お忍びデート
女性を伴い、近くの小さな公園に移動してすぐ、いかにも女性用といった白いかばんを手にグレイとエリルが戻ってきた。さほど疲れた様子もなく、あっさりと片付けたのがわかる。
「ひったくりなら兵士に押し付けておきましたよ、お姉さん」
「ありがとうございます、助かりました」
「これくらい、お礼を言われるほどじゃないですよ。念の為に中身の確認を」
はい、とかばんをグレイが差し出す。それを受け取った女性はそれを抱きかかえ、深々と頭を下げた。それから中身を確かめて、ほっとした笑みを浮かべる。どうやら盗られたりしたものはないらしい。とはいえ彼女からものを盗ったことは事実で、然るべき手続きは必要だ。
まぁ、そこは彼女がするべきこと、ヒューゴらには関係ないところだが。
「私はニカ、ニカ・フィメリ・ア・レウラディーネと申します」
かばんを抱え直した女性は、軽く頭を下げて名乗った。
レウラディーネ、という家名は確かベルフェームと同じ騎士家系が持っていたはずだ。
多くの騎士家系が貴族の位を持たない中、数少ない『貴族』である。とはいえ、ヒューゴも詳しいことはよく知らない。ベルフェームとの縁はなく、当然彼女の存在も知らなかった。
ただ、ならばどうしてこんな時間に、こんなところを歩いていたのだろう。
ヒューゴが普段暮らしているヴェルアード公国では、貴族というものは基本的に馬車で移動するものだ。馬車に乗って目的地まで運ばれ、自分の足で街中を歩くようなことは無い。
歩くとしても一人で、こんな街もまどろむ早朝に、というのはありえなかった。
彼女は騎士家系の令嬢だが、見たところ武器を持っていない。
ヒューゴからすると、不用心と言わざるをえない顛末だ。グレイやエリル、ヒューゴがいなければひったくりだけでは済まなかったかもしれない。あの犯人は逃げ出したからいい、だけどそうしなかったら。ひったくり目当てではなかったら、そう、例えば誘拐とか。
貴族でも何でもないヒューゴすら、いろいろと思いつくくらいだ。
彼女がそれに気付かなかったというのは、何とも今後が心配になってしまう。
「ふぅん、フィメリ家の縁者なんだ」
「……えぇ、母が」
グレイは何か知っているのか、意味深な笑みを浮かべて言葉をかわしている。どうもフィメリというのも貴族らしいが、やはりヒューゴには聞いた記憶のない名だ。そして流れる何とも言えない険悪――とまではいかないながらも、淀むようなどことなく嫌な空気。
どうにもグレイは、ヒューゴと同じ所が気になったらしい。
つまり、騎士の家柄に生まれたにも関わらず、不用心すぎるところなどが。
しかし今ここでつっこむほどでもなく、穏やかな空気が消えていくのは恐ろしい。用心深いのはいいのだが、できれば時と場合を考えてくれよ、とヒューゴは思い、二人の間に入った。
「え、あっと、俺はヒューゴで、こっちがグレイとエリル、です」
ぱぱぱ、と指さししながら一方的、そして勝手に自己紹介を済ませる。その時、グレイの方を見て一瞬睨みつけておいた。お前もう何も言うな、黙ってろ、という声をたっぷり込めて。
はいはい、と言いたそうに苦笑して、小さく肩をすくめるグレイ。
ひとまずあの口は、当分は黙ってくれるらしい。
ヒューゴとしては正直、ただそれだけでよかったのだが。
「あぁ、僕はそろそろ帰るよ。これからちょっと野暮用があってね」
「は?」
「エリルもリン・ウォーテンのお相手しなきゃいけないんじゃない?」
「……あぁ、そうだね。そうだった」
「あの、おい、ちょっと待ちやがれそこの双子」
なぜか意味深なアイコンタクトを交わしながら、似ていない色違いの双子はそそくさとこの場を去る理由を口にする。グレイの野暮用ってなんだ、お前は肩身が狭い程度にはヒマを持て余してるだろうが、リン・ウォーテンのお相手ってまだ起きてこないだろう、というヒューゴの声はなかなか音にもならないし、なっていても無視されただろうことは明らかだ。
じゃあね、と声を揃えて手を上げて、二人はさっさと去っていく。
――こういう時だけそっくりになりやがって!
