フィメリ家のプライド
ニカは、ティエラ王国騎士団に所属する女性騎士である。
フルネームはニカ・フィメリ・ア・レウラディーネ。フィメリはティエラ王国でも指折りの名門貴族であり、レウラディーネはベルフェームに並ぶ騎士家系であり、貴族でもある。
一人娘である彼女は、生まれながらに騎士となることが定められていた。それは騎士家系に生まれた子の宿命でもあったし、跡取りである彼女に良き伴侶を探してもらうための作戦だ。
そこら辺の、どうしようもない貴族ではダメなのだ。
騎士家系には強さが必要である。ニカの夫がレウラディーネ家を継ぐために、それ相応の力を持っていなければ困るのだ。少なくとも彼女よりは強くあらねば当主とはなれない。
とはいえ、ニカには結婚の意志はあまりない。
それより仲間と共に、人々の役に立っている今が大事だった。
結婚してしまえば騎士を続けることはできず、それからは家に縛られてしまう。だったら結婚などできなくてもいいと、わりと本気で思っていた。親類から養子を貰えばいいのだと。
そんな彼女の上司は、城に帰ってくるなり宰相を尋ねた。
確か港に海賊の対処に行っていたはずで、もしや何かあったのかと他の騎士が不安げにヒソヒソと言葉をかわす。ニカも尋ねられたのだが、何も知らないと答えるしかなかった。
少しして戻ってきた上司は、真っ青になったまま足早に去っていく。
もしや何か失態を報告に、とニカは思ったのだが、それなら宰相のキオ・ジェストリアではなく騎士団長のラウディス・ベルフェームにするべきである。それか副団長のシュリツ・ラディエールか、宮廷魔術師を束ねているシルフ・クラインあたりが妥当なところだろう。
だがまっすぐ宰相の執務室に向かったなら、目的は宰相だと思っていい。
「エヴィル」
慌てて追いかけると、エヴィル・フィメリ――母の実家の次男坊である彼は、見たこともないほどこわばった表情のまま振り返った。そして、壁を殴りつけて。
「聞いてないぞ、聞いてないっ、宰相の息子があんな、あんな奴だったなんて!」
「宰相の息子様というと、確かお二人いらっしゃった……」
「あぁ、そうだ、その二人いる息子の上の方だ! 父上が『拾われ子』だの『貰われ子』だの言っていたが、確かにあれは『他所の家の子』だろうさ。何一つ似ていない。だからわかるわけがないだろう! 宰相の息子が英雄殺しの後ろにつくなんて、私は知らなかった!」
そんなことを叫んで、エヴィルは再び去っていった。
ニカはぽかんとしたまま取り残されて、しかし再び追いかけることはしなかった。ああなった従兄弟はどうしようもないことを、ニカはすでに身にしみてよくわかっている。
一人残されたニカは、彼が口にした『宰相の上の息子』のことを思う。
宰相キオの長男の名は、確かグレイ・ジェストリア。
何度か参加させられた夜会で、ニカは彼の姿を遠目に一度見かけたことがある。
つややかな銀色の髪に、穏やかそうな物腰。多くの女性を侍らせて、というより囲まれていたのだが、彼は誰も選ばず一人でいたように思う。なぜ記憶に残っているかというと、ニカもまた一人でいることに徹していたからだ。自分と同じだったので、なんとなく覚えていた。
あと単純に、見た目が目立っていたと言うのもある。家族の誰とも似つかない容姿は、それ以外と比較しても特異なものだった。まるで星のように美しい人だと、ニカはその時思った。
貴族至上主義の思想があるのエヴィルのことだ、きっといつものように高圧的な態度で接したのだろう。そしてしっぺ返しを食らった、といったところか。詳しいところを知ることはニカにはないだろうが、従兄弟の性格を思えばだいたい何があったのか察しがつく。
そもそも彼は、騎士には向いていないのだ。貴族という属性に執着するエヴィルは、貴族以外が半分以上であるこの世界では衝突が絶えない性格をしている。
なのに彼には、騎士にならざるを得ない不幸があった。
それは単純にエヴィルは、次男だからだ。
代々の爵位は兄が継いでしまうがあまりの領地はない。だからどうしても別の道に行く必要があって、比較的向いていたのが剣の道だったというだけのことである。ある意味でニカと同じく必要に迫られての騎士就任ではあるが、その内情はだいぶ違ったものだった。
それもまた、エヴィルを追い詰めているのだろうとは、思うが。
それにしても。
「英雄殺し……か」
エヴィルを筆頭に、一部の騎士と兵士が目の敵にしている存在。ニカは詳しいところをよく知らないし、正直なところ興味もないが、英雄フィルが命をかけて守った子供のことである。
彼らはその子供のせいで英雄が死んだと言い、復讐すら画策していると聞く。
あのエヴィルもその一人で、だがニカはこう思うのだ。彼は英雄の前に『騎士』であったのだから、人を、幼い子供を災から守るという行為は当然のことではないかと。
しかし、そんな当たり前の言葉は、きっと彼らには届かないのだ。
■ □ ■
