ある魔術師の後悔
私は、現在猛烈に後悔していた。
これでも、私は客観的に見てなかなかに輝かしい経歴を積み重ねて来た。時折やっかみのような意見も頂くので、これは間違いないだろう。
生まれこそ小さな農村だが、生まれ持った魔力の量に恐れ慄いた両親により師の元に捨てられ、そのお陰で私は才能を活かす事が出来た。魔力を研鑽し、学術に対し勤勉に取り組み、いつしか私は最年少の宮廷魔術師として名を馳せるようになっていた。
幼き日より忌み子など何だのと人に嫌われやすい私を重用して下さった陛下には、感謝してもしきれるものではない恩義がある。
そんな私が、陛下を裏切った。今もこの心は陛下への忠誠で満ちてはいるが、否。最早私には陛下への忠誠を抱く資格さえないのだろう。
「ごっ、ごめんなさい!わた、わたくし、エドガーに美味しいものを食べて欲しくてっ。だ、だって、お嫁さんは、旦那様のお食事を、ご用意して差し上げるものって、聞いたから」
目の前にいるのは、敬愛すべき陛下の愛娘で在らせられるクローディア王女殿下。私は、彼女を攫って森の奥の隠れ家まで連れて来たのだ。世間ではおそらく、『駆け落ち』と表現される行為である。
しかし、どうやればこうなるのだ、と疑問に思うほど盛大にキッチンを散らかして見せた彼女を見て、己の行動を省みずにはいられない。
私は、衝動のままに彼女を連れ去ってしまった事に対し、大いに後悔をしていた。
そもそも、私とクローディア様は恋人といった間柄ではない。
私が、師について王宮に出入りを始めたのは十歳の頃。彼女に初めて出会ったのは、そのときの事だった。
小さな泣き声に引き寄せられてみれば、五つほど年下の女の子が泣いているのを見付けた。大人には通れない、狭い壁と壁の間を潜り抜けた奥の、ひっそりとそびえる木の根元に、彼女はしがみ付いて泣いていた。
私は、泣いている子どもを見捨てるほど非情ではなかった。声こそ上げないものの、原形を留めぬほどに盛大に泣いていた彼女は、とても王女様とは思えず、下町の子どもと変わりなかった。加えて、王女様とは気付いていなかったので、見えぬ所に控える彼女の護衛達の気配を感じ、護衛では無く狙われているのでは、と懸念したのだ。
そのドレスの意匠から高貴な身分のご令嬢である事は察する事が出来たので、速やかな保護に努めた。
それが、私とクローディア様の初めの出逢いである。
次の出逢いは、私が正式に宮廷魔術師として認められた十二のときの事だ。またもや、泣いている彼女を発見したのだ。その頃には、私の身体も大きくなり、その狭い壁の向こうには辿りつけなかったのだが、隙間から腕を伸ばし、何も無い所から花を出せば、驚いたクローディア様はその衝撃で泣きやんで下さったのだ。そのときの『手品?』と首を傾げた彼女に思わず吹き出してしまった事は、未だによく覚えている。
それから、クローディア様は時折私の元へ現われるようになり、お花を見せて、とそれだけをねだるようになっていった。
私とクローディア様は秘密の恋人でもなければ、特別長い時間を共に過ごした訳でもない。何しろ昨晩まで、私は彼女に『花を出してくれる人』程度の認識しかされていないと思っていたのだ。
クローディア様は寂しがり屋の泣き虫であったが、一人きりで過ごす事が多かった。特に、涙を流すときは普段からは想像も付かない行動力を発揮し、誰もいない所で泣いていた。
私は、その場に居合わせる事がとても多かった。何故なら、普段から誰もいない場所を探し歩き、見付けたその場を憩いの場としていたからだった。
私は、誰かを慰められるほど器用な男ではない。私にできる事と言えば、膨大な魔力を使い、難解な魔術を操る事だけ。敬愛すべき陛下の愛娘たる王女殿下が涙を流す姿を前にしても、気の利いた言葉も行動も出来やしない。結果、何とかしなければ、と溺れるほどの花を出して師にお説教を喰らったのも、今や良い思い出である。
そんな私だが、それでもクローディア様は私を特別嫌うような事も無かった。不意に視線を感じて振り返れば目が合う事も多くあり、その度に彼女は恥ずかしげな笑顔を見せてくれていた。人に嫌われる事の多かった私は、とても驚いたものである。
あれは、私が十七、彼女が十二歳のときの事だった。
