない? いざ実行した時に、あの子がどう動くかわからないわよ。あたしちょっと心配』

 次々と名前と文字が浮かぶ。

 まるですぐそこにいて、直に会話をするかのような早さだ。

 かたかた、とグレイが文字を入力する音。

 にやり、とした底意地の悪そうな笑みを浮かべた彼は、素早く彼らに言葉を返す。

『当事者だからというのもあるけど、多分このプラン使うと怒るし。それに』

『それに?』

『ヒューゴには、何も知らないままこの演目の舞台に立ってもらいたい。そうでないとリアリティがでないからね。何も知らないまま、教えないまま、彼には巻き込まれてもらう。僕はヒューゴを信頼しているからね、彼なら予想外の状況でもうまく立ちまわってくれるはずだよ』

 その言葉に、レイガはわずかに驚く。

 自分が聞いている『プラン』によるなら、そこまで言い切ることは難しい。

 文字通り、彼が思い描いているものは賭けだ。それもハイリスクハイリターン、どう転がるかは実際に仕掛けてみないことには、完全には読みきれないようなもの。

 そしてここに一つ、重なりあうように用意された、画面の向こうにいるだろう彼らには知らされず、ここにいるグレイとレイガだけが知っているもう一つの『はかりごと』があった。

 彼はそのことを、彼らに隠し続けるつもりらしい。


 ――意識して、嘘を吐くため、か。


 文字だけではいかようにも繕えると、そういうことなのだろう。

『予定通り行けば大団円だけど……グレイ、これってどこまで勝算はあるの?』

 リーゼがそんな書き込みをする。

 当然の疑問だ。

 今回の計画――グレイが言うところの『毒』だが、彼が隠しているものでない方も、なかなかに難しい。成功すればリーゼの言うように大団円になるが、失敗すると目も当てられない。

 建前として用意されたプラン。

 それはヒューゴ自身というよりも、ヒューゴの親類を鍵としたものだ。この国がどうやっても無視できない大問題を解決しうる存在が、実は彼の親類にいるというところを利用する。

 この国はその親類である青年を、失うことが絶対にできない。

 そして彼は、幼いヒューゴが受けた仕打ちを、とても怒っているのだ。

 グレイはそこを利用して、ひとまずフィメリ家を筆頭とした特に声がうるさい貴族を黙らせようという。彼の望みはヒューゴが騎士になることだ、できればそこまでねじ込みたい。

 しかしリーゼが危惧するように、このプランには穴もある。

 確かに件の青年はこの国にとって掛け替えがないが、しかしその代わりがいないということもない立ち位置にある。そして最大の懸念材料が、青年の存在を知るのが一部の人間に限られているというところにあった。その一部が、宰相であり騎士団長などであるのだが。


 ――突っぱねられたら終わりっすよね。


 だが、グレイはただ笑い、指先で言葉を綴るのみ。

『この国の宰相殿が、その周囲が、そして国王が度を超えたバカでなければ。あの人がそこまで愚かでなかったなら、最後に笑うのは僕だろう。大丈夫、僕の手の中には毒がある。この国を一瞬で殺せるだけの即効性の毒がね。それを無視できるほど、父はバカにはなれないよ』

 言い切る言葉には、自信が滲んでいるのがわかる。

 父への信頼と、それを裏切ってくれるなという祈りのようなもの。仲が悪そうに見えてなんだかんだで信頼はしているのだなと、レイガはそんなことをふと思う。……日常会話をしているようには見えない現状から考えると、若干信じがたくもあって不安になるのだが。

 何より、建前の裏に用意した本音を思うと、すぐそこの少年が恐ろしくなる。

 鍵となる青年は、ヒューゴのことをとても大事にしていた。

 彼が受けた仕打ちに憤り、この国のことを軽く憎んですらいる。


 ――もし、ヒューゴがこの国のせいで、死ぬ、なんてことになれば。


 青年はきっと心から、心の底からこの国を憎悪するだろう。そうなれば彼は、この国を永遠に見捨てる。誰がどうなろうと、我関せずで背を向ける。その先にあるのは何事もない平穏な未来かもしれないし、彼がいれば避けられたに違いない無益な争いの末路かもしれない。