行き場のない怒りに震え、一緒に去ってしまいたいとヒューゴは振り返る。自分もちょっと用事があるんで、といえばいいだけのこと。なのにどこか縋るような青い瞳を見た瞬間、ここから離れることができなくなった。あの不安そうな視線を、振り切るだけの今生はなかった。
お人好しと言いたければ言えばいい、それは褒め言葉だと開き直る。
「えと、まぁ、お姉さんにこれといってケガがなくて――」
「お礼を、させていただけませんでしょうか」
「よかっ……え?」
「助けていただいたのは事実ですし、どうかお礼を」
と、ニカはそっとヒューゴの手を握ってきた。白いレースの手袋の肌触りは柔らかく、ほんのりとしたぬくもりが伝わる。接近と同時に感じたのは、甘すぎないけれど甘い香りだった。
どうしよう、とヒューゴは焦る。
手を取られてしまって、近い距離で目を覗きこまれて。
これで、彼女の誘いを断れる男がいるなら、ぜひともその極意を知りたい。普段よく一緒にいることの多い父方の従姉妹がちょうどニカぐらいの年齢で、手を握るどころか抱きまくらよろしくぎゅうぎゅうされるから、比較的女性との接触には慣れている、つもりだった。
だけど、あれは所詮『身内』だから平然としていられたのだと知った。
赤の他人ともなると、手を握られるだけでもうだめだ。
「えっと、じゃあ、よろしくお願いします……ニカ、さん」
青い瞳を見ていられなくなって、そのまま俯いてしまう。
きっとみっともないくらい、顔が赤くなっていただろうなと、思った。
■ □ ■
母は、父と結婚して彼女を授かったことを喜びながら眠った。
そして父は、レウラディーネという家を託して散った。
この世に残された一人娘は、棘と毒に満ちた後ろ盾を背負わされたまま、それでも剣を手に立ち上がって走り続ける運命の中にいた。それがニカと名付けられた、彼女の『道』である。
だが、その道は幼いころに描いた、父のような騎士となる、という形や色とはだいぶ違ったものへと変じていた。例えば上司となったのはフィメリ家の従兄弟で、主な仕事は何かと周囲に突っかかる彼のフォローがメインとなっているし、そうでなくとも雑用を押し付けられる。
別に、手柄を譲るのは気にならない。
人が救われるなら、もうそれでいいと思っているから。
――どうせ、なんて言葉は使いたくないけれど、今のレウラディーネ家は、フィメリ家の庇護なしには生きていけない。抗うことなんて、逆らうことなんてできるわけがない。
どうやっても従うしかないのだ。
父が存命ならともかく、今はニカしかいない。当時十歳にもならない子供に、何ができたというのだろうか。できることなどない、言われるままに『かわいそうな一人娘』を演じ、そんな少女を手厚く庇護する『慈悲深く心優しい名家』の彩りとして生きていくしか道など無い。
それがフィメリ家だ。
誰も知らない、だけど誰もが知っている名家の裏側。
母はそんな家を嫌ってレウラディーネ家に嫁ぎ、両家を繋いだ。呪いのような力関係の源となって今も娘を苦しめている。恨みに思いたくない、思いたくないけれど、だけど。
時々――。
「あの、ニカさん?」
「……え?」
傍らから聞き慣れない声がした。
視線を下に向けると、不安そうに見上げてくる瞳がある。
「大丈夫ですか? その、調子が悪いなら、俺は」
「いえ、大丈夫です。ちょっと仕事が気になってしまって……」
言いながら、それとなく視線を巡回中の兵士に向ける。ニカが騎士であることを、騎士を父や兄に持っている彼は気づいているだろう。レウラディーネ家を知っているなら、きっと。
そっか、とどこか安堵したような声。
視線を戻せば、ほっとした表情を浮かべている彼が見える。
彼は、ヒューゴ・ベルフェームという少年は、どうせそうだろうとは思っていたが、ごく普通の少年でしかなかった。むしろ好ましいといえる。英雄フィルを取り込みたかったあのフィメリ家に目をつけられたばっかりに、謂れ無き罪で長く故郷に戻れなかった非業の子だ。
それは八つ当たりで、それは無茶ぶりで、それはおぞましい行為。
だけど彼は、負けずにこうしてここに立っている。
周囲から向けられる、好意的ではない視線に気づいているのに立っている。それはニカがそばにいるから、そしていつまでも俯いてはいられない、という強さが彼の中にあるから。
――羨ましい。
自分の方がずっと年上なのに、どうしてこんなに弱いのだろう。