それは私にとって特別忌避する事ではなかった。むしろ、人に避けられる事が常である私には、数少ない人との貴重な触れあいである。どのようなやっかみも、嫌悪も、嫉みも喜んで耳を傾ける所存だった。他人はそう感じるのだな、ととても良い勉強になったものだ。
それなのに、突如その場に現われたクローディア様は、見た事も無い毅然とした顔で、私とその者達の間に立ち、声を張ったのだ。
『彼はお父様の信を得た、宮廷魔術師。その彼を否定する事は、お父様をも否定する事と分かった上での発言ですか?』
そう言って、その者達を追い払った彼女は、振り返った瞬間に滂沱の涙を流していた。ようやく泣き方にもしおらしさが加わって来たと思っていたのに、そのときのクローディア様はまた、子どもの頃のように顔をくしゃくしゃに歪めて泣いていた。
『どうして、泣かれるのですか?クローディア様』
『エドガーが、泣かないからです』
『どうして私が泣くのですか?私は、何も哀しくなどないのです』
すると、彼女は更に激しく泣き始めてしまった。何しろ、私が口にしたのは彼女が懸念するような強がりでも何でもなく、心からの本心であった為に動揺を禁じ得ない。
けれど、クローディア様が私を想ってその涙を流して下さっているのは流石に分かった。その事自体はとても有難く、何だかこそばゆいような嬉しさはあったので、私は花冠を作り、彼女の頭に乗せたのだった。
日々は穏やかに過ぎていった。
年々、陛下の命により遠征に出掛ける事が多くなり、何ヶ月も城を留守にする事も増えたが、その度にクローディア様は恐れ多くもこの魔術師を、涙を堪えて見送り、そして今度こそ涙を溢れさせながら帰還した私を出迎えて下さるのだ。
陛下の覚えもめでたく、国一番の魔術師の誉れに預かっているとはいえ、一介の魔術師には過ぎた出迎えだとも思ったが、それだけ彼女がお優しいお姫様なのだ、と思えば疑問はそれだけで霧散した。
そして、運命の日。
私は二十一に、彼女は十六歳となっていた。
泣き虫は結局直らず仕舞いだったが、彼女は春を迎えた蕾のように恥ずかしげに花開き、いつしか美しい姫君へと成長していた。それこそ、さすがにいつまでも花出し係を続ける訳にはいかないな、と思うほどには。
心優しいクローディア様は、未だに目が合えば恥ずかしげに微笑んで下さるが、それさえも一介の魔術師には過ぎた待遇である。
そんな中、事件は起こったのだ。それは、昨晩の事である。
私は、宮廷お抱えの魔術師であるので、城内に一室を賜り、そこで寝起きする事を陛下により許されていた。そこに、何と彼女が現われたのだ。
私はまず、あらぬ噂が立つ事を恐れた。気付けば、私も彼女も『年頃』と言われる年齢である。敬愛すべき陛下の愛娘がこのような魔術師とあらぬ噂を立てられてしまえば、陛下へのご恩を仇で返すようなものだ。
次いで、どうにも常らしからぬ様子のクローディア様の身を案じた。何しろ、幼い頃から見て来た、忠誠を誓うべき王女様である。思い詰めたご様子に気付かぬほど、私は間抜けでは無い。
クローディア様は、震える声で口を開いた。
『わたくし、結婚するのです。お父様が、わたくしの結婚相手を探していると』
『それはおめでとうございます』
私は臣下として、主の吉報に心からの祝福を送った。すると、クローディア様は強い瞳で私を睨んだのだ。普段、頼りない瞳で縋るように見つめて来る彼女に慣れ切っていた私が、正直ほんの少しだけ傷付いたのは秘密である。
『そんな、そんな言葉、嬉しくなんてないのです。私は、嫌です。私は、エドガーとずっとずっと、一緒にいたいのです』
そもそも、身分違い故にそれほど共に過ごした時間は長くないのだが、真剣な様子のクローディア様にそう返すのは流石に気が咎めた。
『エドガーは、ご迷惑ですか?わたくしのこんな言葉は』
『とんでもございません。光栄にございます』
陛下、ひいては王家に忠誠を誓った身で、迷惑などとは思おうはずも無かったので、私は素早くその場に膝を付き、この忠誠を示した。しかし、それでもクローディア様は今にも泣き出してしまいそうな頼りないお顔で首を横に振る。
『違うの、そうではないのです。わたくしが望むのは…』
彼女は恐れるように顔を上げ、怯えるように瞳を揺らし、それでも私を真っ直ぐに見上げた。今にも逃げ出してしまいそうなほど、弱々しく。