 グレイは、父親につきつけるつもりだった。

 後者の可能性を否定できない現状で、宰相として、どちらの未来を望むのかと。

『明日にでも例のアレを全員に渡すつもりだよ。決行日は……そうだな、とりあえず数日中を予定してる。ウォーテン家が余計なちょっかい入れてくる前に、手早く始末するつもり。いつでも行けるように、準備と覚悟はしておいてほしい。やる時には合図は出すから、それと』

『あ、あのさー、グレイ……その、僕は?』

 グレイの発言の途中、割り込んでくる書き込み。

 ふむ、と声に出してグレイは少し考え。

『エリィはお留守番』

『ぶーぶー! 僕ばっかり留守番やーだー!』

『エリィうるさい。……僕なんて面倒を押し付けられてるんだぞ』

『ウェルトは役得じゃん』

『どこが。面倒くさいことこの上ないんだけど』

 ため息が聞こえそうな文面に、グレイが微かに笑うのが見えた。彼には、その発言者がどんな表情をしているのか、手に取るようにわかるのだろう。付き合いの長さというやつだ。

 当然ながら、まだまだ関係が『浅い』レイガには、何もわからないのだが。

『あぁ、そうそう、何かあったらレイガにでも連絡を入れておいて。彼女の端末にもこの魔術を仕込んでおいたから、普通に呼び出せばいいと思う。ちゃんとメンバーにも登録したし』

 ね、と声に出して問いかけられる。

 レイガはぽちぽちと画面を叩き、文字を入力してみた。

『はいはーい、魅惑のメイドなレイガさんですよー』

『あ、レイガだ。やっほー、ルミ様よー』

『グレイ、なぜ彼女をメンバーに引き入れた?』

『レイガと連絡を取り合えるのはいいと思うよ。確実にこの屋敷にいるって確定しているのは彼女だけだし、街の中を動き回れるからいろいろ情報も仕入れてくれる……でしょ?』

『なんか、さも当然のように追加発注で何か頼まれた気がするっすよ』

『まぁ、それはともかくとして』

『流された!』

 ぎろっとグレイを睨むも、レイガの視線など気にもしない横顔があるだけだ。

 まぁとにかく、とグレイの言葉が一度そこで切られて。

『くれぐれもヒューゴには気付かれないように。これは主役に迫真の演技を披露してもらうことによって、最高潮に効果を発揮してくれる毒なんだ。それ以外には盛大に踊ってもらうさ』

『踊る……だけで、すめばいいが』

『そこら辺は大人に丸投げ? やっぱりグレイっていい性格してるよね、うん』

『やだなぁ、僕は彼らに取引を申し入れるだけだよ?』

『この国を壊す可能性を秘めた取引か、穏やかじゃないな』

『そればっかりは仕方ない。だって僕らは無力な子供なんだ、この国ではね?』

 その言葉に、レイガは彼の決意を感じた。

 無力な子供――たしかにそうだ。魔界で職を得ている、ということになっている三人はともかくとして、グレイは現在無職のダメ息子だ。表向きは何もしていない、という状態である。

 その立場であるかぎり、彼は、彼がしたいことをできない。

 何かを成すには、それに釣り合うだけの『力』というものが求められる。

 武力、財力、権力、あるいはそれ以外の何かを対価にする。

 だがこの国で今からのし上がるのは面倒で、できなくはないが時間がかかりすぎた。だからもっと手っ取り早く、この国の中枢へと牙と剣を突き刺せるような力を彼は求めていたのだ。

 そうして手に入れたものは、だがそのままでは無力。

 もう一工夫、もう一手間、最後の一手をたたきつけなければならなかった。

『だから使えるものは使わないと。その結果は、省みる必要はない』

 かた、と彼はそこで手を一度止めて。


「そう――毒の効果でこの国が近い将来壊れようと、僕はどうでもいいんだよ」


 救うべきを救い、守るべきを守れるなら、別にそれで構わない。

 薄く笑い、声に出したグレイの姿を。

 レイガは今更ながら、恐ろしいものだと感じていた。

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