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D-2

  レイニールの場合




 村が、燃えていた。


 国境近くにある小さな村。街道沿いからは少しはずれて、さして裕福とはいえなかったけれど、皆が協力して、ささやかに、つつましく暮らしている村だった。

 その村が、襲われた。

 誰にかは分からなかった。名乗るわけではないし、名乗れるわけもない。傭兵くずれの破落戸ごろつきかもしれないし、野盗の集団かもしれない。折しも収穫の終わった頃、冬への蓄えや実りの対価として受け取った貨幣などが、村にある頃だった。

 そこを、狙われた。

 

 襲撃者たちは巧みだった。一度に数カ所に火の手が上がり、慌てふためいて鎮火に飛び出した村人たちを次々と切り殺していった。

 果敢に挑んだ男もいたが、複数人で一人を囲むという方法に出られては、太刀打ちもできない。そういった戦い方に、襲撃者たちは慣れているようだった。

 突き立てる刃には何の躊躇も見られない。目以外を布で覆った彼らは、邪魔物を片づけてから、略奪をするつもりらしかった。容赦は、なかった。

 大人も、子どもも。老人も、幼子も。

 挑んだ父は、殺された。

 血に染まって倒れた父に、泣き叫んですがりついた母は、当て身を入れられ、連れていかれた。

 母を連れていかれまいと、襲撃者の足にすがりついた彼は、すぐに蹴りとばされて転がされた。地面に激しく叩きつけられて、揺れる意識の中、いくつもの靴が彼を蹴り、踏みにじった。

 突き刺さる激痛と、骨がごりっという音が彼の脳に届いたのはほぼ同時。絶叫は声にならず、彼は気絶した。


 目を覚ました彼が見たのは、夕陽に染まる焼け焦げた家々。

 のろのろと起き上がり、彼はぶらんと奇妙な方向に曲がった右腕に顔をしかめた。

 誰かいないかを探すために、痛みをこらえて立ち上がる。

 全身が悲鳴をあげるが、彼はゆっくりと歩きだした。

 火はすでにほとんどくすぶりかけていて、黒くすすけた村には、動く物の気配は彼しかなく。

 血塗れで倒れている物言わぬ骸の横を通り過ぎ、家をのぞき、誰もいないことを確かめて。

 

 生きている人がもういないことを、彼が悟らざるをえなくなったのは、宵闇が空を覆い始めた頃。

 村を見下ろす丘の上にある小さなほこらの石段に、彼はのろのろと座り込んだ。

 全身が、右腕が痛くて、何かを考えることすらおっくうで。

 ぼんやりと、星が瞬き始めた夜空を見上げた。

 

 その時だった。


 ──目に映ったのは、黄金色だった。

 

「──ああ、良かった。生きてた」

 ほっとしたような、声。ずっと聞いていたくなるような、綺麗で優しい声。

 のぞき込まれて、彼は息をのんだ。

「あ……」

 彼の目に映ったのは、心配そうに自分を見つめる、声にならないくらい、美しい少女。

 身じろぎしかけた彼を、少女はしかしそっと制す。

「ちょっと待って、動かないで。今、治すから……」

 彼女の唇から、歌うような言葉が流れだす。

 触れられたところから、右腕が、じんわりと温かくなった。そしてその温もりは、全身に伝わっていく。

 心地よさに目を閉じた彼は、しばらくその温もりに浸った。しかし、それもわずかの間。

 少女の歌が途切れ、触れていた温もりが離れてしまったのをひどく残念に思いながら、彼は再び目を開けた。

「──もう、大丈夫だと思うけど。どうかな?」

「……どう、し」

 て、と言いかけて彼は激しく咳きこんだ。煙でやられた喉が、乾いて貼り付いたようになっていた。

 少女は、すぐに持っていたバスケットを開けて、中から筒状の容器を取り出した。蓋をくるくると回して開けると、カップ状の蓋の方に筒から液体を注ぐ。

「お茶だけど、まずうがい……口をすすいで。喉の奥から、がらがらって。飲み込まずに吐き出して」

 肩で息をする彼に蓋が渡され、彼は言うとおりにした。何度かやって、多少楽になり、空になったところで、ひょいと彼から蓋を取り上げた少女は、再びそれにとぽとぽと液体を注ぐと、彼に手渡してきた。

「ゆっくり飲んで。一口ずつ」

 温めのそれは、香ばしい良い香りがした。

 彼と同じくらいの年頃のように見える少女に、その様をじっと見つめられるのになぜだか気恥ずかしさを覚えるけれど、渇いた喉は水を欲していた。言われるがままに、一口含む。ゆっくりと飲み込むと、少女はにっこりと笑った。