そして、その言葉はとうとう溢れる涙と共に零れた。
『………好き……』
風が吹けば攫われてしまいそうな、儚い声だった。あまりに縁の無い言葉に、私が言葉の意味を理解するよりも早く、彼女は畳みかけるように繰り返した。
『好き。好き、好き、好き。貴方が、エドガーが、もうどうにかなってしまいそうなくらい、好きで、好きで、好きで。溢れて来るの。もう、どうしようもないの』
クローディア様は泣きながらその手を私に伸ばす。縋りつくように私の服を掴み、勇気を振り絞るように私の胸に飛び込んで、痛々しいくらいの愛を告げる。
『エドガーが、好きよ』
私の中に、生まれたのは衝動。
私はその晩、一介の魔術師の身でありながら、恐れ多くも王女殿下を誘拐してしまったのである。
これが、冒頭までのお話。
いやはや、衝動って恐ろしい。若さって偉大。
そんな事を考えながら現状を確認する。ここは、誰にも秘密で作った私の憩いの場である。国外れの森の奥に建て、近付く者には自然と森の出口までお送りする魔術をかけてある。これでも国一番の魔術師という誉れに預かる私が掛けた魔術なので、滅多な事では見付かる事もないだろう。
そして、その家屋内には物が散乱していた。その中心に立つのはクローディア様である。彼女はその厚意によりキッチンに立とうとしたようだが、城から出た事も無い王女様のする事である。当然、料理など出来ようはずも無かった。
「とりあえずお立ち下さい。お顔まで汚れてしまっているではありませんか」
「ごめんなさい、エドガー。怒っていますか?」
「怒ってなどおりませんよ。心配しているのです」
そう答えれば、彼女は頬を赤らめて俯く。クローディア様のお気持ちを知れば、さすがの私も照れてしまったのだと分かる。今の発言のどこでそのような感情になったのかは、甚だ疑問ではあるが。
彼女の頬の汚れを拭いながら、私は内心で冷や汗をダラダラと流していた。どうして、王女様を誘拐などしてしまったのだ。彼女と私は、恋人でも何でもなかったはずであるのに。
しかし、我に返ったからと言って、今更クローディア様を城に送り届けても私の罪が無くなる訳ではない。何よりそれは、彼女が許さないだろう。私は、幼い頃から見て来た彼女の泣き顔に、滅法弱いのである。
「あ、あのっ、エドガーはお料理が出来るのでしょうか?」
「大したものは作れませんが、師に習いましたので、それなりには」
「だ、だったら!」
私は頭をフル回転させて現状を把握していた。更にはそれを打破する方法も模索する。不敬とは知りつつも、クローディア様のお話には話半分で答えていた。
理想としては、クローディア様に納得していただいた上で城にお戻り頂き、私は普段通り宮廷魔術師の仕事に戻る。そんな都合の良い事が叶う訳はないと理解しながらも、夢想する。
そんな状態だったので、彼女に必要以上の気を配っていなかった私は、袖を引かれて大いに驚いた。
「わたくしにお料理を教えて下さいな。エドガーにわたくしのお料理を食べて、美味しい、と言って頂きたいのです。大好きな貴方の、喜ぶ顔が見たいのです」
驚きから心が無防備になっていた私は、頬を赤らめて幸せそうな笑顔を見せるクローディア様を、思わず理性を働かせる暇もなく抱きしめていた。
…………何をやっているんだか。
どうしてだか私は、なかなか素直に彼女を城に帰す事が出来そうになかった。
読んでいただき、ありがとうございます。
好き、って叫ぶ女の子可愛い、という邪な感情から誕生。
軽い気持ちで書いたので、軽い気持ちで楽しんでいただければ幸いです。
エドガー:国一番の魔術師…と便宜上言われているが、世界単位でもトップクラス。ワーカーホリックの気があり、天職にありつけたので自分を捨てた両親は賢明であったと感心している。頭のネジが大分緩い。感情の機微に疎い。悪気なく人の神経を逆なでしてしまう所がある。ので、よく嫌われている。国王陛下に対し、心からの忠誠を誓っている。尊敬する人は魔術の師匠である。
クローディア:泣き虫なお姫様。母親の身分が低い為によく馬鹿にされ、よく泣いている。泣き虫で臆病で意気地がないが、その分素直で心優しく、純真な心を持つ。幼い頃より、エドガーに憧れを抱く。天然。