悪いこととわかっていて、いけないことなのを自覚して、なのに逆らえずに黙って従っていることしかできない。この程度の強さしか持てないのに、どうして今も騎士でいられるのか。
隣でまっすぐ立っている、彼のほうがよほど騎士らしい。
自分も、エヴィルも、きっと騎士ではない。
そんな資格は、どちらも最初からなかったのだろうと思ってしまった。
「……あれ?」
と、不意にヒューゴが足を止める。その視線の先にはおしゃれな服屋。若者向けの商品を広く取り扱っている、この大通りでもかなり規模の大きい店舗だ。店内にも十代から二十代の若者が多く、その中でも特に目立っている少女――の、隣に立つ少年を彼は見ている。
後ろ姿しか見えないが、あれは確かエリル・ジェストリアだ。
隣の少女には、見覚えがないが誰だろう。
ヒューゴはしばらく黙ってエリルを見ていたが、やはり気になったのかニカを置いて店内に入っていく。慌てて追いかけたニカの、高く響く靴音に、エリルがゆっくり振り返った。
「二人ともどうしたの?」
「お前こそ、ここで何してんだ?」
「リンに服買うんだよ。あのドレスで歩かれても大変だし、目立つし」
汚すと目立つし、とエリルが小さな声で呟きながら少女の方を見る。確かにあの白い衣服は汚すととても目立ちそうだ。というより、汚すことにものすごくためらいを感じてしまう。
だがそれより何より、少女の格好はとても目立つものだった。
「あぁ、確かに。天界のとこっちので、デザインとか違うもんなぁ……」
用事ってそれか、と言うヒューゴに頷き返すエリル。
少し離れたところで熱心に服を見ている少女は、確かにティエラ王国では目立つドレスを身につけている。それはユリの花のように裾に向かって広がる、ゆったりとしたものだ。
ニカはあまり好まないが、ここティエラ王国ではコルセットなどで腰を締めあげ、細く見せるタイプのドレスが一般的だ。最近は天界との交流が増えてきたので、少女が身につけているようなワンピースタイプのものも増えているように思うが、まだまだ少数派である。
庶民も腰をきゅっと締めるタイプの服を着ることが多いので、裾をふわりゆらりとさせながら歩く彼女の姿はそれなりに目を引いていた。更に飾りとして細い紐を結わえ、それを長くなびかせているために、動きがとても特徴的である。リン、と呼ばれている少女自身の、同性でも息を呑んでしまうほどの美しさもあって、多くの人がちらりちらりと視線を送っていた。
「……まぁ、頑張れ」
「何を」
「あの、エリル様、こちらはどうでしょうか」
頑張れって言うの、と言いたかったらしいエリルに、声をかけてくるリン。その手には彼女ほどの年齢の少女らが着ているような、動きやすそうな服がある。
その顔つきは緊張した様子で、振り返ったエリルは一瞬動きを止めた。
「あー、えっと、そういうわけだからまたあとでね」
手早く会話を片付け、エリルはリンのいる方へ向かう。
「どうせなら色はこっちの方が……」
と、他の服を幾つか道中で手に取りながら。あまり乗り気ではなさそうだったくせに、なんだかんだ言いつつあれこれ服を渡して本人よりも唸っている。ニカはエリルやリンのどちらとも接点が薄いのだが、お似合いの二人なのではないだろうかと思った。
「じゃあ、俺達もそろそろ行こうか」
「そうですね、おじゃましてもなんですし」
ひそひそ、と小声で言葉をかわし、服屋を後にする。
祖母は彼を探り、陥れろ、潰してしまえと言っていたけれど、元から正しいこととは思わなかったことが、この短い時間の間に恐ろしいほどの大罪のように思えてきた。やはり彼に落ち度など何もないのだし、仮にあったとしても子供ではどうにもならないことに違いないのに。
そんなことを、彼らは聞きたくもないことはわかっていた。
実情なんてどうでもいい、彼を叩き潰した、という結果さえあれば祖母は満足する。非業だろうと無実だろうと、そんなことはどうでもいいのだ。それは『些細な誤差』でしかない。
わかっているのにニカは、逆らえなかった。
レウラディーネ家に何かがあれば、父亡き後も仕えてくれた人々が路頭に迷う。彼らから受けた恩を仇で返したくないし、逆らえば騎士として生きていくことも困難になるだろう。
そのために、何の業もない少年をさらに傷つけなければいけない。
考えるだけで、ニカの心が微かに痛む。
ちくちくと、じくじくと、きしむような痛みがある。
きっと『ほんの少し』だと、思いたかった。そうでも思わなければ、無理矢理に自分を正当化しなければ、侵しつつあるこの『罪』を叫んで、贖罪を求めて泣きわめきそうだったから。




