Do 実際にやってみましょう
メリスメルの場合
「あなたは特別な娘なのです」
告げられた言葉に、何の感慨が抱けようか。
白い甲冑の大人たち。両親が彼女の名を呼ぶのが聞こえ、続いて鈍い音と共に聞こえた母の悲鳴。暴れた手足に苛立ったのか、奇妙な言葉を紡ぐ声が聞こえて、急激な眠気が襲ってきて。
目を覚ました時には、白い石の部屋に寝かされていた。
アナタハヨゲンノセイジョデアル。シンデンニテヒゴイタシマス。
目覚めた彼女に告げられたのは、意味も分からぬそんな言葉。
──知らない。そんなもの知らない。
──家に帰して。父さん、母さんに会わせて。
叫んだ声は聞き入れられなかった。丁重に、けれど完全に、彼女の意思は無視された。
白い神殿の奥深く、俗世の穢れを払うためと、いずれ結い上げるつもりで伸ばしていた黒髪を短く切られ、水以外口にすることを許されない日々が過ぎ。
ようやく口にできた、ほとんど味のしない食事も、彼女が従順でなければ与えられず。
無視され続けた叫びは、いつしか発することもなくなった。
──聖女様、と皆が彼女を呼ぶ。
メルは、メリスメルは、どこにもいなくなっていく。
繰り返される儀式。禊の水の冷たさに震える日々。彼女の名は誰も呼ばない。
──聖女様。
小さな「聖女」の藍色の瞳には、何の表情も浮かばなくなった。
冷たい硬い床で祈りを捧げる毎日。
時折やってくる、豪奢な服をまとった大人に祈りの言葉を告げて。
感謝と喜びの声を上げる彼らに、静かで無気力なまなざしを向けて、彼女は彼らを哀れんだ。
ここにいるのは人形だ。「聖女」という名の人形だ。
中身なんて、もう、からっぽになってしまった。
調えられた中庭に、ある日小鳥がやってきていた。巣を作っているところだった。
儀式の合間、彼女は中庭に出てその巣を眺めた。上手に作るなと感心した。
そして次の日、巣はきれいに片付けられていた。
──不浄を持ち込ませるわけには参りませぬ。
告げられた言葉に、ただ、頷いた。
あの鳥がどこに行ったかは、考えないことにした。
儀式と祈り。ひたすらにそれを繰り返す日々。
白い石の神殿で、白い服を身にまとい、白い人たちに囲まれて。
──聖女様。
──清らかなる聖女様。
──我らをお救いください、聖女様。
人形にすがる壮麗な衣をまとう人たちを眺めて。
何度目かの秋が来た。
散り行く赤い葉に、久しぶりに中庭に出た。
かつて鳥の巣があったところを見上げたそこへ。
──ふわりと、黄金が降り立った。
「こんにちは」
違った。それは、とても──とても美しい、黄金の髪の少女。
藍色のドレスをまとい、片腕にバスケット、右手に矢印が彫られた板のついた鎖を握ったその少女はにこりと微笑むと、彼女の前へと無造作に、けれど軽やかに、黄金の髪を揺らして降り立った。
──息が、止まるかと思った。それほど、少女は綺麗だった。
「あなたみたいね。──私はリサ。あなたの名前は?」
落ち着いた声の問いかけに、彼女はようやく息を取り戻した。
「なまえ。……名前。私、の?」
問いかけられた言葉を、ぎこちなく繰り返す。
「うん、あなたの」
リサと名乗った少女は、紫水晶の瞳でまっすぐに彼女を見つめていた。
からっぽだった彼女の心に、何かが、広がっていく。
ああ。
なんて、綺麗──。
しばし見とれたその時。
「お前──何者!? 聖女様から離れなさい!」
響いた誰何の声に、少女は彼女から視線をはずし、そちらを見て、再び彼女を見た。
「……聖女様?」
「──違うの!」
彼女は、叫んだ。必死に、かぶりを振った。
「私は──メリスメルっ。そんな名前じゃないのっ。聖女様なんかじゃないのっ」
「メリスメル」
少女が、彼女の名を呟く。それだけで。
──どくん、と。
これまで止まっていたような、鼓動がはねた気がした。
「素敵な響き。──ね、メリスメル」
す、とリサが右手を差し出す。
「私、魔族なんだけど。協力者募集中なの。よければ、ちょっと魔界に来てみない?」
「連れて行って!」
考える前に、即答していた。その手を、ためらいなく取った。
リサはわずかに目を見開き、次いで優しく微笑んで、そして駆けつけてきた大人たちを見回して。
「じゃあ、この子はいただいていきますね。……目を閉じて」
悲鳴と怒号は一瞬のこと。優しく抱きしめられて、ふわりと感じるほのかな甘い香りに包まれて、彼女は──メリスメルは言われるままに目を閉じた。
リサの温かい腕は、何も怖くなかった。