その夜、フィメリ家では親類を集めた小規模なパーティが開かれていた。
本家次期当主の愛娘が五歳になった祝いの席で、親類にあたるニカも珍しくドレスを着せられ参加させられていた。立場としてはレウラディーネ家の代表、ということになっている。
面倒だと心の中でため息を繰り返しこぼしつつ、上っ面ばかりの社交辞令で親類と話をしていると、フィメリ家の――つまり母方の祖母から突然呼び出されたのだが。
「それは、どういうことでしょうか。そこまでする意図がわかりません」
安楽椅子に座ったまま応対する老いた祖母を、ニカは睨むように見つめた。
レウラディーネ家が格下で騎士家系ということもあり、この祖母はニカのことを存在しないにも等しい程度に扱ってきた。我が娘であるというのにニカの母を悪し様に罵り、今でも母の寿命を縮めたのはこの老婆と数年前に死んだ夫に違いないと思っている。
そんな、いい感情の一つもない祖母に呼び出され、言われた内容は耳を疑う言葉。
開口一番に祖母は言った。
――英雄殺しに近づいてこい、と。
その裏側にある意思を、わからないほどニカは愚かにはなれない。だからこそ、相手を睨むように見ているのだ。庶民風にいうならば『ドン引き』という感じだろう。
そんなニカの様子など気にもとめず、祖母は言う。
「決まっているでしょう? これはフィメリ家のためなのです」
曰く、エヴィルが宰相の不興を買ったかもしれない、とのことだ。それは昼間のことだろうかとニカは回想し、だがそれがどうしたと思う。ニカが知る限り宰相キオは確かに厳しいところのある人だが、仕事で失敗したわけでもないならさほど気にも留めないはずだ。
何も一因である『英雄殺し』に、どうこうするほどではないだろうが。
「このままではかわいいエヴィルが蔑ろにされ、軽んじられたままではないですか。我がフィメリの矜持にかけても、あの子はもっと上に行かねばならないのです!」
ばん、と手にしていた羽毛のついた扇子で椅子を叩き、老婆が叫ぶ。
どうやらエヴィルの兄、ニカにとってはもう一人の従兄弟に当たる彼を、これから政治の中枢へと送っていくつもりらしい。そしてエヴィルは騎士団長の座を狙わせる、という計画。
無謀だ、とニカは思う。
別に騎士団長は世襲ではないが、次の候補は現団長ラウディスの長男カイだ。部下からの信頼の厚い彼ならば、あと十年もすれば立派にその職が務まるだけの心を持つと言われている。
カイを筆頭に数人の候補が噂に上がっているが、そこにエヴィルの名はない。
実力もそう特筆すべきところがなく、悪い意味で貴族体質なので周囲との衝突も珍しくないエヴィルでは、おそらく騎士団長にはなれないだろう。なったところで、瓦解するだけだ。
だが本家の孫を溺愛する、この耄碌した老婆にはそれがわからないらしい。
ニカは呆れながら、どうにかならないかと言葉を連ねる。
「その『英雄殺し』をどうにかしたら、何が変わるというのです。エヴィルが、その、軽んじられているという立場は、その少年の有無にはまったく関係ないことではありませんか?」
「それはお前が判断することではありませんよ、ニカ。お前はただ『英雄殺し』を調べ、情報をエヴィルに渡せばいいのです。いいえ、それでは生ぬるいですね、潰しておしまいなさい」
「近づいて調べて潰すって……つまり、陥れろってことじゃないの」
「ニカ!」
「彼が、その『英雄殺し』と呼ばれる少年というのが、そうまでされるに値するかどうかは私が決めます。お祖母様はお黙りください。……お話はそれだけですか? では帰ります」
ごきげんよう、と恭しく礼をして、ニカはつかつかと祖母の前から立ち去った。
そのまま使用人が使うスペースを通りぬけ、親類の誰にも会わぬようにさっさとレウラディーネの屋敷に帰る。予定より早い帰宅に飛び出してきた侍女らに休むように伝え、自室に戻って適当にドレスを脱ぎ散らかすと、簡素な寝巻きを着込んでからベッドに倒れ込んだ。
「……ちっぽけなプライド」
だからフィメリは嫌いだ。
偉大な騎士の一人である父を貶し、母を罵った連中だから。
そして、何より自分自身もニカは大嫌いだった。なぜなら母を罵る道具に、ニカそのものが使われたから。この細腕がもっと太ければ、ドレスなどと縁のない性別で生まれていれば。
男として生まれていれば、まだ、母を蝕む毒は減ったに違いないのだ。
なのに――ニカはきっと祖母の命に背くことはできないだろう。
例の話は、気乗りなんてしないどころじゃない。
むしろ彼女がもっとも嫌うものだ。
だけどレウラディーネ家は、ギリギリ貴族を名のれる程度のちっぽけな家。一方フィメリは数代遡るだけで何人も王族縁者を配偶者にしたものがいる、この国でも名の知れた名門貴族。
対抗しうるのは、長く宰相など高官を務めてきたあのジェストリア家ぐらいだ。
あの大貴族にはどうやっても敵わない、黙って従うしか無い。
そんな自分の無力さがニカはひたすら情けなくて、朝までずっと泣いていた。