 ──綺麗。可愛い。

 見とれてしまった。数拍後、取り落としかけた蓋を慌てて握りなおして、彼は再びお茶を口に含んだ。顔が熱い。

 ──どうして、こんな綺麗な子が、こんなところにいるんだろう。こんな──。

 ふと浮かんだ疑問に答えるかのように、少女は口を開いた。

「ごめんなさい。ここに来たのはついさっきなの。……上から見た限りでは、誰もいないみたいだった」

 感情をそぎ落としたような声だった。村の状況を思い起こし、でも、なぜ謝るのかが分からずに、彼は少女を見た。

「……どうして、謝るの? 助けてくれたのは、君なのに」

「もう少し早く来ていれば、まだ助かった人がいるかもしれないと思って。──今更だけど」

 彼女の言葉に、彼はようやく合点がいった。

 優しい子なんだな、と思った。他の人たちの死を、悼んでくれているのだと分かった。

「ううん。ありがとう……助けてくれて。その……君は」

 どうしてここに、と問いかける前に、少女がバスケットから、今度はぼんやり光る、赤ん坊の握り拳ほどの丸い水晶の玉を取り出したので、それに目を留めた彼は言葉を途切れさせた。ランタンではない。炎でもない。白いそれは、やわやわと静かな光を放っている。それで彼女の瞳の色が見えた。

 綺麗な、──きれいな、紫の色。

「私は、リサ。……あなたに会いに来たの。良ければ、名前を教えてくれないかな」

 続いて、カップのような容器に入った何かと、金属の匙とをバスケットから取り出しながら、少女は名乗った。

 ──僕に会いに来た?

 少女の言葉に疑問を覚えつつ、慌てて彼は名乗り返した。

「あ、僕は、レイン。本当はレイニールだけど、レインって呼ばれてる」

「そっか。じゃ、レイン。これ、お近づきのしるしに」

 渡された容器の中には、黄色のものが入っていた。一瞬液体かと思ったけれど、違っているようだ。

「すくって食べてね。プリンっていうの。おいしいよ」

 勧められるままに、それを一口食べて、レインは目を見開く。

「おいしい……!」

 口の中で柔らかくとろけていくそれは、初めてのおいしさで、空腹も手伝って、レインは夢中でほおばった。少女はその様子をしばし嬉しそうに見ていたが、おもむろに口を開いた。

「でしょう? ──あのね、食べながら聞いてほしいんだけど。私、魔族なの」

 最後の一口をほおばった彼の手が、止まった。

 魔族。おとぎ話の中にしか存在していなかったその言葉と、目の前の少女とは全くカケラも一致しない。かつて世界をずたずたにしたという恐ろしい生き物は、封印されて魔界から出られないのではなかったのか。というかまじまじと少女を見つめて──やっぱり綺麗でとても可愛い──彼はぽつんと呟いた。

「……そうなんだ」

 そのあっさりさ加減に、少女は少し困惑したようだった。

「ええと……魔族ってどういうものか分かってる? 結構怖がられているって聞いたことがあったんだけど」

「分かってる、と、思う。でも君は……僕を助けてくれた。世の中には良い人も悪い人もいるって父さんは言ってた。だから君は、優しくて、良い魔族なんだろ?」

「──違うよ。優しいっていうわけじゃないの。その、助けたのは、見返り求めてだし」

 見返りの言葉に、彼は目をみはった。試しに頭に浮かんだ言葉を口にする。

「ええと……心臓とか?」

「違うよ! あ、魂とかでもないからねっ。いらないから、そういうのじゃないからっ」

 早口でぱたぱたと手を振って少女が否定するので──可愛い──彼は、そうと意識したわけではないけど、微笑んだ。

「なんでもいいよ。僕にできることならなんでもする」

 本心からの、気持ちだった。

 彼女が何を望んでいるのか分からないけれど、子どもの彼にできることは多くないけれど、そう思った。だから。

「あ、その、ね。──私の家で一緒にお勉強をしてほしいの。あと、体を鍛えたりして、その……ゆくゆくは出世してほしいの」

 告がれた言葉に、少しだけ拍子抜けした。

「君の家?」

「うん。魔界にあるから、人界……こちらには戻ってこれない。戻ってこられるのは六年後。それで、期間中は基本的に無給だけど、待遇は」

「いいよ。行く」

 皆まで聞かずに、彼は断言した。少女は少々目をみはり。

「え……いいの?」

「うん。君と一緒なんだろ?」

「そう……だけど」

「──住むところ、無くなったし。だから」

 彼は、少女を見つめて、言った。

「連れていって」

 魔界がどんなところかは知らない。

 けれど、この綺麗な少女と一緒にいられるのなら、それでいい。

 出世したら、役に立てるというなら、なんでもする。

「……ありがとう」

 小さく微笑んで──可愛い──少女は手を差し出した。小さな、華奢な白い手。

 彼──レイニールはその手を傷つけないよう、そっと取った。

 



 


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